オレリアを部屋まで送り届けた後、俺は急いで庭園に向かった。けれど、東屋にはすでにマリアンヌの姿はない。

 オレリアの言葉が、繰り返し脳裏に浮かんでくる。

『あの子をエリアスのものにできる方法があるの。試してみたくない?』

 オレリアが提案した方法は、媚薬か惚れ薬のような(たぐい)のものだろう。貴族令嬢の婚姻は、純潔を大事にする、と聞いたことがある。だから“ものにする”、ということは、そういうことなのだろう。

『リュカにも同じ提案をしたわ』

 それが本当なら、あの時マリアンヌの傍から離れるべきじゃなかったんだ。マリアンヌとユーグの婚約を阻止するためとはいえ、その前にリュカに取られでもしたら……!

 俺はそのままの足で、マリアンヌの部屋を目指した。オレリアと一緒に東屋で姿を確認してから、あまり時間は経っていない。

 どうか、部屋にいてくれ!


 ***


「マリアンヌっ!」

 扉を開けるのと同時に、俺は気持ちを抑え切れずに叫んだ。それはほぼ、願いにも等しい。

「エ、エリアス!?」

 部屋を見渡すよりも先に、聞きたかった声が返って来た。嬉しさのあまり、そのまま駆け寄って抱き締める。

 良かった。部屋にいてくれて。

「どうしたの? まさか、オレリアと何かあったの?」

 何かあったのは、マリアンヌの方だろう。

「リュカと何もなかったか?」

 俺は体を離し、マリアンヌの肩を掴んで、少しだけ距離を取った。マリアンヌの表情を見た後、頭の先からつま先まで、念入りに確認する。

 髪も服も、別れる前と同じで、乱れた様子はない。

「何もないよ」
「本当か」

 今度はマリアンヌの両頬を包んで、詰め寄る。

「本当よ。お茶会の時間が迫っていたから、あのまま東屋まで送ってもらったの」
「その後は?」
「後? お茶会の帰りなら、途中までユーグと一緒にいたわ。その間、リュカとは会わなかったけど。あっ! 部屋まではニナが送ってくれたから大丈夫」
「……リュカとは会っていない?」
「うん」

 ホッとする俺とは裏腹に、マリアンヌはオロオロとしている。

「エリアスは? 何もなかったの?」

 あぁ、そうか。俺は自分のことばかりで、さっきの質問に答えていなかった。

 マリアンヌに腕を掴まれ、両頬から手を離した。

「……明日、カルヴェ伯爵領に帰る際、一緒に行かないか、と誘われた」
「えっ!?」

 オレリアとユーグの父であるアドリアンは、旦那様と違い、次男であったため、爵位を継ぐことはできなかった。
 そんな貴族の次男坊たちは、他家へ養子に入るか、騎士団に入るかなど、それぞれの道がある。

 アドリアンが選んだのは、旦那様に代わって領地経営をすることだった。まぁ、経営不振に(おちい)らせてからは、旦那様がそっちもこなしている、というわけだが。

 そんなわけで、アドリアン一家はカルヴェ伯爵領に住まいがある。

「リュカと交換してほしい、と言われたんだ」
「あっ、それでリュカが忙しくなるって言っていたのね。じゃなくて、エリアスは何て答えたの? もしかして……」
「断ったに決まっているだろう!」

 マリアンヌの体が少しだけビクッと跳ねる。俺が慌てた仕草をすると、顔をふにゃっと笑って、体に触れてきた。

「ごめんなさい。ちょっとビックリしただけで、本当は嬉しかったの。誘いを断ってくれたのが」
「行くわけがないだろう。俺はマリアンヌの護衛なんだから」

 本当は従者だが、傍を離れられない理由としては妥当だった。すると、マリアンヌが突然、俺の腕の中に入って来た。
 体が密着するほど距離を詰められ、俺も背中に腕を回す。

「そうだね。でも、オレリアは美人だから。スタイルも良いし、胸だって……」

 そう言いながら、俺の服をギュッと掴む。

 もしかして、嫉妬しているのか。

「私の護衛じゃなかったら、ついて行きたいって、思ってもおかしくないでしょう?」
「それは誘いを受けた方が、マリアンヌは良かったってこと?」
「ち、違うわ! 私は、その……」
「何?」

 その先の言葉を促した。背中を優しく撫でて、髪を掻き上げる。

「護衛を、言い訳に……してほしくなかった、だけで……」
「ごめん。マリアンヌの傍を離れたくなかったんだ。好きだから」

 マリアンヌの体が再度、小さく跳ねた。

 あぁ、もうダメだ。こんなに可愛くされたら。

「マリアンヌ。ずっと待っていたけど、もう限界なんだ。そろそろ返事が聞きたい」

 服を握る手に力が入るのを感じた。抱き締めている体も、固くなっている。

 やっぱり今回も無理だろうか。

「わ、私も、エリアスが好き」
「本当に?」

 思わず体を引き離して確認をする。真っ赤に染まるマリアンヌの顔に確信を持ったが、もう一度聞きたくて尋ねた。

「マリアンヌ。本当に俺のこと……」
「好きなの! エリアスが!」

 目を瞑って、懸命に言う姿に居ても立っても居られず、俺はマリアンヌを抱き上げた。

「エリアス!?」
「ごめん、嬉しくて」

 横抱きにしたまま、ソファに座る。勿論、マリアンヌの足から靴を脱がすのも忘れずに。

「もう一回聞きたい。ダメ?」

 本当は何度だって聞きたい。ずっと待っていた言葉だから。二年間、ずっと。

「ダメなら、マリアンヌからキスしてほしい」
「えっ!?」
「どっちでもいいよ」
「に、二択しかないの?」
「うん」

 本当は、どっちもほしいんだから。