「……ん……」
翌日。
だんだんと意識がはっきりしてくると、ベッドがいつもよりふかふかなことに気づいた。
「?」
シーツだって、こんな絹みたいな触り心地なのは初めて触った。
ここ、私の部屋じゃ、ない……?
って、え!?
「……っ!?」
バッと起き上がる。
そこは、私の知らない部屋だった。
白を基調としたナチュラルな雰囲気のオシャレな部屋。
3つほどドアがある広い部屋で、私が寝ている大きなベッドの他に、明らかに高そうなテレビやらソファやらが並んでいる。
……ここ、どこ?
記憶は、ベッドの上で漫画を読んでて、寝落ちしたところで止まっている。
髪も解かずに寝ちゃったような……うわ、お風呂入ってない……。
とにかく。
「―――……誘拐、か」
にしては、この部屋の設備が豪華すぎるな。
私を誘拐したい人自体はいっぱいいるはずなんだけど。
だってこの前、体育祭のとき。そう言っている人がいたから。
『もうすぐ来るんだよな?三ツ瀬 澪と最近仲がいい女っつーのは』
そう言っていたのは私を襲ってきた男たち。
彼らは自分たちを、『三ツ瀬 澪の仲がいい女を人質にしたい俺たち』とも言っていた。
三ツ瀬の苗字自体は聞いたことがある。
きっとレイくんは、とんでもない立場の人なんだろうって、わかってる。
でも、そんなレイくんとの取引に私を使うにしたって、粗雑な部屋に放り込まれておしまいのはずだ。
と、なると。
私をこんな形で誘拐するような人は、1人しかいない。
「……貴也くん」
きっと、体育祭のときに私を誘拐しようとした男たちの依頼人は貴也くんだったのだ。
『好きだ。ここにおいで、果音』
レイくんにすべてを言う前に、連れてこられてしまった……。
今頃お母さんは心配しているだろうか。
連絡が取れたら楽だけど、貴也くんがスマホを取り上げないわけがない。
やっぱり、私はスマホを持っていなかった。
うーん、どうしよう。
ここから自力で逃げ出す?
部屋の状況を確認してみる。
3つのドアは、それぞれトイレ、お風呂、そして誰かの部屋に繋がっていた。
ドアからの脱出は難しそうだ。
おそらく、最後のドアが繋がっているのは貴也くんの部屋だろうし。
迂闊に廊下に出させない徹底ぶりはもう、言葉が出ないね。
塞がれてしまった1つ目の脱出方法は、とりあえず諦めることにした。
私は、続いての脱出方法を確認する。
窓は、床から2.5メートルほどの地点にあった。
横長の小さいもので、そこから出るのはまず無理そうだ。
……この建物がどの辺りにあるのかだけは、わからないかな。
でも窓とっても高いし、ジャンプだけじゃ届きそうにない……。
何かよじ登れるものとかないかな。
そこまで考えて周りを見渡したところで、私は人の気配を感じて一旦行動を停止した。
……来たか。
そして思った通り、ドアを開けて入ってきたのは、薄笑いを浮かべた貴也くんだった。
「よう、果音」
「…………貴也くん」
「久しぶりだな。体育祭の前の夜に会ったとき以来か?」
「……そうだね」
貴也くんは、つかつかと歩いてきて、私の強ばった顔を見下ろしてきた。
その瞳に映るのは私か、愛情か、それとも憎悪か。
「……なあ、果音。お前、なんでこんなことになったかわかってんのか?」
「…………」
「果音と三ツ瀬は俺の逆鱗に触れたんだよ」
貴也くんは、私の顎に指を添えて無理矢理上を向かせた。
貴也くんと私の視線が絡む。
「もともとあの男からは果音を奪うつもりでいたが、こっちの準備が終わってから行動に移す予定だったんだ」
私は何も言わない。
多分、今の貴也くんは返事なんか求めてない。
そのまま、貴也くんは続けた。
「……だが、お前たちが…………果音と三ツ瀬が、あんなところに行くから……」
「!」
「恋人限定カップルカフェ……か。くだらねぇ」
貴也くんは、忌々しそうに目を細め、私の唇に親指を添える。
そして、何かを拭うように動かした。
「……どうして知ってるの?」
「あの店の前を映す監視カメラに映ってたんだよ、2人がな」
「…………」
果音、と貴也くんは私を呼ぶ。
そんな彼の瞳は、狂気に塗れていた。
「もうお前は、離してやれない」
「……一つだけ答えて、貴也くん」
私は、未だ口元に触れる貴也くんの手をどけつつ、聞いた。
「ここはどこ?」
「…………」
貴也くんは答えない。
ただ、私の拒絶の意思は伝わったのか、ため息を吐いて、彼は自室に戻っていった。
……うーん、カップルカフェ見られてたのか。
私は貴也くんと同じくため息を吐いた。
そりゃこうなるわけだ。
「…………」
さて、これからどうしよう。
厄介なことになった。
『高森 貴也……か』
ふと、貴也くんと会ったときのレイくんを思い出す。
あのとき、レイくんはなんとなくだけど、貴也くんを知っているような口ぶりだった気がする。
そういえば、三ツ瀬の名字はどこかで聞いたことが……。
『果音。私たちがこれから引っ越すのは、久雪街というところよ』
ふと、ここに引っ越してくる前のお母さんの言葉が蘇った。
『ここなら、しばらくは見つからないはずよ。ここは、彼も迂闊に探し回れないの』
『どうして?』
『それはね―――』
―――三ツ瀬組が、いるからよ。
「……ッ!!」
思い出した……。
三ツ瀬は、この街にいるヤクザだ。
三ツ瀬組があるから貴也くんはこの街を探し回れないって。
先延ばしではあるけど、時間は稼げるって。
その間に―――彼に対抗出来る人を探すんだ、って。
レイくんなら、きっと……!
……でも、どうやって?
「ここで手詰まりか……」
策は結局尽きた。
だけどせめて気を取り直して、ここの場所を突き止めないと。
私は、貴也くんと話している途中に見つけた、部屋の奥の棚によじ登っていく。
でも流石貴也くん、棚は窓から離れた位置にあって、ここからじゃ窓は見えない。
でも。
「ほっ!」
某ゲームの主人公のように棚からジャンプしたあと壁を蹴って方向転換、窓に縋りついた。
よし!
ちょっとヒヤヒヤしたけど、棚が地震対策で固定されてて助かった。
お陰でバランスを保てた……っと!
窓枠に足をかけて体を安定させる。
そして、窓に顔をくっつける勢いで外を見た。
見えたのは、建物の上部ばかり。
やっぱり、ここは高い階のようだ。
しかも多分7階くらい……2階ならともかく、飛び降りるのは無理だ。
そもそも窓から出れないんだから意味無いけど。
とにかく。
私一人じゃ無理だ。
誰かが騒ぎを起こして、それに対応している間に貴也くんの部屋を通って抜け出すしかない。
……って言っても、ちょうどよく誰かが騒ぎを起こしてくれるわけじゃないしなあ。
そう思ってうーんと唸る。
すると。
「……あれ?」
ふと、見覚えのあるものが見えて目をこらす。
それは、黒いマーク。
今まで猫だと思っていた、烏のマーク……
「烏猫……!」
レイくんと水族館デートに行く道中で話した、ショッピングモールのマークだ!
ちょうどそのマークの烏と目が合う高さに窓がある。
これはいい手掛かりだ。
ショッピングモールのあたりだとすると、久雪街のすみっこだ。
このあたりだとわかれば、もっと詳細に位置がわかるかも。
……そういえば、ショッピングモールの近くに、特別大きな建物があったな。
ちょうど今の位置くらいだったような。
そのとき。
「陽向っち……?」
ふと窓の下に見えたのは、陽向っち。
窓が見える路地裏に入って、誰かと電話をしているようだ。
とても慌てている様子だけど、今遠慮している場合じゃない。
「…………」
私は、外されていなかった菜の花の髪飾りを取る。
机に入っていた紙とペンも取り出して……。
だがそのタイミングで、また誰かの気配が近づいてきた。
やばい、早くしないと……!!
陽向っちが、行ってしまう前に!!
「お願い、届いて……!」
祈るような気持ちで、私は紙にとあるメッセージを書き、髪飾りに挟んで、陽向っち目掛けて投げ込んだ。
****
『もしもし、葉月か!?』
「み、三ツ瀬くん!?どうしたの!?」
知らない番号から電話がかかってきたと思えば、それは三ツ瀬くんからだった。
「番号教えてたっけ?」
『後藤から聞いた。それより、果音どこか知らない?』
「知らないけど……のんちゃんかどうかしたの……?」
いつも冷静な三ツ瀬くんの声がいつになく慌てているのを察し、私は胸に嫌な予感を抱く。
そして、次の瞬間に三ツ瀬くんが言った言葉に、私はとても慌てることになるのだった。
『果音が攫われた』
「えっ!?のんちゃんが!?」
私は慌てて路地裏に駆け込んだ。
待って待って、のんちゃんが……攫われたって……?
『誰にも言わずに果音が失踪するとは思えない。だから誘拐と踏んで探してる』
だから三ツ瀬くんはこんなに焦っていたのか、と納得している暇もなく。
私の頭はどんどんテンパっていく。
『とりあえず、何かわかったら教えてくれ』
「うん、わかっ―――あれ?」
視界の隅にきらめくものを見つけた気がして言葉を止める。
『どうした?』
「何かが落ちてきて……って…………!!」
落ちてきていたのは、のんちゃんが付けていたはずの髪飾り。
そこに紙が挟んであった。
慌てて紙を開くと、そこには殴り書きでメッセージがある。
だいぶのんちゃんも焦っているらしいが、それでも、これはのんちゃんの字に違いない。
「三ツ瀬くん!のんちゃんの髪飾りがあった!」
『っ!?本当か!?本当に果音のか!?』
「うん!メッセージがあって―――」
『レイくんに、烏猫の西側の目線の部屋と伝えて』
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