「つまり、俺の代わりにレリアがバルニエ侯爵家に引き取られた、というわけか」

 エリアスはベッドに腰かけたまま、思案するように呟いた。けれど言い終わると、私に視線を向けて、答えを求める。

「うん、そうみたい。孤児院にエリアスがいないから、そのまま後継者となる人物を引き取らないって思ったんだけど。そういうわけにはいかなかったんだね」

 さすがに、エリアスの前でストーリー補正が働いた、とまでは言い辛かった。

「本当なら、エリアスがバルニエ侯爵になるはずだったんだけど。私のせいで……その、伯爵に……」
「爵位なんか関係ない。それこそ、リュカみたいに駆け落ちしたって構わないんだから」
「ダ、タメだよ。本当はエリアスが享受(きょうじゅ)すべき地位なんだよ。爵位は下がるけど」
「……さっきの話だと、俺は侯爵になって、マリアンヌと結婚するんだろう?」
「う、うん」

 改めて言われると、ちょっと恥ずかしい。

「一年後、俺たちはどうなっている?」
「どうって、結婚してエリアスは伯爵に……」
「マリアンヌは伯爵夫人だ。それこそ侯爵夫人じゃなくて悪いんだが。まぁ、結果としては大して変わらない。そうじゃないのか?」

 結果論としてはそう、なんだけど……。

「四年前。ううん、二年前、エリアスの気持ちを受け入れるまで、私は諦めなかったんだよ。エリアスをバルニエ侯爵に会わせることを!」
「……だから、すぐに返事をしなかったってことか?」

 あれ? 何だろう……怒っている……? というより、地雷を踏んじゃった?

「だって、エリアスの未来を変えたのは私なんだよ。それなのに受け入れたら、エリアスをカルヴェ伯爵家に縛ることになる。だけど私だけじゃ、バルニエ侯爵を探すことはできなくて……」

 何の接点もないのに、邸宅の使用人を使って、バルニエ侯爵の情報を探るのは難しい。下手をすると、お父様の耳に入ってしまうことだってあり得る。

「それに当時は、本物のマリアンヌと入れ替わったことを悟られないようにしたり、貴族令嬢の生活に慣れるようにしたり、と一杯一杯だったから」
「……マリアンヌが器用な人間じゃなくて助かったよ」
「ううっ」

 反論できない。

「仮に、リュカに頼んでいたら、バルニエ侯爵を探し出せていたかもしれない」
「え?」
「でも、バルニエ侯爵はどんな反応を示す? マリアンヌを好意的に受け入れるか?」
「そこはさりげなくお近づきになって……」
「ニナさんが許すと思うか?」

 私は首を横に振った。

 叔父様やポールの件が片づいていない状況で、見ず知らずの男性に会うのは危険だ、とニナは思うだろう。隙を作ることにもなるし、何が起こるのかも分からない。
 私がニナの立場だったら、同じ判断をすると思う。

 それに、周りに心配をかけてまで会いたい人物、かと問われれば、違うと答えるだろう。エリアスはその未来を知らないから、結局のところ、私の自己満足でしかないのだ。

 今なら、それが分かる。

「第一、俺が望んでいない。別の家に養子に入ったら、何のためにカルヴェ伯爵家に来たのか分からないだろう」

 途端、顔が一気に熱くなり、両手で(おお)った。

「それに旦那様との取引も危うくなる」
「取引?」

 指の隙間からエリアスを覗き見る。

「何かしらの成果を果たせたら、マリアンヌと結婚させてほしい、と伯爵邸に来てすぐにしたんだ」

 そういえばお父様からそんな話を聞いたような……じゃなくて、すぐ!?

「まぁ、図らずとも俺は、マリアンヌの望み通りに動いていたってわけだ。それなのにマリアンヌは、まだグダグダ言うのか?」
「っ……エリアスの努力にケチなんてつけないわ。つける資格だってない。エリアスのお陰でお父様は健在だし、私だって……」

 ゲームのエンディングのような未来が待っている。

「なら、何が不安なんだ?」
「不安……乙女ゲームに出てこなかったレリアの人生を変えてしまった、ことよ」
「乙女ゲーム……確か『アルメリアに囲まれて』だったか?」
「うん」

 タイトルになっているアルメリアとは、花の名前だ。小さな花が集まって、まるで花のかんざしに見える、丸い可愛らしい花。

 ゲームのパッケージイラストでも、白いワンピースを着たマリアンヌが、ピンク色のアルメリアを持っていた。
 キャラクターたちの行動原理が、花言葉とリンクするようになっているのだ。

 王子(フィルマン)の『同情』
 侯爵(エリアス)従兄弟(ユーグ)の『共感』
 使用人(リュカ)商人(ケヴィン)の『思いやり』
 ヒロイン(マリアンヌ)の『心づかい』

 といった感じに。

「王太子……王子ルートは、彼の婚約者が主催するお茶会で、マリアンヌと出会う。王子の婚約者から嫌がらせを受けたマリアンヌは、お茶会から退出せざるを得ない状況になって。その時、王子から声をかけられるの」

 陰湿ないじめがあったことなど知らない王子は、泣きながら退出するマリアンヌに『同情』して、

『どうしたんだい? そんなに泣いて』『こっちで少し休むといい』

 優しく声をかける。そこで王子の申し出を受けると王子ルートに入り、断ると侯爵ルートに入るのだ。

 そんな場面で優しく接せられたら、「ありがとうございます」を選んでしまうのは仕方がないと思う。不可抗力がなくても。
 これが侯爵ルートを、うっかり見逃してしまう原因だった。

 ちなみにここで「大丈夫です」と断った後、王宮の廊下で侯爵に出くわすイベントが発生する。人気のないところで、侯爵の胸を借りて泣くマリアンヌのスチル付きのイベントが。

 侯爵も貴族社会で嫌がらせを受けていたことから、マリアンヌに『共感』して二人は――……。

「待て、何で王子の婚約者から嫌がらせを受けるんだ」
「……彼女の取り巻きにオレリアがいたのよ。マリアンヌがお茶会に呼ばれる前から、カルヴェ伯爵令嬢という立場で、王宮に出入りして、その座を得たらしいわ」

 オレリアは裏で、王子の婚約者を(そそのか)して、マリアンヌをいじめていた。だからそのお茶会も、始めからマリアンヌを(おとしい)れるために用意されたものだったのだ。

 しかし、それを今、エリアスに言うのは(はばか)られた。何故なら、すでに青筋が立っているのが見えたからだ。

「やっぱりオレリアの処遇は甘かったんじゃないか」
「エリアス。これはあくまで、ゲームの中の、それも王子ルートの話なんだよ。現実で起こった話じゃないんだから」
「当たり前だ! そんなことがあったら――……」
「あったら?」
「……何でもない」

 多分、物騒なことを想像していることだけは分かった。

「それよりも気になることがあるの」
「……マリアンヌ」

 そんな捨てられた子犬みたいな顔をしないで。
 起きてもいない事象に対して、勝手に怒っている方が悪いんだから。

「レリアが王子……じゃなかった王太子の婚約者になったこと。さっきも言ったけど、王太子には婚約者がいた。……それによってゲームと同じように断罪イベントを起こしていたのか、それが気になるの」

 穏便に婚約者の座を得たとは思えない。恐らくレリアは、私の代わりにゲームを進めていたのだろう。