キトリーさんから、お母様の幼少期からお父様と結婚するまでの、長いようで短い話を聞いた。
 あまり、時間が取れないことは、キトリーさんも分かっていたのだろう。かいつまんで話してくれた。

「聞きたくなったら、また来ればいいよ。私はいつでも待っているからさ」

 別れ際に、とても温まる言葉をかけられた。

 さすが乙女ゲームのヒロイン。愛されているなぁ。ううん。多分、私がお母様に似ているからだと思う。お父様もよく「イレーヌに似て」って言っていたから。
 キトリーさんも、私を通してお母様を見ていたんじゃないかしら。

 その気持ちのまま帰宅した私は、お父様の執務室を訪ねた。けれど忙しいらしく、ポールに入室を拒まれた。

 ほんの少しの時間でさえも会えないくらい忙しいのなら、と私は大人しく自室に戻った。
 その数時間後には、部屋にエリアスが来る。お父様には会えなかったけど、エリアスがいるもの。
 大丈夫。寂しくなんてない。

 けれど、いつも来る時間になってもエリアスはやって来なかった。


 ***


 なんで。どうして。これまで数十分の誤差はあっても、だいたいこの時間に来るのに……。

「エリアス……」

 一時間以上経っても、部屋の扉はノックされなかった。

 何かあったのかな。来られないくらい大怪我をしたとか。
 ううん。それならむしろ、誰かが連絡に来るはず。

 もしかして、浮気?
 ……これも多分違うと思う。昨日のエリアスの様子だったり、ケヴィンの話を聞いたりした中には、そんな可能性は微塵もなかった。

 じゃ、なんで。用事が長引いている、とか?

 どうしよう。様子を見に行こうかな。ダメダメ。お父様に禁止されているから行くのは……ダメ。

 でも少しくらいなら、と私は扉に近づいた。ドアノブに手を伸ばす。
 触れた瞬間、まるで静電気が発生したかのように手を引っ込めた。

 落ち着け。こういう時こそ、選択肢じゃない!

 1,ちょっとだけ出て、様子を見に行く
 2,テス卿に様子を見てきてほしいと頼む
 3,行く

 結局、部屋の外に出る選択肢しか出てこなかった。二番だって、テス卿の目を盗んで行くことだってできる……。
 ……一番くらいなら、お父様にはバレないわよね。テス卿は告げ口をするような人じゃないし。
 うん。そうしよう。

 再びドアノブに手を伸ばし、そのまま引いた。

「……お嬢様。この時間は……」

 扉から顔を出した私を見て、テス卿は驚かなかった。多分、テス卿もエリアスがなかなか来ないことに気づいているのだ。

 それもそうだ。テス卿は私の護衛で。エリアスに関することでは、監視の役割を担っていた。

 戸惑った様子のテス卿を見て、罪悪感を抱きながらも、私は体を前に出して扉を閉めた。

「お願い。ちょっとでいいの。ちょっとでいいから、様子を見に行かせて」
「……もう少しだけお待ちになっては如何ですか? エリアスはやって来ますから」
「宿舎まで行くつもりはないの。その先まででいいから、お願い」

 廊下を指差して懇願(こんがん)する。

「……私の目の届く所までなら」
「ありがとう、テス卿!」
「お嬢様! 走らないでください! 危ないですよ!」

 テス卿に注意を受けても、私は聞こえない振りをした。

 だって、こんなの走った内には入らないもの。

 小走りで廊下にある窓の外を、一つ一つチェックした。
 廊下は一直線。誰がどう見ても、エリアスの姿はない。探すとなると、窓の外を見るしかなかった。

 すっかり暗くなった外に、室内の明かりが(わず)かに差し込む。こちら側と向こう側の光で、中庭の草木が薄っすらと分かる。
 勿論、そこにエリアスはいない。私が見ているのは、その奥。建物だ。
 暗ければ暗いほど、漏れる光を通して建物の中が見えていた。
 それを頼りに前へと進んでいく。

 エリアス!?

 茶色い髪の男性の姿にハッとした。しかし、男性が横を向いた瞬間、落胆する。

 そうよね。邸宅内に茶色い髪の男性なんて、他にもいるもの。エリアスだけじゃない。

「マリアンヌ?」

 歩みを止め、窓の手すりに触れた時だった。名前を呼ばれて振り向くと、廊下の角にエリアスがいた。

「っ!」

 エリアスっ! そう名前を呼んだつもりだった。けれど、廊下に響かない私の声。代わりに聞こえたのは足音だった。

 駆け寄り、そのままの勢いで抱きつく。背中に回る温かい感触。聞こえる心臓の音。強く抱き締めていた腕が、安心と共に段々弱くなっていった。

 それでも互いの体が離れないのは、私の代わりにエリアスが引き寄せてくれたからだ。

「マリアンヌ、ごめん」

 私は首を横に振る。
 だって、エリアスの心臓の音が速かったから。息は切らしていないけど、急いで来てくれたことが分かる。

「とりあえず部屋に入ろう。ここだと他の人の目もあるから」

 エリアスは私の肩に手を乗せた。

 離そうとしている。その意図に気づいて腕に力を込めると、エリアスの手は肩から背中に回り、足へ。一気に抱き上げた。

 横抱きにしようと、持ち上げられた足の下にある腕が移動する。私はエリアスの首に腕を回し、再び首を横に振った。

 このままがいい、と無言で訴える。

「……分かった」

 十九歳になったエリアスは、さらに背が伸び、力も増したようだった。ちょうどお母様のことで、四年前を思い出したからかな。

 でも、言葉が出てこなかった。

 会うまで色々なことを考えて、色々なことを想像して、言いたかった言葉がいっぱいあったのに。

 エリアスのあの顔を見たら、全て吹き飛んだ。驚いた表情はしかたがないけど、私と同じように会いたかったと語っていたから。

 一日振りで、たった数時間過ぎただけなのに。こんなにも会えないことが、もどかしいなんて。
 ケヴィンにからかわれても、もう否定できそうになかった。