マリアンヌの容態が落ち着き、あとのことをエリアスに任せて、私は部屋を出た。

 医者が言うことには、即死性のある毒ではなかったため、エリアスが所持していた一般的な解毒剤で応急措置ができたという。
 なぜ解毒剤を持っていたのか、そのことについてエリアスを追及したいところだが、今はそうしている場合ではない。
 やることが山程あったからだ。それも早急に片付けなければならない二つの案件があった。

 一つ目は領地に向かっているオレリアだ。予定していた日よりも早く帰ることをまず疑うべきだった。
 この日にマリアンヌが毒を飲んだことと、恐らく関係があるのだろう。
 早馬(はやうま)を出して引き返させなければ。確実に何か企んだに違いない。そういうところも含めてオレリアはアドリアンによく似ていた。
 オレリアがマリアンヌを。そしてアドリアンは私を殺そうと企んでいるところが特に。

 二つ目はリュカのことだ。ユーグに監視を指示したから、すぐに戻る必要がある。
 リュカが強硬手段に出れば、ユーグが防げるとは思えないのだ。
 ニナの話から、エリアスに対抗して力をつけている、とか。

「どっちも、急がなければならないというのに。ポールはどこにいる!」

 近くにいた使用人に聞いた。普段は怒鳴らないせいか、驚いた表情が返ってきた。

「旦那様の執務室へ行くのを見かけました」
「別の場所で見つけたら、私が呼んでいたと言え」
「かしこまりました」

 全く執事という自覚はあるのか! 我がカルヴェ伯爵家の由々しき事態だというのに。とにかく今は執務室へ向かわなければ。早馬を出す手配の方が先決だ。


 ***


「旦那様、お嬢様の容態は大丈夫なのですか?」

 執務室の前にいたポールが、私の姿を確認すると駆け寄ってきた。言葉から察するに、マリアンヌが毒を飲んだことを誰かに聞いたのだろう。

「安定して今は眠っている」
「それを聞いて私も安心しました。ではなぜ旦那様はこちらに? お嬢様の傍にいるべきではないのですか?」
「マリアンヌはエリアスに任せてきた」

 十七歳の少年に、最愛の娘を託すのはおかしいと思うだろう。
 しかし、孤児だった十五歳の少年が、伯爵である私に向かって、堂々とマリアンヌが欲しいと言ってきたのだ。それに(にな)った働きと努力を、この二年間見てきた。

 始めはマリアンヌを利用しようと近づいてきた、と疑ったこともあった。が、息子がいなかったせいもあるのだろう。
 屋敷で時折見る二人の姿に、段々エリアスが不憫に感じるようになった。

 ニナの話では、マリアンヌはエリアスに想いを告げるのを躊躇(ためら)っているらしい。その理由は定かではないが、頑なに。
 エリアスも催促しないという。

 だからこそ、今日マリアンヌから話を聞いて、嬉しくもあり寂しさもあった。

「もしやオレリア様を疑いで? 飲ませたのはリュカでしょう」
「だったら、なぜ今日オレリアは帰った? まだ滞在期間は残っているし、ユーグもいるんだぞ」
「オレリア様は女性です。年齢はユーグ様より上ですが、ホームシックになってもおかしくないと思われます」
「そうであっても、引き返させることに問題はないだろう」

 私はすぐに扉を開けて、執務机に向かった。引き出しから紙を取り出し、ペンを取る。

「お待ちください。オレリア様を引き返させるよりも、むしろ旦那様が領地に行くのは如何でしょうか」
「私が直接オレリアを追いかけた方が、早いとでも言うのか」
「はい。それに、オレリア様がもしやったとしても、まだ十六歳です。アドリアン様の指示かもしれません。仮にそうだとしたら、領地に言ってお二人を追及された方が良いのではないでしょうか?」

 ふむ、と顎を掴んで思案する。確かにオレリアはまだ保護者が必要な年齢。無理やりアドリアンを道連れに出来るかもしれない。

「……そうだな。だが、領地から逃げられる恐れもある。やはり早馬を出しておくか」
「それがよろしいかと思います」

 ささっと、紙に要件とサインを書いてポールに渡した。

 これでオレリアの件は、一先ず大丈夫だろう。次はリュカの方だ。


 ***


 使用人宿舎のリュカの部屋に戻ると、エリアスがマリアンヌを連れて行った時の光景のままだった。違うと言えば、ユーグがベッドの上に座っていることだけだ。
 さすがのユーグも、血が付いた椅子に座りたくはないのだろう。

「伯父様」

 私の姿に気がついたユーグが立ち上がり、近づいて来る。代わりに、床に(うずくま)っていたリュカは体を震わせるだけで、顔を上げなかった。

「任せてしまって済まなかったな」
「いえ。それで、あの……」

 何を聞きたいのかは分かっている。マリアンヌの容態だろう。だが、ここにはリュカがいる。まだ話すには早い。

 私がリュカに近づくと、なぜかユーグが割って入ってきた。

「すぐに治安隊に引き渡すのは待っていただけないでしょうか。その、リュカと話をしてもらいたいんです」
「無論、すぐに治安隊に引き渡すつもりはない。あったら、治安隊を引き連れて来るとは思わないのか」
「あっ、そうですね。すみません」

 この部屋にいるせいか、怒りの感情が自然と表に出てきてしまうようだ。
 なるべく感情的にならないように、蹲るリュカの元へ向かった。もうユーグは邪魔をしなかった。

「リュカ、黙秘は許さない。いいね」
「はい。旦那様」
「まず、なぜマリアンヌに毒を飲ませた」
「信じてもらえないかと思いますが、毒だとは思わなかったんです」
「毒ではなかったら、何を飲ませようとした」

 リュカの体がビクッと跳ねた。

「……媚薬を。オレリア様が……ユーグ様とお嬢様を……婚約させたくなかったら、と」
「だが、中身は毒だった、というわけか」
「申し訳ありません! 僕……お嬢様を……」

 そう言ったのと同時に、リュカは(ひざまず)いて謝った。だからといって、私の怒りが収まることはない。
 けれど、これでオレリアの犯行だと立証することができる。そう考えると、一つ気になることがあった。

「これはオレリアが仕組み、リュカがすべて根回しをしたのか? お前は今日、オレリアと共に領地に行くはずだっただろう。それをどうやって欺けた」
「ポ、ポールさんが、すべて手配してくれました。僕がやったのは、お嬢様が部屋に来るよう手紙を渡しただけで」
「ポールだと!」

 いや、ポールなら従者の一人を別の誰かとすり替えることができる。
 急にリュカの体調が悪くなり、馬車に乗れなくなったと言っても、誰も疑う者はいないだろう。
 それも、私に内密にすることなど。リュカの過失になるから、黙っているように口止めさえできてしまう。

「繋がっていたというのか、オレリアと。いや、アドリアンと」
「僕はそう思います。前々から計画していたような、そんな周到さを感じました」

 もしや、マリアンヌの誘拐騒動もポールが? イレーヌの死も。そうなると、辻褄が合う。
 あぁ、今すぐに調べたいが、そんな時間はない。

「伯父様はこれからどうするんですか? ポールを追求するんですか? それとも姉様と父様を先に?」
「早馬でアドリアンたちを逃がさないように手配した。が、それをポールに頼んだ以上、期待できん。私が早々に領地に行くしかないだろう」

 早馬で、逃走するよう助言する可能性が出てきてしまったからだ。

「では、僕も行きます。リュカを連れて行くことを許可してもらえないでしょうか」
「リュカを……あぁ、そうか。いいだろう。だが、私は急ぐから、お前たちはあとから来なさい」
「ありがとうございます」

 ユーグはそう言った後、リュカに近づいて肩に手を乗せた。
 安心したリュカの顔を見て、どうやら私が来る前に、ユーグが説得したんだと推測できた。

「ユーグ。私は邸宅を出てしまうから、ポールには十分気をつけなさい。それから、このことをエリアスにも伝えるんだ。できるね」
「はい、できます」

 良い返事だと私はユーグの頭を撫でて、部屋を出て行った。
 次に向かうのは、厩舎(きゅうしゃ)だ。ポールに命じて用意させるのは危険でしかない。


 ***


 そうして入念にチェックした馬車に乗ること三時間。私は馬車ではなく、馬に乗るべきだった、と後悔した。

 三時間もあれば、今頃領主館の近くまでたどり着いていただろう。
 街中を馬で走っていたら、何事かと思われるから控えたことが、むしろ仇になったとは。
 首都での生活が長過ぎたせいだろうな。

 イライラが募り、馬車に乗ってからもう何度目かになるため息を吐いた。
 窓に目を向けると、首都の郊外を抜けたらしく、緑一面だった。
 時間はすでに夕暮れ時。それにもかかわらず、森は青々と茂っているせいか、その光が届いていないようだった。が、暗いことには変わらない。

「領地に着くのは夜になりそうだな」

 再びため息を吐いた時だった。馬車が大きく揺れたのは。

「どうした」

 理由もなく止まる馬車。車外から聞こえる悲鳴。
 何が起こっているのか、あらかた予想ができた。

 私はこれから自分の身に起こることよりも、邸宅に残してきたマリアンヌが心配になった。