「驚いたな。いつからあんな構想を練っていたんだ?」

 皇帝と皇后が出て行った途端、アリスター様は椅子を私と向き合うところに移動させた。

「防衛では力になれないと思った時からです。いくらダリルに学んでも、今は付け焼き刃になるだけですから。けれど経験を積むまでなんて、領民たちは勿論のこと、相手だって待ってはくれません。私は私で、できることをしようと思ったんです」
「できること、か。しかし今は……」
「勿論、出産を第一に考えます。生まれてきたら、子育ての方にも」

 すると、何故かアリスター様が渋い顔をした。

「この間、蔑ろにはしないと言いましたよ」
「あぁ、だがそうなると、乳母は必須だぞ。構わないな」
「はい。シオドーラの件もありますから、護衛もお願いします」
「それについては、メイベルにも必要だな。今後、色々と動くことになるんだ。その度に選ぶより正式に誰かを付けた方がいいだろう」

 つまり、今のようにアリスター様とは一緒にいられないことが増える、ということだ。それはそれで寂しいけれど、この間の巡回とは違う。
 ただ待っているのではなく、自分から動くのだ。

 でも、一つだけ気がかりなことがあった。

「では、そろそろお約束の言葉をいただきたいのですが」

 諸々、問題が解決していくと、アリスター様から一番貰いたいものを貰えていないことに気がついた。催促するのははしたない、と思ったものの、先日のお兄様との会話で欲が出た。

 これも多分、妊娠しているからなのだろう。お医者様から精神が不安定になり易いと伺った。
 私の問いにアリスター様は首を傾げる。

 怒ってはいけない。怒ってはいけない。

 ゆっくりと息を吸って吐いた。

「色々ありましたからね。ですから、ちょっと散歩に付き合ってもらえませんか?」
「今からか?」
「はい。ダメとは言わせませんよ」

 首を傾げた代償だ、とばかりに私はジロリと視線を向ける。さすがのアリスター様も気まずかったのか、それ以上は言わなかった。

「あと、エスコートもお願いします」
「勿論だ。是非ともやらせてくれ。いや、こちらこそ、是非」

 アリスター様はそう言うと、私の目線に合わせて腰を下ろした。右手を胸に、左手を私に差し出して。

 そういえば、こういう貴族らしいやり取りをしたことがなかった。いつも私たちの間にあったのは、取り繕わない関係。
 年の差を感じない対等なやり取りだったから、気にしたこともなかったけれど。たまにはこういうのもいいかな。アリスター様がとてもカッコよく見えるから。

 私はうっとりとアリスター様を見つめながら、その手を取って立ち上がった。


 ***


「散歩というのは、敷地内を歩くという意味ではなかったのか?」

 門に向かっていた時は何も言わなかったアリスター様が、鉄格子に手をかけた途端、不満げな声を上げた。
 出ようとは思っていなかったらしい。

「外に出たら、公爵夫人に叱られるぞ」
「私はもう小娘ではありません。そんな脅し文句が通用するとでも?」
「……しかしだな。俺も怒られる、から」

 私を止めなかったということで。けれど罰は、せいぜい公爵邸の雑用。もしくは三日間の出入り禁止程度だ。

 そのくらいのリスクは覚悟の上。アリスター様にも付き合ってもらわなくては。日頃の恨みも込めて。勿論、愛しているからこそ。

「行きたい場所があるんです。そんなに遠いわけではありませんし、公爵邸の使用人たちは皆、知っている場所ですから、問題はありません」
「今日じゃないとダメなのか?」
「いいえ。でも、お腹が大きくなったり、身動きが取れなくなったりする前に行きたいんです」

 アリスター様は少しだけ考えると、私のお腹を見た。

「歩いて行ける場所、なのだな?」
「はい。ですから、散歩と言ったんです」
「坂は?」
「あります。けれど緩やかですから、ちょうどいい運動になるかと」

 ここで嘘をつけば、今後の外出に差し障る。冗談抜きで、出産まで邸宅から出してもらえなくなってしまうことだってあり得るのだ。
 だから、素直に答える。それがアリスター様にも伝わったのだろう。

「運動か。公爵夫人にも言われていたしな。分かった、メイベルの言う通りにしよう」
「ありがとうございます、旦那様!」

 散歩一つでこれ、とは辟易(へきえき)してしまうが、達成感は半端がない。私は嬉し過ぎてアリスター様の腕に、飛び跳ねるようにして掴んだ。すると案の定、慌てた顔が返ってくる。

 私は気にせず上機嫌のまま、目的地へと歩き出した。