「はぁ、僕まで追い出されるなんてね」
廊下を共に歩きながら、隣でクリフが遠慮なく溜め息を吐いた。
「すまない」
「別にいいよ。姉様を蔑ろにしていたから、聖女に襲われたんじゃないことが分かったからね」
「……それで拒んでいた、というわけか?」
メイベルが目覚めるまで、いや起こしてしまうまで、俺はクリフにシオドーラの件を頼んでいた。
当初はメイベルがクリフに伝える、と言っていたが、体調を崩したのであれば、夫の俺が務めるべき案件。至極当然の流れだった。
しかし相手はクリフ。エルバートとは違い、一筋縄ではいかなかった。
「だって、帰って来た途端、寝込むなんてさ。苦労したんだなって思うのは当然じゃない?」
「返す言葉もない」
「しかもその聖女に恩情をかけるみたいな行為に協力しろ、だなんて、拒否するに決まっているでしょう。姉様の提案じゃなかったら、絶対に嫌だよ。そんなこと、誰がするって言うんだ」
「気持ちは分かるが……その、すまない」
けれど本人は憶えていないのだから仕方がない。
これをクリフに言うべきか、一瞬、悩んだ。が、さらに機嫌を悪くされた挙げ句、メイベルの提案でさえも拒否する、という未来しか見えなかった。
だからこそ、思ってしまう。
「何故そこまで……」
「ん?」
「いや、少し疑問に思ったんだ。エルバートは昔から兄妹想いなのは知っていたが、クリフとは付き合いが短いからな。何故そこまでメイベルを大事にするんだ?」
メイベルがクリフを大事にする理由は、何となく分かる。
役に立つからではない。家族から愛情を注がれているからこそ、弟のクリフに分け与えているのだ。さらに自分を慕ってくれているのだから、尚更のこと。
「姉様は……常に僕の味方だからだよ」
「エルバートは違うのか? それに公爵夫人も子煩悩で有名だぞ」
「兄様は、姉様も僕も一緒に扱ってくれるよ。でも次期公爵だからか、同性だからか、僕には厳しいんだ。それは母様も同じ。どこか僕のことを兄様の代用品としか思っていない」
エルバートに何かあればクリフを、と思うのは不思議なことではない。少なからず公爵夫人が考えていてもおかしくはなかった。
「でも姉様は違う。嬉しい時は一緒に喜んでくれるし、ダメって言われたことでも、一緒に抗議してくれる」
どうやらメイベルは、育児に向いていないらしい。甘やかすだけ甘やかして……俺も甘やかされたい。
くっ。
「だから、僕も姉様の役に立ちたくて……」
「あぁ、それで皇帝と皇后に」
「うん。だって、バードランド皇子が確実に姉様を守ってくれるとは限らないからね」
「なるほど。クリフが怒るのも無理はない。その努力も無駄にしてしまったんだからな」
メイベルを守れなかったことや、俺の不甲斐なさだけではない。
長い間、考えに考えて得た答えを台無しにされたんだ。俺もメイベルが罠に引っかからず、且つ契約結婚を受けてくれなかったら、と思うと苦しくなった。
「それだけじゃないよ。具合の悪い姉様に付き添わなかったこと。どういう神経をしているわけ?」
「仕方がないだろう。罪人の護送を、総責任者である俺が最後まで見届けないのは、無責任だからな。その罪人だって、俺は連れて行きたくはなかったんだ。だけどメイベルが……」
「姉様も母様と同じで、言っても聞かないからね。その苦労は目に浮かぶよ」
「……どうにか、メイベルには気づかれずに処理できないか」
同志を得たからか、思わず俺はクリフに悪魔の囁きをした。
「うん。僕もしたいし、できるよ。でも、いいの?」
「何がだ?」
「姉様にバレた時。僕は遠慮なく責任をエヴァレット辺境伯に擦りつける。非難されたくなきし、悲しい顔は見たくないから。多分、姉様はそれを信じるかもしれない。エヴァレット辺境伯は対処できるの? 最悪――……」
「出て行かれるか、もしくは離縁されるか、だな」
さすがにそれは無理だ。ようやく手に入れただけでなく、今度は子どもも得られたのだ。そう、メイベルとの繋がりを。
気が早いかもしれないが、メイベルに似た女の子だったら、より一層、手放せないだろう。
俺が立ち止まると、クリフは廊下に置かれた長い椅子に腰掛けた。
「そんな顔をするならさ、最初から無理な提案はしないでよ」
「っ!」
「姉様には黙っておく。でも! 提案を了解したことは僕が先に言うんだからね。これだけは守ってよ、義兄様」
「……あ、あぁ」
何故だろうか。こちらが下手に出ているのもあるのだろうが、この俺がだいぶ年下の、それも義弟にやられるとは、な。
クリフの言う「義兄様」に嫌味が籠もっていたことくらい、気づけない俺ではなかった。
勿論、その約束を破るつもりはない。が、油断のならない奴だとは思った。
もしも子どもがクリフに似て生まれてきたら? 俺は思わずそうならないように祈ってしまった。メイベルが甘やかした結果だとしたら、何とも言いようがないが……。
俺は本気で乳母の件を考え始めるのだった。
廊下を共に歩きながら、隣でクリフが遠慮なく溜め息を吐いた。
「すまない」
「別にいいよ。姉様を蔑ろにしていたから、聖女に襲われたんじゃないことが分かったからね」
「……それで拒んでいた、というわけか?」
メイベルが目覚めるまで、いや起こしてしまうまで、俺はクリフにシオドーラの件を頼んでいた。
当初はメイベルがクリフに伝える、と言っていたが、体調を崩したのであれば、夫の俺が務めるべき案件。至極当然の流れだった。
しかし相手はクリフ。エルバートとは違い、一筋縄ではいかなかった。
「だって、帰って来た途端、寝込むなんてさ。苦労したんだなって思うのは当然じゃない?」
「返す言葉もない」
「しかもその聖女に恩情をかけるみたいな行為に協力しろ、だなんて、拒否するに決まっているでしょう。姉様の提案じゃなかったら、絶対に嫌だよ。そんなこと、誰がするって言うんだ」
「気持ちは分かるが……その、すまない」
けれど本人は憶えていないのだから仕方がない。
これをクリフに言うべきか、一瞬、悩んだ。が、さらに機嫌を悪くされた挙げ句、メイベルの提案でさえも拒否する、という未来しか見えなかった。
だからこそ、思ってしまう。
「何故そこまで……」
「ん?」
「いや、少し疑問に思ったんだ。エルバートは昔から兄妹想いなのは知っていたが、クリフとは付き合いが短いからな。何故そこまでメイベルを大事にするんだ?」
メイベルがクリフを大事にする理由は、何となく分かる。
役に立つからではない。家族から愛情を注がれているからこそ、弟のクリフに分け与えているのだ。さらに自分を慕ってくれているのだから、尚更のこと。
「姉様は……常に僕の味方だからだよ」
「エルバートは違うのか? それに公爵夫人も子煩悩で有名だぞ」
「兄様は、姉様も僕も一緒に扱ってくれるよ。でも次期公爵だからか、同性だからか、僕には厳しいんだ。それは母様も同じ。どこか僕のことを兄様の代用品としか思っていない」
エルバートに何かあればクリフを、と思うのは不思議なことではない。少なからず公爵夫人が考えていてもおかしくはなかった。
「でも姉様は違う。嬉しい時は一緒に喜んでくれるし、ダメって言われたことでも、一緒に抗議してくれる」
どうやらメイベルは、育児に向いていないらしい。甘やかすだけ甘やかして……俺も甘やかされたい。
くっ。
「だから、僕も姉様の役に立ちたくて……」
「あぁ、それで皇帝と皇后に」
「うん。だって、バードランド皇子が確実に姉様を守ってくれるとは限らないからね」
「なるほど。クリフが怒るのも無理はない。その努力も無駄にしてしまったんだからな」
メイベルを守れなかったことや、俺の不甲斐なさだけではない。
長い間、考えに考えて得た答えを台無しにされたんだ。俺もメイベルが罠に引っかからず、且つ契約結婚を受けてくれなかったら、と思うと苦しくなった。
「それだけじゃないよ。具合の悪い姉様に付き添わなかったこと。どういう神経をしているわけ?」
「仕方がないだろう。罪人の護送を、総責任者である俺が最後まで見届けないのは、無責任だからな。その罪人だって、俺は連れて行きたくはなかったんだ。だけどメイベルが……」
「姉様も母様と同じで、言っても聞かないからね。その苦労は目に浮かぶよ」
「……どうにか、メイベルには気づかれずに処理できないか」
同志を得たからか、思わず俺はクリフに悪魔の囁きをした。
「うん。僕もしたいし、できるよ。でも、いいの?」
「何がだ?」
「姉様にバレた時。僕は遠慮なく責任をエヴァレット辺境伯に擦りつける。非難されたくなきし、悲しい顔は見たくないから。多分、姉様はそれを信じるかもしれない。エヴァレット辺境伯は対処できるの? 最悪――……」
「出て行かれるか、もしくは離縁されるか、だな」
さすがにそれは無理だ。ようやく手に入れただけでなく、今度は子どもも得られたのだ。そう、メイベルとの繋がりを。
気が早いかもしれないが、メイベルに似た女の子だったら、より一層、手放せないだろう。
俺が立ち止まると、クリフは廊下に置かれた長い椅子に腰掛けた。
「そんな顔をするならさ、最初から無理な提案はしないでよ」
「っ!」
「姉様には黙っておく。でも! 提案を了解したことは僕が先に言うんだからね。これだけは守ってよ、義兄様」
「……あ、あぁ」
何故だろうか。こちらが下手に出ているのもあるのだろうが、この俺がだいぶ年下の、それも義弟にやられるとは、な。
クリフの言う「義兄様」に嫌味が籠もっていたことくらい、気づけない俺ではなかった。
勿論、その約束を破るつもりはない。が、油断のならない奴だとは思った。
もしも子どもがクリフに似て生まれてきたら? 俺は思わずそうならないように祈ってしまった。メイベルが甘やかした結果だとしたら、何とも言いようがないが……。
俺は本気で乳母の件を考え始めるのだった。