「……元カレ?」
「そう、元カレ」
私は無表情で頷いた。
ここで感情を露わにしてはいけない。
貴也くんの琴線に触れてしまえば、今度こそ……。
「……ところで果音」
貴也くんがすっと目を細めた。
「その男は、誰だ?」
「……っ、と、友達だよ」
「へえ?」
「私は勉強ができないから...教えてもらうだけ」
「教えてもらうだけ、なあ」
貴也くんはレイくんに視線を移した。
そして、威圧するような雰囲気を放つ。
「…高森 貴也、か」
対するレイくんは、ふっと冷たい笑みをこぼした。
その笑みは、いつもの感情が読み取れないだけの笑みとは違って―――
なんだろう、冷酷?それとも嫌悪?
いいようのない、寒気が走るような感覚。
「つまりは未練タラタラのヤンデレ男ってこと?」
「…は?」
「結野の元カレなんだろ?で、言い方からすると自分のもとから離れていった結野を探して追いかけて来たと見た」
「……それがどうした」
「なぜ離れられたのか、どうすれば結野が幸せになれるのか、まだ好きならそれくらい考えろよ」
「っ!」
レイくん……。
私は思わずレイくんを見上げた。
なんというか、やっぱりレイくんは優しいんだなあ。
「行こう、結野」
「う、うん!」
すたすたと歩き始めるレイくんについていく。
なんとなくわだかまりを残しつつ、私たちはその場を離れたのだった。
「元カレ…元カレ、ねえ」
レイくんのそんな呟きは、私の耳に届く前に空気中に散り果てた。
それからなんということもなくカフェに到着し、私たちは勉強を開始した。
道中も教えてもらったときも、貴也くんについて追及はしないでくれている。
話したいときに話せばいいとか、そういうスタンスなんだろう。
ありがたい、追及されると困るだろうから。
「―――今日はここまで」
「あざーしたっ!」
「礼はいい」
相変わらず表情は変わっていないが、もうわかる。
レイくんは本心から礼はいいと言っているのだ。
本当に、これはレイくんにとって取るに足らないことで。
礼を言われるようなことではなくて。
だから。
「私にとってはとってもありがたいことだから。ありがとね」
私は、そう言って笑ってから、大好きなカフェオレを飲み下した。
翌日。
「んーっ、肉まんうまっ」
私は歓楽街で肉まんを買い食いしていた。
え?太る?聞こえない聞こえない。
どうせ明日は体育の授業があるだろうし気にしないもん。
「うまうま……うーん、だけど」
さっきから胸騒ぎがする。
なんか嫌な予感…私のこういう勘はよく当たるのだ。
「探してみようかな?」
嫌な予感の源を解決すればいい、と肉まんを口に詰め込んで駆け出す。
そのとき。
「たっ、た、助けて!!」
「!」
あーほらもう、やっぱり!
聞き覚えのある声が聞こえて、私は慌ててその方向に向かった。
そこでは、1人の女の子が複数の男の人に襲われていた。
襲われている女の子はクラスメイトだ。
「むぐ、ひははひゃんをははせ!」
「なんて?」
美味しい肉まんを咀嚼しながら言うも上手く決まらない。
くう、悔しい。ここはかっこよくいきたかったのに。
しかたなく肉まんを飲み込んで、私は言い直した。
「陽向ちゃんを離せ!!」
「ああ、そういう…」
複雑な表情になった男たちに対し、目を丸くしたクラスメイト―――陽向ちゃん。
眼鏡をかけたお下げの女の子で、頭がいい。
「……まあいい、よくわかんねぇが、また上玉が来たじゃねーか」
「!」
男たちは再度下卑た笑みを浮かべて近づいてきた。
そんな様子に私の背中に寒気が走る。
私は陽向ちゃんに『早く逃げて!』と視線を送りつつ、覚悟を決めて足に力を入れた。
すると。
「本当に、馬鹿な女」
半ば呆れたような声とともに、誰かの足が男たちの顎を蹴り上げた。
「ぅ、ぐあっ!」
「無策無謀のくせに助けようとするとか、お人好しすぎ」
「っ、え……!?」
視界に飛び込んできた大きい背中、相変わらずの冷たい声。
「レイくん……!?」
そこには、レイくんがいた。
「なんでここに!?」
「聞き慣れた隣のヤツの声が聞こえたから」
「……なんて聞こえた?」
「ひははひゃんとかなんとか」
「そこからかあ…」
言い直したところからがよかったなあ。
でもまあ、それは肉まん食べてたのがいけないか。
今度からは食べるのを中止してから来るとしよう。
……今度がないのが1番だけど。
そして、アスファルトに抱きつく勢いで倒れた男たちは、そのまま気絶したようでさっきからとても静かだ。
とりあえずは、解決?
私は、陽向ちゃんを振り返る。
「陽向ちゃん、大丈夫?」
「あ、えと、大丈夫、ありがとう…!あの、名前…」
陽向ちゃんはとてもオロオロしている。
「えっ、葉月 陽向ちゃんだよね?間違ってた?」
「あああ合ってます!!」
「よかった」
にこっと笑った。
今のよかったは陽向ちゃんが大丈夫だったのと、名前あってたのとダブルミーニングだ。へへん。すごいだろ。
それから、と私はレイくんを振り返る。
「助けてくれてありがと、レイくん」
「…もう、無策無謀で飛び込んだりしないで」
「あはは…うーん、頑張る」
でもやっぱり、誰かが危ないならそんなこと言ってられない。
だからまあ、こういうことがもう起きないのを祈る。
……この街に限って、それが叶うのはずっと先かもしれないけれど。
ここ、久雪街は特殊な場所だ。
簡単に言うなら、『表』と『裏』がわかりやすく混在している。
一般人の誰もがこの街が『裏社会』の活動が盛んであることを知っている、というか。
とにかく、ここは暴走族やら不良やらヤクザやら、それはもういっぱいいるのだ。
歓楽街も、夜には危ないところになる。
昼でも陽向ちゃんみたいに襲われることも少なくない。
だから治安を良くするのは難しいかもしれない。
でも、いつか、裏社会と共存しつつ安全な街に出来たらいいと思う。
ゆっくりでもいいから、いつか。
「レイくん、今日はほんとにありがとね。」
レイくんに助けてもらったあと、更にわざわざ家まで送ってもらった私は笑顔でお礼を言った。
「……いいよ、知ってる女が襲われそうになるのは寝覚めが悪いし」
レイくんは大して表情も声音も変えずに言った。
ふふ、相変わらずレイくんは優しいなあ。
にやにやしながら私は踵を返す。
「じゃあ、また明日」
「…………ああ、また明日」
なんていい言葉だろう、また明日、なんて。
胸の中の温かい気持ちを見つめながら、私は家に入っていった。
「ただいまー」
家に入ると、明るい声が返ってくる。
「おかえり、果音」
お母さんだ。
お母さんは超!超超大人気の小説さんで、この前脚本を書いた映画も大ヒットだったすごい人。
高校時代はだいぶ能力が尖っていて、運動ダメダメの超文系インテリ女子だったらしい。
勉強ダメダメの野獣みたいな私とは真反対だ。
というわけで、今はそんなお母さんと二人暮しをしている。
お母さんの売上とかがあるからお金には困っていない。
ちょっと寂しいけど、お母さんがいるから毎日元気だ。
「どうしたの、果音。ご機嫌じゃん」
「え、そう見える?」
「見える」
お母さんに言われて、頬を手で覆う。
確かに、ちょっと緩んでたかも。いつも緩んでる気がしなくもないけれど。
「……新しい友達ができたから、かな」
「そう?よかったじゃない」
レイくんと、それから陽向ちゃん。
話したからには、もう友達でいいよね。
「うん!嬉しい」
上機嫌で、私は冷蔵庫からカフェオレを取り出した。