前を歩くフィルマンを気にしながら、時々後ろを振り返って確認する。東屋に残してきたマリアンヌの姿を。

 またレリアが困らせているんじゃないか、と思いつつも、視線は水色のドレスへと向かってしまう。
 普段の着飾っていない姿を見ているせいか、余計に目が離せなくなるのだ。

 あまりにも綺麗だから。

 すると、レリアが何か言ったのか、口元を隠しながらマリアンヌが笑った。
 ころころ笑う姿に、顔を緩ませていたらしい。フィルマンに声をかけられた。

「私たちはここで話そうか」
「ご配慮痛み入ります」
「そんなに畏まらないでくれ。レリアの話では、伯爵になるのだろう?」

 あのお喋りめ、と毒づきたくなった。が、立場上、俺から話題を振るのは難しい。
 そもそも王太子と会話できる身分じゃないのだ。これを皮切りにするのもいいだろう。

「爵位は継ぎますが、それでも伯爵です。王太子殿下に気さくに話していい身分ではないと思いますが」
「しかし、これからは他の貴族と話さなければならない。練習相手として、ちょうどいいとは思わないかい?」
「……そう言って、俺からレリアの話を聞く算段ですか?」

 王太子ほどの人間が、俺みたいな男と話をしたい理由はただ一つ。レリアだ。

 俺がレリアと同じ孤児院出身なのは知っているのだろう。だから、自分とレリアの馴れ初めを餌に、聞き出したいのだ。孤児院時代のレリアの話を。

 好きな相手、特に王太子のような人間に、気安く話せる内容じゃないのも分かる。
 ……まさかと思うが、それを避けるために、俺たちの話をしたんじゃないだろうな、あいつは。

「本当に君は頭の回転が早いな。伯爵になったら、王宮に来て私の手伝いをしてもらいたいくらいだ」
「……それは光栄です」

 社交辞令だと分かっていながら、思わず計算してしまった。

 旦那様が健在な内に、王宮で地盤を固めるのもいいかもしれない、と思ったのだ。
 領地経営の半分くらい引き受けてもらえれば、王太子の補佐を含めた王宮勤めは、無理をせずにできるだろう。

 だが、問題はマリアンヌだ。忙し過ぎて、一緒に過ごす時間が取れなくなるのは困る。
 マリアンヌのことだから、大丈夫だと言うかもしれないが、俺が大丈夫じゃない!
 一日一回は必ず会いたいし、会話もしたい。

 そもそもマリアンヌの『大丈夫』とか『平気』は信用できない、と旦那様から教えてもらったじゃないか。

 さっきみたいに寂しそうな顔で言われるのも、悪くないが……。

「是非、検討してくれ。とまぁ、前置きはこれくらいでいいだろうか」
「……はい。できれば仕事の話よりも、先にそちらの話をしていただきたいですね。俺としても、マリアンヌの希望に沿いたいので」
「分かった。だが君も、薄々気づいているのだろう。レリアと婚約するまでの道のりが、平坦ではなかったことを。故に先ほど、レリアが渋ったのも」
「そうですね。殿下には幼い頃から婚約者がいらしたことなど、さまざまな噂を耳にしましたから、おおよそのことは……」

 知っていた、とまでは言わずに、言葉を濁した。
 本当はマリアンヌとケヴィンからの情報で、だいたい見当がついていたからだ。

 マリアンヌからは、乙女ゲームという曖昧(あいまい)でありながら、信憑性の高い情報を。
 ケヴィンからは、貴族の屋敷に出入りしている者たちが聞いた噂話という、信憑性は欠けるが、確かな情報を。

「その聞いた噂では、殿下の婚約者だった方が、レリアをいじめていたそうですね」
「……すまない。私の配慮が足りないせいで、君にとっては家族のようなレリアを守れなかった」
「責めているわけではありません。そこらの令嬢と違って、あいつは逞しいですから」

 それでも多少は心配した。どこに行っても、孤児は(うと)まれる。

 マリアンヌや旦那様のお陰で、俺や孤児院の子どもたちは、あまり酷い扱いを受けることはなかった。そう、運が良かっただけで、現実は違う。

 いじめられることの方が多い。しかし、それはレリアだって分かっていたから、うまく対処したのだろう。
 なにせ、貴族の情報を買い取っていたと、ケヴィンから聞いたからな。
 それをどう使ったかなど、容易に想像できることだった。

「あぁ、君の言う通りだ。私が聞いたのはすべて事後報告のみ。報告書と証拠を渡されて、ただ一言『お願いします』と、頼まれただけだった。何とも情けないと思ったよ」
「その報告書はまだ残っていますか?」
「あぁ。すぐに捨てられるものではないからね。気になるのなら、見てみるかい?」
「是非」

 それで何があったのかはだいたい分かるし、マリアンヌとの情報と照らし合わせることもできる。

 何より安心するだろう。いや、レリアに同情して、余計不安になるかもしれない。
 でも、伝えると言ったからなぁ。

「では、写しをカルヴェ伯爵邸に届けた方がいいかい?」
「いえ、レリアに渡してください。連絡役の者がいるので、その方が安全かと」
「連絡役……ロザンナを追い詰めるのに一役買ったという者か」
「はい。そういった者ですから、信用はできます」

 ふむ、とフィルマンは頷いてみせた。

「分かった。そのように手配しよう。代わりに……」
「レリアの情報を聞きたいと仰るんでしょう。構いませんよ。何が聞きたいんですか?」
「そんなあっけらかんと言われると、緊張してしまうな。その、なんだ。レリアの好きな場所などは、あるだろうか」
「は?」

 その予想外な質問に、俺は相手が王太子だということも忘れて、失礼な返事をした。