食器の音が鳴るダイニング。お兄様の話を聞き終えたクリフは、静かに口元をナプキンで拭く。
「結論を言うと、兄様は母様に感化され過ぎ。姉様はもうすぐ嫁ぐんだよ。いい加減子離れ、いや妹離れしないとね」
淡々と他人事のように言うクリフ。この感情が薄い……ううん。お父様譲りの穏やかなところに、私はいつも救われていた。
何せ、私もお母様も、さらにお兄様までも感情の起伏が激しいからだ。加えて今のように過保護で過干渉な一面があるから、余計にそう思ってしまう。
「さすがは私の心のオアシス。相変わらず良いことを言うわ」
「姉様は姉様で弟離れをしてよ。さすがの僕でもエヴァレット伯に目をつけられたくないからさ」
いつものように抱きつこうとすると、言葉で制された。
「えっと、多分、知っていると思って言うけれど。契約結婚なのよ、私たち。嫉妬なんてするはずがないわ」
「……兄様の反応からは、そう思えないけど」
「アレは大袈裟なのよ。知っているでしょう? 誰が相手でも、同じ反応をするわ」
「そうだね、ごめん」
向かい側の席で、テーブルにうつ伏せになっているお兄様を、私とクリフは見る。が、敢えて無視して、話を進めた。
「それで、姉様はこの結果を純粋にどう思っているの? 妥協……は姉様のことだから、しないだろうけど、状況が状況だから」
「まぁ、流された感は否めないわ。クリフの言うように、打開策はそれしかなかったから」
「……一応言うけど、僕は噛んでいないからね」
「大丈夫よ。クリフが平和主義者だって知っているもの。わざわざ騒ぎが起こると分かっているのに、問題を起こすなんてあり得ないわ」
そう、これがクリフを可愛がる理由だった。
末っ子として生まれたのにもかかわらず、クリフは私とお兄様を羨むことはしなかった。お母様の関心がこちらに向いていても。
『え? やだよ、あんな対応されたら。今みたいに好きなことができる立ち位置でいたい』
『別に蔑ろにされているわけじゃないしね。兄様と姉様への振りが極端過ぎて、周りからそう見えるらしいけど。大丈夫。ちゃんと愛情は貰っているから』
健気! 健気の一言に尽きる!
だから私が、代わりに可愛がっているのだ。弟離れ? アリスター様のところに嫁げば、否応なしにせざるを得ないのに……心のオアシスが冷たい。
「でも我が家には、嵐を巻き起きても構わない人物がいるんだ。ここは一回、お灸を添えた方がいいと僕も思うよ」
「ク、クリフ!?」
「良かった。我が家で一番冷静な判断ができるクリフが言うんだもの。お兄様、覚悟なさってね」
これでもう、お兄様とて邪魔立てできないだろう。
私は安心して、目の前の食事に手をかけた。少しだけ冷たくなっていたが、気にしない。それだけ機嫌が良かったからだ。
「姉様」
「何?」
「もしも、兄様とバードランド皇子の選択が間違っていたら、すぐに教えてね」
私にアリスター様を宛がったことを言っているのだろうか。脳内に疑問符が浮かんだが、私は素直に頷いた。
「僕、これでも皇帝や皇后様に可愛がってもらっているから、どうとでもできるんだ」
にこやかに恐ろしいことを口にするクリフを見て、私は考えを改めた。お母様に一番似ているのは、クリフなんじゃないかと。
***
やはり、お母様の言う『あと』は、私が想像する『あと』とはかけ離れていた。
最低でも今日中だと思っていたのに……。
「自覚がないだけで、体は相当疲れているの。あんなところで寝かされていたんだから。今日はとにかく早く寝なさい。いいわね!」
私が牢屋の中で、どのように過ごしていたか。お母様の一方的な思い込みで却下された。
まぁ、一度も訪れていないのだから無理もない。私はアリスター様のお陰で、意外にも快適に過ごさせてもらっていた、というのに。
とはいえ、それをお母様に言ったところで、結果は変わらない。アリスター様の評価が上がるかどうかも怪しいため、ここは黙って従うことにしたのだ。
ある一点、気になることを除けば……。
「サミー。アリスター様はお帰りになったの?」
二週間振りの再会に花を咲かせている最中、私はふと、思い出したように尋ねた。
お母様の命令で、就寝時間よりもまだ早いというのに、その準備をしているサミー。
カーテンを閉めたり、明日の予定を告げたり。さらには、まだいいと言っているのに、寝間着まで。
さすがというべきか、お喋りをしていても、手や体の動きにブレている様子は見えない。
「いいえ。本日はお泊まりになるそうです」
「え?」
「相手は辺境伯様ですから、お見送りする時は私も呼び出しがかかります。それがありませんでしたから。念のために確認したら、やはりお帰りになっていませんでした」
「で、でもでも、お母様が……」
お許しになるとは、到底思えなかったのだ。
「ご安心ください。ちゃんと客室に通されていますよ」
「っ! サミー。いくらなんでも、ブレイズ公爵家がエヴァレット辺境伯様を、客室に泊まらせないなどという失礼な行為はしないわよ」
「そうでしょうか。お嬢様の名誉を傷つけた者ですよ。奥様がお許しになれば私たちは……!」
する気満々です! とばかりに意気込むサミーを見た途端、アリスター様の待遇が心配になった。
まさかとは思うけれど、使用人たちが陰で嫌がらせを……。
私は思わず立ち上がり、扉へと向かう。
「お嬢様!? 如何なされたんですか? 今、出られるのは……」
「分かっているわ。お母様に見つかったらマズいのでしょう。でも、同じくらいアリスター様が心配なの」
「……止めてもダメ、なんですよね」
そう、思い立ったら即行動が我が家の基本だ。それも、簡単に首を縦に振らないことも。
だからサミーは眉を八の字にしながら、ある提案をしてくれた。
「分かりました。奥様にバレないようにご案内しますので、くれぐれも私の言う通りに動いてくださいね」
「っ! ありがとう、サミー。大好きよ」
飛び跳ねるように抱きつくと、小さな声で「現金なんですから」と苦笑された。
「結論を言うと、兄様は母様に感化され過ぎ。姉様はもうすぐ嫁ぐんだよ。いい加減子離れ、いや妹離れしないとね」
淡々と他人事のように言うクリフ。この感情が薄い……ううん。お父様譲りの穏やかなところに、私はいつも救われていた。
何せ、私もお母様も、さらにお兄様までも感情の起伏が激しいからだ。加えて今のように過保護で過干渉な一面があるから、余計にそう思ってしまう。
「さすがは私の心のオアシス。相変わらず良いことを言うわ」
「姉様は姉様で弟離れをしてよ。さすがの僕でもエヴァレット伯に目をつけられたくないからさ」
いつものように抱きつこうとすると、言葉で制された。
「えっと、多分、知っていると思って言うけれど。契約結婚なのよ、私たち。嫉妬なんてするはずがないわ」
「……兄様の反応からは、そう思えないけど」
「アレは大袈裟なのよ。知っているでしょう? 誰が相手でも、同じ反応をするわ」
「そうだね、ごめん」
向かい側の席で、テーブルにうつ伏せになっているお兄様を、私とクリフは見る。が、敢えて無視して、話を進めた。
「それで、姉様はこの結果を純粋にどう思っているの? 妥協……は姉様のことだから、しないだろうけど、状況が状況だから」
「まぁ、流された感は否めないわ。クリフの言うように、打開策はそれしかなかったから」
「……一応言うけど、僕は噛んでいないからね」
「大丈夫よ。クリフが平和主義者だって知っているもの。わざわざ騒ぎが起こると分かっているのに、問題を起こすなんてあり得ないわ」
そう、これがクリフを可愛がる理由だった。
末っ子として生まれたのにもかかわらず、クリフは私とお兄様を羨むことはしなかった。お母様の関心がこちらに向いていても。
『え? やだよ、あんな対応されたら。今みたいに好きなことができる立ち位置でいたい』
『別に蔑ろにされているわけじゃないしね。兄様と姉様への振りが極端過ぎて、周りからそう見えるらしいけど。大丈夫。ちゃんと愛情は貰っているから』
健気! 健気の一言に尽きる!
だから私が、代わりに可愛がっているのだ。弟離れ? アリスター様のところに嫁げば、否応なしにせざるを得ないのに……心のオアシスが冷たい。
「でも我が家には、嵐を巻き起きても構わない人物がいるんだ。ここは一回、お灸を添えた方がいいと僕も思うよ」
「ク、クリフ!?」
「良かった。我が家で一番冷静な判断ができるクリフが言うんだもの。お兄様、覚悟なさってね」
これでもう、お兄様とて邪魔立てできないだろう。
私は安心して、目の前の食事に手をかけた。少しだけ冷たくなっていたが、気にしない。それだけ機嫌が良かったからだ。
「姉様」
「何?」
「もしも、兄様とバードランド皇子の選択が間違っていたら、すぐに教えてね」
私にアリスター様を宛がったことを言っているのだろうか。脳内に疑問符が浮かんだが、私は素直に頷いた。
「僕、これでも皇帝や皇后様に可愛がってもらっているから、どうとでもできるんだ」
にこやかに恐ろしいことを口にするクリフを見て、私は考えを改めた。お母様に一番似ているのは、クリフなんじゃないかと。
***
やはり、お母様の言う『あと』は、私が想像する『あと』とはかけ離れていた。
最低でも今日中だと思っていたのに……。
「自覚がないだけで、体は相当疲れているの。あんなところで寝かされていたんだから。今日はとにかく早く寝なさい。いいわね!」
私が牢屋の中で、どのように過ごしていたか。お母様の一方的な思い込みで却下された。
まぁ、一度も訪れていないのだから無理もない。私はアリスター様のお陰で、意外にも快適に過ごさせてもらっていた、というのに。
とはいえ、それをお母様に言ったところで、結果は変わらない。アリスター様の評価が上がるかどうかも怪しいため、ここは黙って従うことにしたのだ。
ある一点、気になることを除けば……。
「サミー。アリスター様はお帰りになったの?」
二週間振りの再会に花を咲かせている最中、私はふと、思い出したように尋ねた。
お母様の命令で、就寝時間よりもまだ早いというのに、その準備をしているサミー。
カーテンを閉めたり、明日の予定を告げたり。さらには、まだいいと言っているのに、寝間着まで。
さすがというべきか、お喋りをしていても、手や体の動きにブレている様子は見えない。
「いいえ。本日はお泊まりになるそうです」
「え?」
「相手は辺境伯様ですから、お見送りする時は私も呼び出しがかかります。それがありませんでしたから。念のために確認したら、やはりお帰りになっていませんでした」
「で、でもでも、お母様が……」
お許しになるとは、到底思えなかったのだ。
「ご安心ください。ちゃんと客室に通されていますよ」
「っ! サミー。いくらなんでも、ブレイズ公爵家がエヴァレット辺境伯様を、客室に泊まらせないなどという失礼な行為はしないわよ」
「そうでしょうか。お嬢様の名誉を傷つけた者ですよ。奥様がお許しになれば私たちは……!」
する気満々です! とばかりに意気込むサミーを見た途端、アリスター様の待遇が心配になった。
まさかとは思うけれど、使用人たちが陰で嫌がらせを……。
私は思わず立ち上がり、扉へと向かう。
「お嬢様!? 如何なされたんですか? 今、出られるのは……」
「分かっているわ。お母様に見つかったらマズいのでしょう。でも、同じくらいアリスター様が心配なの」
「……止めてもダメ、なんですよね」
そう、思い立ったら即行動が我が家の基本だ。それも、簡単に首を縦に振らないことも。
だからサミーは眉を八の字にしながら、ある提案をしてくれた。
「分かりました。奥様にバレないようにご案内しますので、くれぐれも私の言う通りに動いてくださいね」
「っ! ありがとう、サミー。大好きよ」
飛び跳ねるように抱きつくと、小さな声で「現金なんですから」と苦笑された。