ハイルレラ修道院の中庭は、ここで生活をするシスターや修道女の(いこ)いの場なのだろう。

 綺麗に整えられた芝生。花壇に植えられている植物の色合いは、どれも計算された美しさがあった。
 緑の中に映える、赤や黄、白の花々が並び。背の高い花と合わせた花壇も見受けられた。

 そんな花々に彩られた花壇の間に、等間隔に木が植えられていた。今は春だから、日差しが強くないけれど、夏は強い日差しが中庭を照らすのだろう。
 少しでもそれを抑えるために、植えたんだと思う。木の影がかかるのは花壇だけではなく、ベンチも含まれていたから。
 人も花も、強い日差しは体に良くない。そんな配慮が(うかが)えた。

 だから、エリアスは意外と近くにいたのだ。
 それも、隣のベンチのすぐ傍にある木の下。腕を組みながら背を預けている、その姿がまた絵になるものだから、嫌になってしまう。
 そう、まるで乙女ゲームのスチルのような光景だったからだ。

 全く関係がなかったら、そのまま眺めていたい、と思っただろう。しかし、私はこれから別の場所に行くよう、エリアスに言いに行くのだ。
 それもただ言うのではなく、説得だった。

「マリアンヌ」

 声をかける前に私の姿を捉えたエリアスは、嬉しそうに近づいてきた。
 多分、話が終わったのだと勘違いしたのだろう。

 気のせいかな。エリアスが大型犬のように見えてくる。
 思わず、待て! と言いそうになった感情を飲み込んだ。

「あのね、エリアス。お願いがあるの」
「……礼拝堂にも馬車にも行きたくない。行くならマリアンヌと一緒がいい」
「どうしたの? らしくないわよ、エリアス。オレリアが嫌なら、どうしてここに来ることを承諾してくれたの?」

 もう二年前のようなことは起こらない。馬車でそう言っていたじゃない。

「あの時は大丈夫だと思ったんだ。だけどオレリアを見ると、マリアンヌが蹴られたことや、毒を飲まされたことが、脳裏にちらついて」
「だったら余計、距離を置いた方がいいと思うんだけど」
「ダメだ。その間、マリアンヌに何かあったらどうするんだ。さっきだって、オレリアに抱き着いて。俺がどれだけ――……」
「抱き着くのが心配なの?」

 言っていること、おかしくない?

「いや、その……」
「エリアス?」

 距離を詰めると、小さな声で答えてくれた。それはもう恥ずかしそうに。

「……羨ましかったんだ」
「抱き着かれるのが?」

 口元を手で隠し、目線も逸らしながら頷くエリアス。

「ご、ごめんなさい。気がつかなくて」

 ちょっと恥ずかしかったけど、私はエリアスの背中に手を回した。

「いや、そっちじゃなくて」
「そっち?」

 どっち?

「体じゃなくて、腕がいい」
「え!」

 腕! あっ、確かにオレリアの腕に抱き着いた。でも、あれはオレリアだったからで。
 エリアスにするのは、ちょっと……恥ずかしい。

「ダメ?」
「そう、じゃない、けど……ここで?」

 今度は目で、同じ言葉を投げかけてきた。

「ここは、修道院だから、その、控えてって言われたじゃない。だから……」
「今、抱き合っているのはいいのか?」

 私はハッとなって、腕を離した。距離をとっても、エリアスはその矛盾を追求しない。

 多分、この場にいることが、エリアスの望みなのだろう。腕に抱き着いてほしいという要求は、二の次。

 あれもこれもはダメだよ、エリアス。

「分かったわ。首都に帰ったら、邸宅の庭を散歩しましょう。その、腕を、組みながら……」
「だから、要求を呑んでくれってことか?」
「うん」

 さすがは話が早い。でも、答えを出すのは遅かった。

 沈黙が、私たちの間を流れた。

 そんなに悩むことなら、取り消そうかな。我慢すればいいことだし、オレリアには説得できなかったって言えばいいのだから。
 今のオレリアなら大丈夫。許してくれるわ。多少のお小言はありそうだけど。

「礼拝堂」
「え?」
「礼拝堂で待っているから、終わったら来てくれ」
「うん。ありがとう、エリアス」

 譲歩してくれて、と微笑んだ。


 ***


「相変わらず甘いわね。色んな意味で」
「わぁ! いきなり後ろに立たないで、オレリア」

 エリアスの背中に手を振りながら、一仕事を終えた気分でいたからだろう。私はオレリアの声に驚いた。

「後ろじゃなくて、横よ。それに何? あんたも私を警戒しているの?」
「ち、違うわ。ビックリさせないでっていう意味!」
「そう。ならいいけど」

 オレリアはそう言うと、近くのベンチに座った。

「エリアスってあんたでも扱い辛いのね」
「やっぱりそう見える? 普段は頼りになるんだけど、ちょっと過保護というか。そういうところがあるの……」
「ふ~ん。私はパス。そんな面倒な男。だから安心しなさい。エリアスを狙うなんて、あり得ないんだから」

 これは、励ましてくれているのかな。

「何よ」
「ううん。何でも……じゃなかった。オレリアに渡したい物があったの」

 ニナに目線を送ると、鞄を渡してくれた。中から、ラッピングされた、長方形の包みを取り出した。
 包みとは語弊(ごへい)があるかな。厚みがないから。

「これは?」
「プレゼント。といっても、栞なんだけど」
「開けてみてもいい?」
「勿論!」

 凄い! オレリアが。あのオレリアが私に許可を求めた。ヒロインの私に!

「もしかして、スイートピーの押し花?」
「う、うん。押し花にすると、咲いていた時と若干印象が変わっちゃうんだけど。一応、スイートピーなんだ」

 咲いている時は、ふわふわしていて可愛い花なんだけど、それをそのまま押し花にすることはできない。
 だから、乾燥したスイートピーを、咲いていた時のように置いて、リボンを付けてみた。花束のように見せたくて。

「どうかな。オレリアの髪が紫色だったから、スイートピーも同じ色にしてみたの。あと、花言葉がね」
「知っているわ。永遠の喜び、でしょ。そういう言葉は、あんたにピッタリよ」
「ピッタリじゃなくて、そうなってほしいっていう意味で、オレリアにあげたいの」

 何も似合う花ばかり、選ぶ必要はない。望んだっていいと思うの。
 オレリアに“永遠の喜び”を。悪役令嬢役との“別離”と、新たな“門出”を祝して。

「そ、そういうことなら、有り難く受け取るわ。……前の栞がボロボロになってしまったから」
「前のって、もしかして……」
「二年前に貰った、ゼラニウムの栞よ。あれ緋色だったでしょう。花言葉を知っていて選んだの?」

 緋色のゼラニウムの花言葉は憂鬱(ゆううつ)だ。ゼラニウム自体は、尊敬や信頼だったから、できればそう受け取って欲しかったんだけど。

「うん。でも、オレリアに似合う色だと思ったから、ね?」
「……まぁ、そういうことにしておこうかしら」
「ははははは」

 私は笑って誤魔化した。あの時、エリアスにも言えなかったんだけど、そんな皮肉を込めていたなんて知られたら、ヒロイン失格だからね。


 ***


 オレリアへの用事を終えた私たちは、エリアスの待つ礼拝堂に向かっていた。

「ふ~ん。エリアスが養子にねぇ」

 その道中。今度は私の近況について話をした。

「オレリアは、エリアスが伯爵になるのは不満?」
「そういう意味で言ったわけじゃないわ。多分、そうなるだろうとは思っていたから」
「良かった。修道院に入ったからといっても、オレリアはカルヴェ伯爵家の一員だから。反対していたら、どうしようって思っていたの」
「……気にし過ぎよ」

 短時間だったけど、私とオレリアは、ヒロインと悪役令嬢ではなく、仲のいい従姉妹になれたように感じた。
 だから油断していた。このまま、何もかも上手くいくって、思い込んでしまったのだ。

「ここが礼拝堂よ」

 オレリアが扉を開けてくれる。その喜びのまま、礼拝堂を見渡した。

「……エリアス?」

 茶色い髪の青年の傍に、青い髪の女性がいた。それも、仲が良さそうに話している。

 ……誰、なの?