その日はまだ11月に入ったばかりなのに、安物のコートでは外に5分も立っていられないほど肌寒い日だった。
 仮屋紫遥(かりやしはる)は白い息を吐きながら、足早に目の前のタワーマンションに入り、暖かな室内にホッと一息つく。
 
 家事代行スタッフとして働き始めたばかりの自分にとって、VIP客、それも芸能人の自宅に訪問するのは、これが初めてのことだ。
 
 47階に向かってどんどん上昇していく高層マンションのエレベーターの中で、コートを脱ぎ、エプロンについた皺を伸ばしながら、紫遥は大きなため息をつく。

「入口から部屋まで、一体何分かかるのよ……」
 
 マンションのエントランスを抜けて、エレベーターを待っている間、誰かに見られないか気が気ではなかった。
 富裕層向けの内装の中に、ポツンと立ち尽くす庶民の自分。
 なぜ自分はこんな場違いな場所に、場違いな格好でいるのだろう。そう考える度に、喉の奥から苦い唾液が出た。