その日の夕方。

私は歓楽街の外れを歩いていた。

今日は買い食いではない。ちょっとした買い物をしていただけだ。

そして、そのまま近道になる歓楽街を通ろうとする。

そのとき。


「―――!」

「―――!!」


叫ぶような、呻くような。

苦しそうな男の人の声がした。

どうも、私は歩いているとこういうのに遭遇するんだよなあ……。

私は、その方向に駆け出していった。








「!」


声がしたところの近くには男の子がいて、転んだようで足を擦りむいて泣いていた。

手にはお菓子屋さんのビニール袋。

学校帰りなのか、近くにランドセルも置いてある。


「大丈夫?怪我したんだね?」

「っ!」


しゃがんで声をかけると、その子はびくっと震える。

……どうしたのかな?

すると、男の子は私と目を合わせずに叫んだ。


「っやめて、痛いことしないで!」

「!」


もしかして、と思って横の裏路地を覗く。

そして、私は目を見開いた。


「…あれ?」


そこには、地面に倒れている6人ほどの男と、その真ん中で男たちを見下ろすレイくんがいた。


「……クズどもが」


レイくんは男たちを冷たく見てそう吐き捨てる。

その威圧感に、ピリピリと肌が張りつめた。

殺気と言ってもいいほどの、男たちへの嫌悪感。

私が受けているわけじゃないのに……。


「っ、いけない」


私ははっと我に返ると、目の前の男の子を見た。

男の子はぶるぶると震えている。

恐らくは帰る途中で襲われたんだろう。まだ小さいのにそんな目に遭って、怖かっただろうな……。


「……」


私は、さらに屈んで視線を合わせると、ゆっくり男の子の頭を撫でる。


「痛いことはしないよ。もう大丈夫。いけない人はもういないから」

「へ……?」


少しだけ男の子の体から力が抜けた。

そして私を見上げて、目をうるませる。


「ほ、ほんとに……?」

「本当。もう怖くないよ」


そう言いながら、私はさっきのおつかいで買ったものを取り出す。

膝用の絆創膏と傷口用ウェットティッシュ。

私はよく怪我をするから買い足しておこうと思って買ったものだ。


「膝痛そうだけど、転んじゃった?」

「…うん。」

「そっか。今手当するから、ちょっと我慢してね」


私はウェットティッシュで軽く傷口を拭き、絆創膏を貼る。

男の子はちょっと痛そうだったけど、我慢してくれたのですぐに終わった。


「よし、おしまい。よく頑張ったね」


そして、裏路地からこつ、こつ、と靴の音が聞こえてくる。


「………」


黙って私を見つめる、レイくんだ。










「………………見てた?」


男の子を見送ったあと、静かに近づいてきたレイくんはそう言った。


「うーん、だいぶ最後のほうだけど」

「……そう」

「やっぱり優しいね、レイくん」

「は?」


私は今だ気絶している男たちを見た。

男たちに目立った傷は無い。恐らく必要最低限の攻撃しかしていないのだ。


「あの男の子、この人たちに襲われたんでしょう?」

「!」

「レイくんはその子を助けたんだよね、多分。それに、男の人たちにも無駄な攻撃してないみたいだし」

「優しくないだろ。誰も俺が優しいなんて思ってない」


レイくんは目を伏せた。

断定口調のレイくんに、私は尚言い続ける。


「優しいよ。私が思ってる」


最初は私が転びそうになったとき。

それから、貴也くんを撃退してくれたとき。

次は勉強を教えてくれたとき。

その次は私と陽向ちゃんを助けてくれたとき。

それと今日は私のわがままを聞いてくれて。

そして今は男の子を助けて、襲った人のことまでも考えている。

そんなレイくんが、優しくないはずがない。


「6つ。レイくんと会ってから、私が知る限りでもレイくんは6つ、優しいことをした」

「いいやつ気取りの男かもしれないよ」

「いいやつ気取りだったら、授業助けてくれた時も勉強会でも、私に数学の解き方は教えずに答えだけ教えるよ」

「!」


別に、答えを教える人が悪い人ってわけじゃない。

だけど「教えて欲しい」って言われたときに答えだけ教えるか解き方を教えるか、それで性格は違ってくると思う。


「私は馬鹿だけど、それくらいはわかる」

「…………」


レイくんが伏せていた目を私に向ける。

そしてその手をゆっくり私に近づけて、壊れ物を扱うように、そっと頬に触れた。


「……ありがとう」


その真っ黒な目に吸い込まれそうになって、私はちょっとだけ赤くなってしまった。

そんな様子を見たレイくんがふ、と穏やかに笑って私の頬を優しく撫でる。


「やっぱり結野は馬鹿だな」

「え?」

「俺みたいな男に目つけられるとも知らずに構ってくるなんて」

「……どういうこと?」


首を傾げると、レイくんは優しく微笑んだ。


「なんでもない」


あ、あれ?レイくんって、前からこんな目してたっけ?

なぜか目が離せなくなるような、黒い、熱くて濡れた瞳。

いいや、前は何にも興味がなさそうな無感情な瞳だったはずで―――

わーお、と。

心の中で叫んだ。

私は、レイくんの奥底の何かを引っ張り出してしまったんだろうか。


「あ、あの、レイくん?」


いたたまれなくなって声をかけると、レイくんは今思いついたというふうに言った。


「そうだ、果音って呼んでいい?」

「え?」

「果音は俺のことレイくんって呼んでるだろ。だから俺も名前呼びにしようと思って」


うーん…これは…本当に打ち解けてくれた証、ってことでいいのかな?

さっきから、いつもの冷たい目じゃないし。

なら、とにかくこれは進歩だ。レイくんと仲良くなれた!

私はにっこり笑った。


「うん、もちろん!」


―――まあ、流石は馬鹿な私、これについての私の認識は正解とはまったく違ったんだけど。

それがわかるのは、もっと先のことである。