三友商事の昼休み。社員食堂にて。

阿久津はお気に入りのカツ煮定食を前に、連絡先を交換したての同居人にメッセージを送る。

『学くん、具合はどう? 朝見た時はまだ回復しきってなかったから、絶対無理しちゃだめだよ。今日は家事禁止。自室で寝て回復に努めてください。ご飯は私が作ります!』

メッセージの返信はすぐに来た。

『阿久津さん、お仕事お疲れ様です。正直もう熱も下がったし動けそうです。簡単なものであれば夕飯作っておきますが、どうでしょう?』

なおも家事をしようとする学に、阿久津は釘を刺す。

『まだ回復しきってないんだから簡単なものとかでも駄目だよ! 今日の学くんの仕事は寝ることです。もし約束破ったら、絵のモデルの件は無しで……』
『それは嫌です。わかりました、大人しく寝てます……』

自分でモデルと言うのは一般人の阿久津にとってはだいぶこそばゆい。そんなに勿体ぶるような大層なモデルでもないのだが、学がまた見ていないところで無理をしないようにわざと言ったのだ。

ひとまずこれで、学は今日1日大人しく寝てくれるだろう。枕元に飲むゼリーや軽食を置いてきた。順調に治ると良いが。

阿久津はホッと一息ついて学とのメッセージを終了し、今度はSNSを開いた。

昨日フォローした、「シュネッケ」という人物。これは、学が密かに自分の絵を公開しているアカウントだ。

絵のモデルをするにあたって、学がこのアカウントを教えてくれたのだ。シュネッケという名前は、ドイツ語で「カタツムリ」という意味だそうだ。

「僕引きこもりなんで、ピッタリかなと」

学は自虐的に笑いながら言っていた。アイコンには学が描いたカタツムリの殻のイラストが設定されている。古い文書や博物誌に載っていそうな、少し古めかしい感じの質感の絵。どうやって描いているのか、阿久津には全く分からない。でもなんだかコロンとしていて可愛らしくて好感が持てる。プロフィールの紹介文には「引きこもりです」と一言だけあった。

驚きなのは、シュネッケのアカウントのフォロワー数である。約2万人。ちょっとした有名人並みにフォロワーがいた。3年前にアカウントを開設して以来、せっせと絵を上げてきて、少しずつフォロワーが増えてきたのだという。

シュネッケこと学が1番最近絵をアップしたのは4日前。

色々な解釈ができそうな絵だった。大きな卵の殻を破って、1人の青年が顔を覗かせ出てこようとしている。その手を引っ張る誰かの手。見切れていて、誰の手なのかはわからない。卵から脱出しようとしているその青年の周りには沢山の目がある。真っ黒な空間に無数の人間の目。目だけが爛々と光ってその青年をまるで非難するように凝視している。

その絵には以下のようなコメントが付いていた。
「シュネッケさん新作お待ちしておりました!」
「最近の作品、なんか葛藤してるように見える。何かあったのかな?」
「引きこもりじゃなかったの? もしや外に出ようとしてる?」
「ちょっと作風変わりましたね。こっちも好きです」
「なんか深い意味は分からんけど頑張れ」
「同じく引きこもりです。この絵みたいに手を差し伸べてくれる人もいるけど、大体の人は偏見の目で見てきます。それが辛いですよね」
「相変わらず感傷的な絵で草」
「とりあえず意味深なもの描いとけばウケると思ってそう」

熱心なファンもついているが、アンチまでいかないにしても冷ややかなコメントもある。これぞSNSって感じだ。

こういうアンチコメントを見て辛くないのか、と阿久津が聞くと、学は首を横に振る。

「フォロワー5000人超えたあたりからこういうコメントがつき始めました。最初は驚いたしショックでしたよ。アカウント消そうか迷ったり、鍵アカウントにしたりしてました。
でも所詮顔の見えない相手ですし、相手も僕の顔を知らない。そんな関係性の人に色々言われても、SNSを閉じれば関係ないです。家族である父さんたちに非難される方がよほどこたえました。
それに、わざわざコメントしてくれるあたり本当に僕の絵が嫌いなわけじゃないんですよ、この人たち」

さすがSNS歴が長いと、スルースキルも備わっている。そして、ネットの悪口よりも学を傷つけている家族たちに阿久津は呆れた。

阿久津は学のその絵に「いいね」を押す。友達との交流用として作ってから結局放置していたアカウントであったが、こうして役に立つとは思わなかった。

絵のモデルになることを承諾したはいいが、一体どうやってやれば良いものか。何時間も動かないのだろうか。何か表情やポーズを作った方が良いのだろうか。分からないことだらけだが、このシュネッケの作風で自分のような平凡な人間の姿がどう描かれるのか、期待してしまう。

「何ニヤニヤしてんの」

星の声がして、隣の席にお盆が置かれた。阿久津は慌てて携帯を置く。