天蓋カーテンをそっと開ける。
 すでに日が暮れていたお陰で、僅かな光がベッドの中を照らしてくれた。

 その薄暗い光でさえも、ピンク色の髪は美しさを損なわない。撫でたくなる衝動に駆られて手を伸ばした。

 毎日ベッドを共にして気がついたことだが、メイベルは眠りが深い。
 寝起きが悪い原因は判明されていないが、それを無理やり起こされれば、機嫌が悪くなるのは当然のような気がした。

 常に眠りが浅い俺は、いつ緊急事態が起きても動けるようになっている。
 しかしメイベルの場合は違う。今日のように、気を失うように眠りにつけば、髪を撫でても、頭に触れても、体の位置を変えたとて起きはしない。そう、乱暴に扱わなければ。

 だから、メイベルの体を引き寄せる。すると寒く感じたのか、抱きついてきた。

「これはこれで嬉しいんだが」

 肝心のメイベルの寝顔が見られない。
 明るい内から試みようとすると、「誰かが来たら」と言われ。けして誰も来ないように仕向けても、「明るいところは……」と断わられてしまう。

「それでも嫌われていないだけマシか」

 十三年前のように叩かれることはないのだから。

「ん~~」
「すまない」

 俺が温めなかったのが、ご不満だったようだ。そっと天蓋カーテンを閉めて、メイベルを抱きしめる。

 夕食も取らないで、二人して寝室に朝まで籠っていれば、さすがに噂になるだろう。できれば明日の昼頃までいられれば、さらに……。

 そうだな。途中でメイベルが起きたら催促してみるか。

 俺は口角を上げながら、メイベルの髪をそっと撫でた。


 ***


「お昼になったら、起こしてくれる約束だったではありませんか!」

 だから承諾したのに、と悔しそうな顔で、フォークを口に入れたまま俺を睨む。
 その姿が可愛いと言ったら、メイベルは躊躇(ちゅうちょ)なく、傍にある枕を投げるだろう。寝起きでなくとも、手癖は悪かった。

「気持ち良さそうに寝ていたんだ。無理に起こしたくもないし、俺も怪我をしたくないんでな」
「うっ」

 バードランド皇子に怪我をさせたことを思い出したのだろう。
 さて、ヘソを曲げる幼妻をどうやって(なだ)めるか。

 自分がメイベルの機嫌を悪くしたことなど棚に上げて、俺は思案する。時刻はすでに三時を回っていたが、メイベルと共に行きたい場所があったのだ。

 ベッドの上で遅い昼食を食べるメイベルはまだ、寝間着姿。俺は立ち上がり、扉へと向かおうとした。すると、後ろからベストを引っ張られる。

「どこに行くんですか?」

 不安そうな青い瞳に、思わず俺は座り直した。

「サミーを呼びに行くだけだ。すぐに戻る」
「……まだ食べています」
「動きたくないのか?」
「違います」

 どうやら、メイベルが求める答えを導き出せていないらしい。

「……今日はずっとこのままなのかと、思っていたんです。旦那様と」
「一緒にいるさ、ずっと」
「でも……」

 自惚れでなければ、メイベルは片時も離れたくない、と言っているように見えた。すると、答えが自ずと出てきた。

 メイベルは不安なのだ。勝ち気な性格でも、首都で大事に育てられていた、まだ十八歳の少女。作戦が無事に上手くいくのか、心配で仕方がないのだろう。

「何が不安なのかは分かる。だからこそ、行きたい場所があるんだ。多少は解消されるかもしれないぞ」
「……旦那様がそう言うのなら」

 お気に召した回答ではなかったのが、一目瞭然だった。けれど、少しはマシになったような気がした。


 ***


 その場所は、エヴァレット辺境伯領を一望できる、展望台。メイベルは、ここに到着した次の日以来だろうか。
 シオドーラが待ち構えていた、というハプニングはあったが、そう悪い印象ではなかったようだ。

「前に来た時は朝でしたが、夕方が近づいてくると、また違う景色に見えるんですね」

 石の手すりから、身を乗り出すようにして見る姿に、俺は慌てて腕を伸ばした。
 展望台は急に強い風が吹く時がある。メイベルは細くて軽いから、意図も簡単に吹き飛ばしてしまうだろう。いくらドレスに気を遣ったとしても、だ。

 現に初めて案内した時、その突風に飛ばされそうになっていた。傍に俺がいなかったら、と思うとゾッとしてしまう。

「心臓が縮まるようなことはしないでくれ」
「……申し訳ありません」
「いや、気をつけてくれればいいんだ。それに、この体勢の方が説明し易い」

 俺はそう言いながら、メイベルのお腹に当てた腕に力を込める。そして、遠くの方を指差した。

「見えるか。あれが国境のニルチ山脈だ」
「あそこが……険しそうですね」

 安心させるために連れて来たのに、逆に不安を煽ってしまったようだ。メイベルの頭に顎を乗せる。

「……重いです」
「そこまで体重をかけていないが?」
「頭だけでなく、背中にも寄りかかられたら重く感じるのは当然だと思いませんか?」
「つまり、離れて欲しいというのか?」
「そういうわけでは……」

 珍しい。メイベルが反抗しない。そういえば、今朝もすんなり受け入れてくれた。
 気がつくと、俺の腕を掴んで、逆に離さないような仕草までする。

 今までは何だかんだで受け入れてくれたが、それでも必ず一度は反抗していたメイベルだ。あまりの嬉しさに、メイベルの頬に触れ、顎をクイッと上に上げた。

「旦那様……?」

 そっと触れるだけのキス。メイベルにとって少しだけ体勢が悪いため、短めにした。が、視界に入ってきた存在の殺気に、俺は再びメイベルの唇に食らいつく。

「んんっ!」

 勿論、体勢を直して。深く長いキスをする。覗き見している者にも、よく見えるように。そう、またしても俺の命令を破ってここに来たシオドーラに対して……。