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……本当は、わかっていた。

俺の愛はもう、果音は受け入れてはくれないと。

カップルカフェの前の監視カメラで2人を見たときから?

否。

三ツ瀬が果音の額にキスしたのを見たときから?

否。

三ツ瀬と果音が勉強をしに行くのを見たときから?

否。

おそらくはもう、あの日の夜、果音が俺を涙目で見つめたのを見たときから。

あの、心から傷ついた顔を認識したときから。

俺は道を間違えたんだと、察していた。

だけど目を逸らし続けた。

道をはずれた俺はもう戻れなかったんだ。


果音が「浮気現場」を目撃した夜。

俺の行動の理由は、あの女が果音の情報を持っていたからだった。

果音の過去、ずっと小さい頃の写真や録音、お遊戯会の映像、幼稚園の卒業DVDに映る果音。

あの女に一晩付き合えばすべて譲ってもらえる、そういう取引だった。

あの女は、果音の幼稚園時代の同じクラスだったのだ。

写真や録音、映像も、その女と一緒に果音が映りこんだものだった。

もちろんどんな情報も欲しかった。その取引は有用だった、それだけ。

俺は、果音のすべてを知り、愛すためにはなんでもすると決めていた。

それこそ浮気も、人殺しも、ぜんぶ。


俺は道を間違えた。

俺は果音の幸せを願えない。

俺自身の、彼女を手に入れたい歪な恋心のためにしか動けない。

止まれなかった。

果音が悲しんだのを知っていながら、俺が傷つけたのをわかっていながら。


俺は狂ってしまった。

狂った俺を、誰も前のように見てはくれなかった。

果音の幼なじみたちも、親父も、構成員も、みんな。

誰も、俺に関わろうとはしなかった。


―――だから。


お前が初めてなんだ、三ツ瀬 澪。

お前が、俺と向き合っている。

同じ量の殺意をぶつけ合って、同じ女を奪い合って、同じ目的で対立して。


「来いよ、三ツ瀬」


俺は笑った。

拳を握る。頬を緩める。


「決着をつけよう」


俺と全力で殴り合って、蹴り合って。

全力を出した俺をなぎ倒し、そして。


―――俺を、止めてくれ。


****


「はっ!」


貴也くんが、素早く踏み込んだ。

その長い足は2人の距離をあっという間に縮め、間合いに入る。

……速い。

対して、レイくんは向かってくる拳を、首を傾げるだけで避け、蹴りを放った。

貴也くんはそれを無理矢理体を捻って蹴りで相殺する。

とっても重い蹴りだ。

周りの構成員とは、本当に格が違う。

鍛え抜かれているはずの構成員たちさえも瞬殺だろう。


「……すごい」


続けて、レイくんは蹴りを出していた足を後ろに戻すと貴也くんの拳を掴み、引き寄せる。

それを予想していたのか、貴也くんはその勢いを利用して身をひねり、踏み込んで蹴り。

だがレイくんは難なく避けて次の攻撃。

一進一退の攻防に、冷や汗を禁じ得ない。

お互いの攻撃がお互いに届くことなく相殺され、避けられ、掴まれ、お互いが焦れてくる。

それでも慌てずに冷静に処理するところは、流石だ。

すると。


「―――!」


フェイクを混ぜたレイくんの攻撃が、貴也くんのお腹に直撃する。

っ、貴也くんが読み違えた!

その一瞬の隙を突いてレイくんが拳を突き出す。

……だが。


「おらあっ!!!」

「!?」


相打ち覚悟、とでも言うような。

貴也くんは、防御を気にせずに全力のパンチをくり出した。

それは、流石に読み切れない……!

結果、レイくんと貴也くんはお互いの頬を殴り合った。

普通なら自分にも大きな隙ができる、褒められない戦法だけど。

予想外の反応に体勢を崩したレイくんは、大きくジャンプして後退、距離を取った。

そう、貴也くんが一度戦況を整理するには有効だったということだ。

ぐっとレイくんが口元の血を拭い、不敵に笑う。


「久しぶりだな、俺の口元が切れるなんて」

「奇遇だな三ツ瀬。俺も同じ、だ!」


貴也くんが走り出す。

レイくんが身構える。

どうなるか、と私までも緊張した、そのとき。


「……!」


私は反射的に手を伸ばし、「それ」を掴んだ。

うーん、やっぱりおかしいと思ってたんだよね。

私に、こんなデコルテが大きく開いたワンピースなんか着せたこと。

レイくんは私を見せつけるためだとかなんとか言っていたけど。

いつものレイくんなら、「他の男に見せたくない」って言うはずだった。

自惚れだとは思わない。レイくんはそれほどまでにいつも、愛を囁いてくれていた。

だからこそ、おかしいと思ってたんだ。

レイくんがテレビ放送を許した目的は別にある。


そう―――裏切りをあぶりだすため、とかね。


「ナイフなんて持ってどうしたの?まさか、レイくんと貴也くんの戦い、邪魔する気じゃないよね?」


それを持ってレイくんを狙っていたのは、三ツ瀬組の構成員のはずの男の人。

レイくんが、最近入ってきた人だと言っていた。

彼は、私が三ツ瀬組にいた3日間において、毎日ミスをしていた。

それはどれも、情報漏洩が伴う危険な失敗だ。

失敗のたびに彼は罰を受けていた。

ヤクザの行う罰に泣き叫んで、許しを乞うて。

だから挽回したいと言って今回参加したんだけど。

やっぱり、レイくんを陥れるためだったのだ。

レイくんがこのままやられれば、それはテレビを通じて全国に広まる。

そうすれば、レイくんは仲間の裏切りを見抜けずまんまと引っかかった若頭になってしまうだろう。

若頭であるレイくんの名声を地に落とし、レイくん、ひいては三ツ瀬組を倒す目的で、こんなことを。

でもあまりにもお粗末な策だ。バレバレすぎる。

レイくんが、喧嘩を始める前に私を安全な車の中に移動させなかったのは、しっかり戦いを見て欲しかっただけじゃない。


私が、彼を止めると、信じていたから。


すべて、レイくんはお見通しなのだ。


「くそ、離せ!」

「離せと言われて離すとでも?」


私に向けられたナイフを避け、ナイフを奪いながら足を払う。

男は倒れ、私が手を纏めて拘束すれば、男は苦しそうに呻き声を漏らした。


「こんの、くそっ、女ごときに、俺が……!」

「ばーか、そんなこと思ってるから捕まるんだよ」


自信過剰で、相手の力量を見定めようとも思わないから。

だからレイくんにもバレバレだし、私にも捕まるし。

それに。


「これは、レイくんなりの慈悲なんだよ」

「は……!?戯言もいい加減に……!」


……戯言なんかじゃないよ。

レイくんはたしかに、彼に慈悲を与えていた。


「だからこそ、私がやってるんだよ」

「……っ?」

「レイくんは若頭。今回失敗したならもっと辛い処分を下さなくちゃいけない。裏切りなら、尚更」


だからレイくんは私に任せた。

私は一般人だ。

だけど同時に、レイくんの恋人でもある。

半分ヤクザの世界に首を突っ込んだ、中途半端な存在。

私がやれば、彼は自分の命でもって贖わなくても助かる。

だからこれは、レイくんの、最大の慈悲。


「レイくんの気持ちを踏みにじらないで。これは忠告」


そこまで言って、私は彼を拘束したまま戦い続ける2人に視線を戻す。

いつの間にか、2人には3つほど傷が増えていた。

息も若干上がっている。

……もうそろそろ、かな。


「はあっ!」


貴也くんとレイくんの蹴りが、お互いの蹴りを相殺する。

その直後、貴也くんが身を引いて蹴り上げる。

避けたレイくんが殴ろうとするが、貴也くんが後ろに避けて―――

隙が、出来た。

レイくんは見逃さなかった。

貴也くんの僅かな隙を利用して、そしてフェイクをかけて。


「ふっ!!」


ドン!と、刹那。

貴也くんは、レイくんに足を払われ倒れていた。

……決着、ついたね。

レイくんが拳を高々と振り上げる。


「…………」


レイくんは、殴らない。

その代わり、静かに口を開いた。


「お前の負けだ、高森貴也」

「……」

「俺が勝った。構成員も高森組の奴らはほとんど倒れてる」


見渡せば、レイくんの言う通りだった。

やっぱり、準備が終わっていなかった高森組じゃ三ツ瀬組には敵わなかったのだ。


「お前は勝負に負けた。果音は俺の女だ」

「……ふは」


貴也くんが、吹き出した。


「…………俺、負けたのか」


笑っている。

貴也くんが、嬉しそうに。


「果音は……手に入れられないんだな」


それでいい、と。

まるでそう言っているみたいだった。

彼の意図が分からない。

だけど、彼は今までで1番落ち着いたような顔をしていた。


「果音」


貴也くんが、私に手を伸ばす。


「最後に……1回だけ」

「?」

「好きだ、果音。俺のもとに来ないか?」


…………ああ、そうか。

彼は、ずっと、ずっと。

あの日から、ずっと。

誰かに、止めて欲しかったんだ。

そして、彼が求めている答えは。


「ごめんなさい、貴也くん」


『試しになら……まあ、いいよ』


前回とは違う答え。

だけど、私も彼も、求めていた答え。


「私は、レイくんが好きだから」


私が求めていた何かを、レイくんだけが持っていた。

ただそれだけ。

それだけだけど、私にとってはすごく大切なんだ。

私は、求めるものを持っていたレイくんが好きになった。

だから、貴也くんの気持ちには応えられない。

……これで、いい。


「……そうか」


貴也くんは、大きくため息を吐いて、伸ばしていた腕を下ろす。

ゆっくり目を閉じた彼を、レイくんが黙って見つめた。


「…………俺の、負けだ」


その瞬間。

高森組は、三ツ瀬組に敗北した。

レイくんが勝ち、三ツ瀬組が勝ち、そして私の過去にも終止符が打たれた。

……終わったのだ。

ぜんぶ、終わったのだ。


空を見上げる。

貴也くんに会わなければ、私も貴也くんも、悲しまずに済んだのだろうか。

奏もお父さんも死なずに、4人で暮らしていたのだろうか。

……無駄なことだとわかっていても、考えてしまう。

私が拘束していた男は、いつの間にか抵抗をやめていた。

本当にぜんぶ終わったのだと、何回目かもわからない気持ちが胸に残る。


天気は、曇りだった。