「あ、ここからは僕が1人で入りますので……!」

それまで熱に浮かされてぼんやりしていた学が、急に阿久津からパッと離れて言う。

「え、でも、大丈夫?」
「はい。大丈夫、で……」

言いかけた学は、バランスを崩してよろける。

「危なっ」

すかさず阿久津は学を支える。

「ご、ごめんなさい」
「やっぱり、心配だし部屋の中まで行くよ。大丈夫。プライベートな部分だから見ないようにするし、見たものは忘れる」
「でも……」
「今は非常事態だから」
「……分かりました。でも、びっくりしないでくださいね」
「うん」

許可を得た阿久津は扉を開け、初めて入る学の部屋へと足を踏み入れた。

自分の趣味のものや、あんまりこだわっていない家具類などを見られるのは阿久津も恥ずかしかったから学の気持ちは分かった。しかも、片付けていない時であれば余計に他人には入ってほしくないだろう。だが、学はそういうことでもないらしい。

部屋の中は思いの外がらんとして片付いていた。異性の阿久津に見られて恥ずかしいようなポスターやマンガなども意外に無い。中身が入ったゴミ袋がいくつか置いてあるのが目に入ったので、もしかすると最近片付けたのかもしれない。

とりあえず内部をあまり見ないようにして、学を部屋の端のベッドに運ぶ。

「よし、寝かすよ。学くん、頭気をつけて」
「はい。すみません……」

学をベッドに寝かせて、ふわりと布団をかける。学はよほど疲れていたのか、ベッドに横たわるとすぐに苦しそうな寝息を立て始めた。とりあえず一安心だ。あとは冷えピタやゼリーなどを買ってきてやらないと。と、その時であった。

「おっと」

格闘技経験者の阿久津も、長いこと成人男子を運んできたためか立ちくらみがして思わずよろけてしまった。背後に机のようなものがあり、倒れまいと本能的にそれを後ろ手に掴む。

「ふう、危ない危ない」

何とか転倒は避けられた。体制を立て直すため一瞬手元を確認すると、それは学の作業机のようであった。見る気は無かったが、そこにあったものが目に飛び込んできてしまった。

「え……これって」

髪を低めのポニーテールにした女性の絵だった。細めの眉、少し鷲鼻気味の鼻。なんとなく見覚えのある顔。絵の端には『阿久津さん』と走り書きしてあった。

「私……なのか」

正直、かなり美化されて描かれているので自信が無かったが、やはりそれは阿久津の似顔絵だった。本物の阿久津はもっと輪郭がゴツいし、こんなに目がキラキラしていない。

しかし、これってどういう意味なんだろう。

意味なんて無いか。ただ学は同居人の阿久津を絵の練習のために気まぐれに書いてみただけだろう。そもそも、部屋の中を見るな、と言われていたのだ。自分は何も見ていない。知らないふりをしなければ。そんなことより病人の手当の方が大事だ。

阿久津はざわつく胸を押さえつけて、学の部屋を静かに出ていった。