翌朝。
 早起きできた、というより眠れなかった。アリスター様は私の身を案じてくださるけれど、ご自分の身がどれだけの者たちに慕われ、心の支えになっているのかをご存知ない。
 私もまた、その一人だからこそ分かる。そして、シオドーラがアリスター様に惹かれる理由もまた……。

 しかし、そんな寂しそうな顔で見送ることはできない。アリスター様は逆に、思いっ切り名残惜しそうにしていたけれど。

「行かれてしまいましたね」

 隣に立つサミーが、私の気持ちを代弁するかのような声音で言った。
 誰もいない、玄関。いつまでも立っている私に気を遣ったのだろう。そっと、ショールをかけてくれた。

 もう中に入りましょう、と言わない優しさに甘えてしまいそうになる。けれど、私が中に入らない限り、サミーにも寒い思いをさせてしまうのだ。

 主人失格だな、と思いながら振り返り、無理やり笑顔を作った。

「サミー。部屋に温かい飲み物を用意してくれる? 一緒に温まりましょう」
「はい。奥様」

 玄関を開けるサミーの指先が赤かった。私は両手で頬を叩く。

「奥様!?」
「大丈夫。いつまでもくよくよしていられないからね。気合を入れたの」
「だからって、冷たい頬にムチを打つような真似はよしてください。寿命が縮まってしまいます」
「大袈裟なんだから」
「いえ、ご主人様から、奥様に傷一つ、つけないように言われていますので」

 サミーの言葉に、心配そうな顔のアリスター様が脳裏に浮かんだ。

「ふふふっ。旦那様らしいわ」

 エントランスに入ると、モワッとした温かい空気に包まれる。
 昨日、アリスター様が立っていた場所。ここで何度も立ち話をしたこと。さっき出ていったばかりなのに、もう会いたくて仕方がなかった。

 それくらい、私はアリスター様を愛しているのだと自覚する。
 シオドーラが悪い噂を流そうが、何か仕掛けてきたとしても、私はここを出ていかない。

 アリスター様の隣は私のもの。誰にも譲る気なんか、ないんだから!


 ***


 アリスター様が率いる騎士団が巡回に出てから、数日後。私は部屋でボーとすることが多くなった。

 勿論、ダリルから兵法を学ぶことは怠っていない。
 それと同時に、巡回の日程を確認し合う場でもあったからだ。さらに、ダリルは秘密裏にアリスター様と連絡を取り合えるのだという。

 けれどそれは緊急事態のみ。簡易魔法陣で手紙をガーラナウム城に転移させることができるのだ。
 但し、魔力を使うため、敵に位置を察知されてしまうのが難点だった。故に、頻繫に使用はできない。

 だから、勉強を見てもらう度に私は確認してしまうのだ。

「ダリル。アリスター様から連絡はあった?」
「まだ始まったばかりですから、余程のことがない限りはありません。心配でしょうが、我慢してください」

 幸いなのは、それを(わずら)わしいと思われていないことだ。私が聞く度に、温かい視線を向けられる。
 恐らく、アリスター様が十三年もの間、私を好きでいてくれたのを知っているのだろう。
 いつもなら恥ずかしくなるのに、そう感じないのは、それだけ心配しているのだ、アリスター様のことを。
 寂しくて辛い想いが、私の心を支配していたせいでもあった。

 それを払拭するには、展望台へと行くのが一番。様子が見られなくても、体感はできる。しかし、一人で展望台に行くことは、アリスター様に禁止されていて叶わなかった。

「サミー、ガーラナウム城の様子はどう?」

 私自身、城内を散策して使用人たちを見てきたが、それだけでは分からないことがある。皆、いつもと変わらない姿を見せてくれるから。
 しかし、サミーからは違って見えることもあるだろう。

「今のところは問題ありません。白い蝶の目撃情報も」
「……っ! 私はダメね」
「奥様?」
「自分のことばっかり。気をつけるように言われていたのに、頭の中は旦那様のことでいっぱいなの」

 何のためにアリスター様は巡回に出たというの? 『最後の策』と言っていたじゃない。それなのに……全く警戒できていない。
 今回はシオドーラのことだけど、本当に隣国や魔物が攻めてきたら? いくらダリルに学んでも、役に立たない。

「辺境伯夫人、失格ね」
「それならば、代わってくださいませんか?」
「え?」

 部屋には私とサミーしかいなかったはず。扉もノックされた音ばかりか、開いた音もしていない。

 それなのに、金髪の女性が立っていた。背後には白い蝶が気持ち悪いほど大量に、それも密集しているのが見える。大きさは扉ほどだろうか。

 扉? まさか!?

 私は部屋の中を改めて確認した。すると、扉が見当たらない。あった場所らしきところには、白い蝶が密集している。つまり、入口を塞がれたのだ、シオドーラに。

 扉の開く音がしなかったことから、恐らくその白い蝶を利用してこの部屋に入ったのだろう。
 何て女だ。聖女の力をこんなことに使うなんて……!

「お久しぶりです、辺境伯夫人。いえ、ブレイズ公爵令嬢」

 私の心境などお構いなしに、シオドーラは微笑んだ。聖女とは思えないほどの不気味な笑顔で。