「のんちゃん!」


手招きする陽向っちのもとに駆け寄る。

次はいよいよ選抜リレーだ。


「もうすぐ準備の時間だよ」

「ありがと陽向っち!早めに戻ってこれてよかったー」

「何してたの?」

「えーっと、トイレ!」


にこにこ笑って誤魔化しておく。

あんなことしたって言ってもきっと陽向っち喜ばないし。

でも先生に報告するのは嫌だったんだよね。

勝ちたい気持ちだけは、よおーくわかるから。

陽向っち、仲間はずれにしたって怒るかな?

…ごめんね、陽向っち。

さて、と気持ちを切り替えて周りを見回す。


「慎吾くん!!」

「おわっ!?」


勢いよく声をかけると、慎吾くんはとてもびっくりした様子で振り向いた。

その拍子に、顔を歪める。


「痛……っ」

「―――やっぱりな」

「レイくん!?」


それを見て私がやっぱり、と思った瞬間、レイくんが私の心を代弁する。

嘘、全然気配に気づかなかった!

やっぱりすごいなあ、レイくん。


「後藤、お前、怪我してるだろ」

「………」


レイくんが指摘した途端、慎吾くんはバツが悪そうに目を逸らす。


「あのときだろ。転びそうな葉月を庇うとき」

「…っ」

「無理しないで慎吾くん。選抜リレーは出ないほうがいい」


そう言うと、慎吾くんは黙って眉を顰めた。

そんな慎吾くんに、レイくんが一歩近づく。


「勝負はお預けだよ、後藤」

「⁉︎」


慎吾くんは目を見開く。


「俺は後藤に勝ちたい。だけどそれは、お前が怪我したところにつけ込んでまで得るものじゃない」


正々堂々しないと果音が嫌がるし、とレイくんが付け足す。


「後藤の分も俺が走る。今代理を立ててもバトンパスで失敗するだけだし」

「だが三ツ瀬、それはお前が」

「後藤が無理しても、果音と…それから葉月が悲しむだけだよ」

「…!」


ギリ、と慎吾くんが歯を食いしばった。

それから深く深呼吸をして、レイくんに拳を突き出す。


「…頼んだぞ。負けんじゃねーよ」

「当然だ」


こつん、とレイくんは、拳を合わせた。

そして、私たちはタカハラくんを連れて準備へ急ぐのだった。


「……ったく。お前にそんなこと言われたのが1番悔しいっつの。リレーに出られないことよりもな」


誰もいない場所で慎吾くんが、呟く。


「やっぱ俺の負けだよ、澪」


****


『さあ!いよいよ最終種目、選抜リレーの開幕です!』


興奮している放送部の言葉を背に、きゅっと靴紐を結び直す。

ワックス、誰にもついてないね。よしよし。

バトンも確認したが、特に細工はされていない。

あとはまあ、走ってる間に何か起きないようにしないとね。

私とレイくんは大丈夫だろうけど、タカハラくん、大丈夫かな……。


「タカハラくん!」


始まる直前、私は声をかけた。


「……気をつけてね」

「???」


あー、わかってないやつだなあ、これ。

まあ、牽制しといたから、もう卑怯なことはしないと思うけど。

なーんか嫌な予感がするんだよね……。


『位置について、用意……』


パン!と発砲音、そして一斉に走り出す2年生5人。

タカハラくんは現在2位。


「頑張れー!タカハラくん!!」


1位は陸上部次期部長なんだっけ?うーん、僅差だけど追いつけそうにないな。

流石に強敵だよねぇ。

次はレイくんだ。

あと50メートル、バトンパスは上手くいくだろうか。


「三ツ瀬!」

「レイくん、頑張って!」


するりとバトンが受け渡され、レイくん。

は、はや……!?

50メートル走のタイムを測る時よりも早い……!

うわあ……!!

レイくんの真剣な表情に思わず見入る。

……っかっこ、よすぎ……!?

観客席もざわざわと騒ぎ出した。

レイくんのイケメンさ、もはや罪。

そして、大差もあっという間に詰めて詰めて、追い越した。


「果音!」

「うん!」


バトンパスのゾーンに入って、レイくんの、いつもより熱い手が私にバトンを渡す。


「果音、いってらっしゃい」


背中越しに、心底楽しそうな声が聞こえた。

ぞくぞくと背中が震える。力がみなぎる。

今なら、何でもできる気がする。


「のんちゃーん!頑張れー!!」


陽向っちの声とレイくんの言葉に背中を押され、私は走り出した。

と、そのとき。


「!」

「果音!!」


ぴゅっ、と横から出てくる足。

表向きには私を追い越そうとしている4組……憎々しげに私を睨む、男。

なるほど、追い越しのときにミスしたっていう言い訳のつもりか。

でも。


「ほっ!!」

「っ!?」


前に手をついてクルッと一回転、そのまま走り出す。

追い越しミスの言い訳が通じるなら、転ぶところだったのでっていう言い訳で通じるでしょ。

そう思いながら全力で走ると、後ろから舌打ちが聞こえた。

負けないよ。多分私が憎らしい別の人がやったんだろうけどさ。

それで負けるほど、私は弱くない。


「いけー!のんちゃん!」


ぐんぐん引き離す。足音が遠ざかる。

遠くから、「早い!」と叫ぶ誰かの声が聞こえた。

前には誰もいない。

そのまま、そのまま。

レイくんが、先のバトンパスゾーンに見えた。

そっか、本来のレイくんはアンカーだっけ。

慎吾くんの分まで走るなんて、すごいなあ。


「レイくん!」


私はレイくんにバトンを渡して、走らんとする背中に笑いかけた。

さっき、レイくんが言ってくれた言葉。


「いってらっしゃい!!」

「……っ!!」


レイくんが、ふっと笑う。

顔を見なくてもわかる。きっと今、レイくんは最高にかっこいい。

不敵な笑みを浮かべているのだろう。

レイくんの背中が遠ざかる。


「やっぱり……速い」


もはや、応援の声も出なかった。

レイくんの独壇場。何かのショーを見ている気分だ。

……やっぱり、レイくん、かっこいいよ。

慎吾くんの代わりを走っておいてさ、まだそんなに走れるんだね。

パアンッ、と1位のゴールを告げる音が聞こえた。

わあっと会場が湧く。

多くのクラスメイトが跳び上がって喜ぶ中、レイくんが真っ先に私を振り返って、笑った。


「……っ」


不敵な笑み、じゃない。

歯を出して、嬉しそうに、楽しそうに。

無邪気な笑顔。

ザクッ!と、何かが私の心臓に刺さった心地がした。

笑い返して、胸のあたりでぎゅっと手を握る。

何も考えられなくて。いろいろ、全部頭からすっぽ抜けて。

レイくんのことしか、頭になかった。


「っあ!そうだ、得点!」


我に返ると、2位、3位……と他もゴールして、ちょうど選抜リレーが終わる。

点数板が変わった。


1位、赤組。


逆転して頂点に君臨した私たちのクラスが、そこにあった。