「何があったのか、ニナから聞いたが……」

 突然現れた旦那様は、そのままマリアンヌを抱き上げると、僕とエリアスに視線を向けた。

 睨んでいるように感じるのは仕方がない。旦那様は昔から、奥様によく似たマリアンヌを溺愛しているから。あんな姿を見れば、怒るのは無理もなかった。

一先(ひとま)ず、二人は部屋から出なさい。あとで個別に弁明の機会をあげるから、それまで自室で反省すること。いいね?」
「「はい……」」

 そうして僕とエリアスは、部屋から追い出された。その間マリアンヌは、一度もこちらを見ることはなかった。


 ***


 翌日、旦那様から呼び出しを受けた。他の使用人の話から、エリアスは昨日の夜に呼び出されていたことを聞いた。どうして僕が後なんだ。

「失礼します」

 執務室の扉を開いた。中には、旦那様は勿論だが、意外な人物がいた。

「お嬢様……」

 良かった。もう会えないかと思ったのに。許してくれたのかな。

 駆け出したい気持ちを抑えながら、視線を旦那様に戻した。

 さすがにマリアンヌを、じっと見るわけにはいかない。表情は読めなかったが、失態を重ねるわけにもいかず、旦那様の言葉を待った。

 どのみち、叱られる姿をマリアンヌに見られるのなら、少ない方がいいから。

「リュカ。まずマリアンヌに言うことがあるだろう。先に済ませてもらえるかな。私の話はその後にしよう」
「っ! ありがとうございます」

 旦那様に頭を下げた後、執務机の横に体を向けた。普段は置かれていない、その椅子に座っているマリアンヌを見据える。その表情はもう、怯えたり怒ったりしているような色はなかった。

 ホッとしつつ、その場で声をかける。まだ近づいちゃいけない。

「お嬢様。先日はすみませんでした」
「ううん。私も悪かったから。だから、その、あの時、言えなかったから、これ……」

 手紙? マリアンヌが僕に?

 口籠(くちごも)りながら、僕に近寄って差し出した。初めて貰う手紙に、僕はすぐに手を伸ばせなかった。

「リュカ? あっ、もしかして……ごめんなさい」
「だ、大丈夫。読めるから。その、従者になりたくて、こっそり習って……いたんです」
「ごめんなさい」

 マリアンヌはもう一度謝った。気にしないでほしいと思いつつも、貴族令嬢らしくない振る舞いが好きで、つい『そんなに謝らないでください』とは言えなかった。

「マリアンヌ、もういいだろう」
「はい、お父様」

 手紙を渡し終えると、旦那様はマリアンヌに退出を(うなが)す。折角会えたのに、と名残惜しい気持ちになったが、これから説教を受けることを考えると、気が引けたため我慢した。

「またね、リュカ」

 扉の前でマリアンヌが、手を振りながら声をかけてくれる。旦那様の前ということもあって、僕は会釈だけで留めた。

「さて、こちらも話を始めようか」
「はい」

 マリアンヌがいなくなった途端、執務室の空気は一気に冷たくなった。『またね』という温かな余韻に浸らせてくれる暇など与えず。

「マリアンヌから事情を聞いた上で、処分を言い渡す。その後、不服があるのなら弁明を聞こうか」
「はい」

 緊張がさらに高まる。

「まずはマリアンヌとエリアスへの接近を一カ月禁止する。それと中傷もね」
「一カ月、ですか?」

 エリアスはともかく、マリアンヌへの接近禁止は、今とあまり変わらない境遇だったため、呆気に取られた。

「あまり重い罰にしないでくれと言うのでね。マリアンヌと話し合った結果だ。不服かな」
「いいえ。お嬢様を傷つけてしまったんです。追い出されても文句は言えないところなのに」

 これじゃ、ないに等しい。

「さっきもマリアンヌが言っていたように、『リュカに悪いことをしたから』と何度も言うんでね。だけど私としては、屋敷内の治安も乱していたから、もう少しだけ重くしたかった、というのも事実なんだよ。言っている意味は分かるね」
「はい。今後、ないように努めます」
「ふむ。では、何か弁明はあるかい」

 穏やかに言う旦那様の顔には、明らかに“ないよね”と書かれていた。ここで何も言わないのが正解。と分かっていても、我慢できずに言った。

「弁明はありません。代わりに質問をしてよろしいでしょうか」
「エリアスの処分かい?」
「……それもありますが、エリアスを先に呼び出した件についても」

 そこもか、と旦那様は何か含みを込めてから口を開いた。

「エリアスはマリアンヌの従者だからね。先に処分を言い渡さないと、いつも通りマリアンヌの所に行ってしまうだろう。それは困るんだよ、分かるね?」
「はい」

 旦那様の口から“従者”という言葉が出て、心がざわついた。

「先にエリアスを呼び出した理由が分かったところで、処分の方はリュカと大差はないよ。ただエリアスの場合、従者と言っても、護衛も兼ねているからね。完全にマリアンヌから遠ざけるわけにはいかないんだよ」
「護衛ってどういうことですか?」

 邸宅内ならまだしも、屋敷の中まで? そんな危険なことなんて……。

『お父様の娘である私が自由に歩き回れない。その状況を、貴方たちは不思議に思わないの?』

 ふと、マリアンヌの言葉を思い出した。だから僕じゃダメだったってこと?

「エリアスから聞いていなかったか。いや、言えない状況を作っていたのだから、わざわざ教えるわけがないな」
「……僕がエリアスの悪口を言ったから、従者になれなかったんですか?」
「まぁ、それもあるかな。マリアンヌに害なすものを排除する立場の人間が、自ら害を及ぼす者になってはならないからね」

 現に僕はマリアンヌを傷つけた。それだけで十分、従者に向いていない。(あん)にそう言われたような気がした。まさか普段の振る舞いが、自分の首を絞めていたとは思わなかった。

「それで、エリアスはマリアンヌの部屋の外で待機ということにしたんだ、一カ月間。その間マリアンヌも謹慎になった」

 え? マリアンヌも? なんで……。

「二人が処分を受けるのに、原因の自分が何もないのはおかしいと言うのでね。あと二人には、マリアンヌから罰があるから」
「罰。……どんなものでしょうか」
「内容は、手紙に書いてあるはずだから、自室でじっくり読むといい」

 それだけを言うと、旦那様は僕に退出を促した。さっきまで丁寧に答えてくれたのが嘘のように。

 貰った時は嬉しかったマリアンヌの手紙も、今は読むのが少しだけ怖くなった。