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「待ちやがれ」


そんな貴也くんの声が、刺すように鋭く私たちを制す。

見れば、貴也くんの目は「あの日」と同じ狂気を帯びていた。


「……っ」

「果音は俺のものだ。置いていけ」

「断る」


レイくんが私の腰をぐっと引き寄せる。

いつもなら恥ずかしがるけれど、今だけは縋っていないと無理そうだった。

あの目が、何よりも、怖い。


『お、姉……ちゃ…………っ、ごほ……!!』


「……果音」


ぎゅっと手を握りしめる私に気づいたレイくんが、私の手を開いた。

そして繋いで、指を絡められる。


「果音は俺の女。それだけは譲れない」

「…………」

「それと、果音が悲しむようなこともさせない」

「!」


大丈夫、と。

そう言うように。

レイくんの手から伝わってくるぬくもりが、私を安心させる。

…ああ、だめだな。

さっきとは別の意味で、泣きそう。


「3日だ」


レイくんは、そう切り出した。


「3日後、決着をつけよう」

「…決着、だと?」

「ああ」


不敵な笑みを浮かべるレイくんは、やっぱりいつも通りかっこいい。


「《三ツ瀬組》と…《高森組》。そして俺とお前。膠着状態が続いてたんだ、いい機会だし、白黒つけよう」


高森組。

それは、貴也くんが若頭を務める、ヤクザ。

元々は私が住んでいた少し遠くの場所にいたが、最近久雪街に進出してきていた。

その関係で、久雪街に拠点を置く三ツ瀬組と対立しているらしい。


「え、わっ!?」


そんなことを考えている間に、レイくんは私を軽々と抱き上げた。

驚くのもつかの間、スタスタとビルを出ていくレイくん。


「えっ、ちょ、え!?」


ど、どどどどど、どういう状況!?

なんでお姫様抱っこされてんの!?


「行くよ、果音」


行くよも何も、連れていかれてるんだけど!?

そんな反論も喉につっかえて出て来ず。

結局、レイくんに抱えられたまま、予め待機していたらしい黒塗りの車に乗り込んだ。
















ででん。

そんなオノマトペが聞こえてくるかのようだ。

大きな門。

その先に伸びる花道。

大きな建築。

なんて豪華なお屋敷なんでしょう。

というわけで、何坪あるのか知らないけど、大きな三ツ瀬組拠点、レイくんのお家にやってきた。


「……ね、ねぇレイくん?」

「だめ」

「まだ何も言ってないのに」

「降ろして欲しいんだろうけど、だめ。俺の女だって構成員に見せつけなきゃいけないから、降ろしてあげない」


ぬーん。

そう言われたら断れないことをわかってて、言ってる。

だけど、ちゃんと構成員に睨まれないように見せびらかしてくれてるんだろうし。

見せびらかしてくれてる、って言い方もおかしいけど、甘んじるしかない……。

私は無理矢理体勢から意識を逸らし、屋敷を見渡した。

ヤクザだし、日本屋敷かなって思ったんだけど。

やっぱり木造建築だとすぐ燃えちゃうからかな。建築は洋風だった。


「果音、靴脱げる?」

「あ、うん!」


いよいよ中に入るらしい。

私は自分の靴を脱いで、レイくんに渡した。

丁寧に、素早く靴を玄関に置いたレイくんは、自分の靴を脱いで片足で器用に揃えると、またスタスタと歩き出した。


「若!お帰りなさいませ!」

「ん、ただいま」


若……おお、やっぱりレイくんは若頭なんだね。

レイくんを若と呼んだ構成員はレイくんをキラキラした目で見ている。

レイくんは相当慕われているらしい。

それにしても声大きかったな。

それに慣れているレイくんも流石というか、なんというか。

……かっこいい。

って、さっきまで攫われてた人の言うことじゃないか。

でも、レイくんのおかげで、びっくりするほど安心できたから、そんなに慌ててない。

それより…。


「ねえレイくん、私臭くない?」

「いつも通りいい匂いだけど、なんで?」

「えっ、ああいや、そうならいいんだけど……」


なにしろ寝落ちしてしまったので、私はお風呂に入っていない。

好きな人に、お風呂入っていない状態でお姫様抱っこされているのだ。

気にしないわけが無い。

というかいつもいい匂いなの?

自分の匂いはわからないからちょっと不安。

そういえばレイくんはいつもいい匂いするよなあ…。

なんか安心するというか、あったかいというか。

……あったかいは匂いじゃないか。

ともかく。

体臭の件は置いておくとして、すると、今度は別の問題が浮かんでくるんだけど。


ぐう~~っ、と。


お腹が盛大に鳴った。


「っ!」


何で今鳴るの…?

お風呂入ってない状態で好きな人にお姫様抱っこされながら大きくお腹鳴らすって何…?


「果音、お腹空いた?」


レイくんが、心配そうに顔を覗き込んでくる。


「ああ、実は、寝てる間に攫われてから何も食べてなくて…」


チラリとレイくんの腕時計を盗み見ると、もうお昼だ。

流石になにか食べたい。

というかそもそも、私はなぜここに…?


「だってよ、裕介」

「はい!豪さんに伝えてきます!」


ユースケ…?ゴウさん…?え、誰?っていうか「だってよ」って何?

頭にハテナを浮かべていると、いつの間にかユースケさんはいなくなり、周りにいっぱいいた構成員もいなくなっていることに気づく。

そしてそのまま、レイくんはエレベーターに乗り込………エレベーター…?

流石の財力だなあ、三ツ瀬組…。

とまあ、そんなこんなでたどり着いた、ひろーい部屋。

ナチュラルモダンな雰囲気で、よく整理整頓されている。


「あの、ここって、もしかして」

「俺の部屋」


ですよねー。

っていうか、レイくんの部屋ってこんな感じなんだ。

もっとこう、白黒!シック!みたいな感じだと思ってた。


「果音」


私を丁寧にソファに降ろして、レイくんは私の手を取る。

もう片方の手で私の頬に触れ、そして唇を塞がれる。


「ん……っ、ふぁ」

「果音……っ」


レイくんの手が、少しだけ震えている。

とっても心配をかけてしまっただろう。

大丈夫、と。

今度は私がそう言い聞かせるようにレイくんの手をぎゅっと握る。


「……怪我は、ないな?」

「うん。ないよ」


唇が離れて一声めは、私を心配する言葉だった。

私は頬に触れるレイくんの手に私の手を重ね、心からの微笑みを見せる。


「心配かけてごめん。だけど本当に何も無かったから」

「……」

「あのね、私、びっくりするほど怖くなかった」


いつもなら、誘拐を察した時点でだいぶ慌てていただろう。

私は誘拐に慣れてるわけじゃないから。

でも慌てなかった。とっても冷静だった。

心の奥から、「レイくんがいるからなんとかなる」って思ってたんだよ。


「レイくんがいるから、私は怖くなかった」

「果音…」

「レイくんは、優しくて強くてかっこいい私の自慢の彼氏で、それから」


私の、私だけの。


「自慢の、英雄なんだよ」


そう言うと、レイくんはぎゅっと私を抱きしめた。

…本当に、無事に脱出できてよかった。

このぬくもりを、再び抱きしめることが出来る。


「…本当に、果音は……っ」

「えっ、んむ…!?」


その瞬間。

唇が触れているというのと、それから押し倒されたというのと、理解したのは3秒後。

恋人繋ぎに絡められた手はソファに縫い付けられて、身動きができない。


「…果音さ、今、俺の部屋で二人きりなの、わかってる?」

「あ、あー…っと」

「はあ……。あんまりかわいいと喰うよ」

「え!?」


首元に顔を埋めたレイくんが、私の首に唇を落とす。

それからチリっと痛みが走ったと思うと、レイくんが満足そうにその場所をなぞる。


「…他の男には、喰わせんなよ」


そう囁いて、レイくんはまたキスをしてきた。

愛しむように、愛をたっぷりと注ぐように。


「…果音、愛してる」


そしてしばらくの間、私はレイくんのキスの雨を受け入れ続けていたのだった。


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そのあと。

「用意が出来ました!」というユースケさんの言葉に従って移動してみれば。

そこには豪華な食事が用意されていた。

申し訳ないと思ったものの、お腹がとても空いていたのと、せっかく作ってくれたし、っていう気持ちで。

私は、それを美味しくいただいた。

とっても美味しかった。それはもう、ほっぺた落ちるくらい。

だから、食べ終わった頃に、ご飯を作った「ゴウさん」が来たときはびっくりしたものだ。

ゴウさんは組長、レイくんのパパだったから。

「客は全力でもてなす」がモットーで、手ずから料理を振舞ってくれるのだそう。

客として受け入れてくれたのは嬉しいけど、なんだか肝が冷えた。

とはいえ、レイくんと同じく優しい人だったから、怖がる必要はなかったみたい。

そして、組長とレイくんから、これからの説明を受けた。


まず、私のお母さんは既に三ツ瀬組で保護したらしい。

今は三ツ瀬組の隠れ家でリラックスしているようだ。

お母さんも肝座ってるなあ。流石私のお母さん。

あと、3日後に取り付けた三ツ瀬組と高森組の抗争まで、私は三ツ瀬組本拠地で暮らすことになった。

よくわかんないけど、私は流石に隠れ家でというわけにはいかないみたい。

高森組も望んでいるから?とかなんとか。


とりあえず、お母さんが保護してもらえたのなら安心だ。

私は、一連の件をすべて了承した。


与えられた部屋はレイくんの部屋の隣だった。

組長が、そのほうが気が楽だろうって。

客間はレイくんの部屋からは遠いらしいので、私としてもありがたい。

そのあと、ひのきの大きなお風呂も借りて体を洗った私は、ようやく緊張がほどけて、ふかふかのベッドに寝転がったのだった。