そして迎えた体育祭。

きゅっとハチマキを結んで、ふんっと鼻から息を吐く。


「おはよう、果音ちゃん!」

「おはよう、陽向っち!」


にっこりと笑いかけてきた陽向ちゃん―――否、陽向っちに手を振る。

実は呼び名を今変えたのだが、イベントだということもあり、許してもらえたようだ。よかったよかった。

そして、私は近付いてきた気配に後ろを振り返る。

その大好きな気配を、私が違えるはずもなく。


「レイくんも、おはよう!」

「おはよう、果音」


ハチマキを緩く巻いたレイくんがふっと微笑んだ。

ジャージ姿のレイくんも相変わらずかっこいいなあ。

いやー、レイくんが好きって自覚してから、隠すのが大変だった。

いつもレイくんを見ちゃったりとか、レイくんがよく飲んでる飲み物飲もうとしたりとか、レイくん見つけたらすぐ駆け寄りたくなっちゃったりとか。

まあ、飲み物に関してはカフェオレ好きの私に対してレイくんはブラックコーヒー好きだったから、全然無理だだったんだけど。レイくんの舌って大人なんだね。

とにかく。

バレてないという確証は無いけど、バレていないことを信じて。

今日は、体育祭だ。


「よう、果音」

「よう!慎吾くん」


慎吾くんも私たちと同じ色のハチマキを巻いている。

そして、慎吾くんは私に笑いかけた後にレイくんを見やった。


「よう、三ツ瀬」

「……よう、後藤」

「舌打ちでもしそうな顔だな、ひでぇ」


一瞬火花が散った気がしたけど、慎吾くんはへらりと笑った。いつもの人懐っこくて楽しそうな笑顔。

対してレイくんも、挨拶自体は2文字だけど苗字読んでる…だいぶ進歩?というか、なんか仲良くなってる?

よくわかんないけど、戦って謎の絆芽生えるのはわかる?かも。

まあ、勝負するとはいえ、仲間同士だからね。

仲良くなったみたいで何より何より。


「よっし、じゃあみんなで体育祭、頑張ろー!」

「おー!」


満面の笑みで拳を突き上げ、私たちは気合を入れたのだった。






















だが。


「むーん、これはちょっとよくないねえ」

「そうだね…」


午前の種目が終わり、昼休憩。

今のところレイくんと私と慎吾くんとタカハラくんは、出た競技の1位を総ナメしている。

陽向っちだっていい成績だし、順調だと思ったんだけど。

今は2位。

1位との差は結構あって、このままじゃ2位止まりかもしれない。

みんな頑張ってるんだけどなあ。

ぐびっと蜜柑ジュースを飲み下す。


「あと何が残ってたっけ?」

「えっと、借り物競争と応援合戦と選抜リレーかな」


ほえー、と曖昧な返事をしてから考える。


「配点……応援合戦と選抜リレー、いくつだったかなー」

「計算してみた」


スッ、と目の前にスマホのメモが差し出される。

私の思考を見透かしたかのように丁寧に解説までついているそれを見せてくれたのは、なんとレイくん。


「果音なら考えるだろうと思ってた」

「そんなに私わかりやすいかな」


とはいえ、これは素直に嬉しい。

私はにっこり笑ってお礼を言ってから見てみた。


「なになにー?……応援合戦と選抜リレーで優勝かつ私たちのクラスで4人以上1位だったらいける?」


読み上げてからレイくんを見ると、レイくんはうんと頷いた。


「借り物競争はの人数から計算するとそうなる」

「ほえー」


流石レイくん、さっきまでジュースを買いに行ってたはずなのに、こんな短時間でやっちゃうなんて。

それとも、これを見越してお昼休みの最初にでも計算してたのかな?

どうだとしても嬉しい。胸がほんわかする。

私はにこにこしながらスマホをレイくんに返し、全身の喜びとともに蜜柑ジュースを飲み干した。


「にしても、応援合戦と選抜リレー優勝かあ……選抜リレーはともかく、応援合戦はちょっと心配かも」


陽向っちがそう呟く。


「まあ、なんとかなるよ!」


私は陽向っちの背中をばしっと叩く。


「やれることはやったし、みんな頑張ってくれたし!」


ね!と笑いかけると、陽向っちは少しだけ肩の力を抜いた。


「あ、そういえば果音ちゃん、呼び方…」

「あっ!変えてみたんだけど、どうかな?」

「とっても嬉しい!あだ名ってちょっと憧れだったから…」


そう言われてからハッとする。

今日はお下げじゃなくてポニーテールだからとってもかわいい陽向っち。

いやいつも天使みたいにかわいいけど、普段私以外に誰かと親しげに話しているのをあまり見ない。

それこそ私と慎吾くんくらいだ。

そっか…。あだ名にしては安直かつそれっぽくないけど、憧れだったんだね。


「あの、それより、果音ちゃん」

「んー?」


陽向っちは眼鏡越しに、期待の籠った眼差しを送ってくる。


「私、果音ちゃんのこと、『のんちゃん』って呼んでもいい……?」

「……!」

「えっ」


いきなり胸元を押さえて仰け反った私を見て、陽向っちは目を丸くした。

うう、死んじゃう…!

陽向っちに心臓を撃ち抜かれて死んじゃう…!!

え、かわいすぎ…?

かわいすぎない?

それに、『のんちゃん』か……!


『なんでよ、行かないで、のんちゃん……っ』

「―――っ!」

「…大丈夫?」


い、いけないいけない!!

もう終わったことなんだし、今は思い出してる場合じゃないよ!

私はぶんぶんと頭を振ってから、「陽向っち!」と叫んで抱きついた。


「すっごく嬉しいー!呼んで!いっぱいそうやって呼んで!!」

「ふふ、わかった!」


こうして、私は陽向っちの『のんちゃん』呼びを獲得したのだった。


「…………」


その様子を、レイくんが複雑そうな目で見ていたことは、私たちは知る余地があるはずもなく。

















「さーて、やりますか!」


ハチマキをきゅっと結び直す。

午後の部、最初は借り物競争だ。

といっても、お題はカオスぱっかりで、現在の一走目からもはや大喜利が始まっている。


『1位がゴール!お題は《数学バカ》でしたー』

「ほんとにカオスだな」


レイくんがげんなりした様子でそう呟いた。


「あれはまだいい方だろ。ほら、あれ」


少し前の方で待機している慎吾くんが指をさす。

その先には、泣きそうなタカハラくんの顔があった。


「誰かー!!誰か、古語辞典持ってる人いませんかー!?」

「うわあ…」


思わず顔を顰めてしまう。


「体育祭に辞典とか、そんなの持って来るガリ勉がいるわけな」

「僕持ってます!!!」

「いた…!?」


なんと、持っていたのはクラスの委員長だった。

委員長、まさかの体育祭に辞典持ってくる猛者(もさ)……。

す、すごい。

これにはレイくんや陽向っち、慎吾くんも目をかっぴらいていた。そりゃそうだ。

究極の文系の陽向っちもびっくりだよ。

そして、激ムズな古語辞典を持って、タカハラくんは3位入賞となっていた。

ラッキーだなあ、タカハラくん。

今何点くらい稼いでるんだろ……ってあ、そういえば。


「借り物競争、1位が4人、だっけ」

「そう。だけど…」


レイくんは二走目に視線を移す。


「えっ、待っ、俺と似てる奴…?」

「溶けたかき氷ジュース大好き人間探してまーす!!!」

「………」

「あー…」


私は微妙な声を出した。

ちょっとヤバめ…?

そして1位が出ないまま、3走目…私たち4人の番に。

どうすればいいんだろう…もう無理かな?

あとの3回に託すしかない…?


「神様仏様マリア様レイくん様どうか私たちに1位をください」

「なんか最後違うの入ってなかった?」

「うう、せめて敵のハチマキとかで済みますように…」

「それは…多分無理だなあ」


祈る私と突っ込むレイくん、願う陽向っちと突っ込む慎吾くん。

なんかこう、なんかがあって無事1位になれたりしないかな。

そう思いながら、私たちはスタートした。

箱に手を突っ込んで、祈る気持ちでお題を取り出す。

んーと、お題は……?

………!!!


「っ、レイくん!」

「果音、一緒に来て」

「えっ!?」


当てはまる人が思い当たった私が駆け寄ろうとした矢先、レイくんに手首を掴まれる。

そして。


「あっ、のんちゃん、私も!」

「ええっ!!」


陽向っちが反対の私の手を取る。

更に。


「三ツ瀬、俺のお題お前だわ」

「は?まあいいけど」


慎吾くんまで。

な、なんか…これ、すっごく青春っぽい!

私は溢れ来る何かを受け止めながら、笑った。


「じゃあ行こう!みんなで!!」


みんなで手を繋いで走り出す。

まさかこんな事になるなんて思ってなかったけど、他の人はまだ探している途中だ。


『4人が1位になること』


パアンッ、と1位がゴールしたことを示す音が鳴る。


「ゴール!!!!」


レイくんと慎吾くんと陽向っちと、私。

みんなで手を繋いでゴールして。

体育祭ってやっぱり、こういうことがあるからとっても楽しい。


「やったね!みんなっ」

「ね!」


笑いあって、みんなに飛びつく。

こんな形で、借り物競争の勝利条件をクリアできちゃうなんて…!

感動していると、進行の放送部がマイク片手に近付いてきた。


「お見事、みなさんが同時に1位ゴールということで、順番にお題をお聞きします!」


―――え、あ、そうか。

忘れてた。そういえばそんなのもあったっけ。

手の中でぐちゃぐちゃになっている紙をもう一度見る。

私の借り物は―――


「じゃあ、結野 果音さん、お題はなんでしたか?」

「え、わっ、果音……!?」


私はレイくんの腕にギュッと抱きつきながらピースをした。


「私のお題は、《優しい異性》でーす!!」

「!!」


レイくんが息を呑んだ気配がした。

そんなにびっくりするかなあ。

レイくんはどこまでも優しくて、かっこいい人なのに。

レイくんを見上げてみると、急に大きな手で視界を奪われた。


「え、レイくん?」

「…見ないで」


レイくんの声はいつもと変わらないように聞こえる、けど。

あれ…レイくん、声も手も、なんか熱っぽいような。

っていうか、この状況、なんか恥ずかしい…!!!


「…っ、そ、それでは、三ツ瀬さんのお題を聞いてみます!」


お、おー、よく進めてくれた!!!

放送部の機転のお陰で無事レイくんの腕と手から離れた私。

レイくんを見てみるも、やっぱりいつもと変わらない。

そして、聞かれたレイくんはしばらくしてから、ふっと笑って口を開いた。


「……ひみつ」

「―――っ!!」


バタバタバタ、と女子が倒れる音がした。

レイくんの悪戯っぽい微笑みを間近で食らった私も、腰が抜けそうになってしまった。

口のあたりを手でおおって、真っ赤な顔でレイくんを凝視して。

…レイくん。

色気、やばすぎ……。


「秘密って……」

「秘密は秘密。教えらんない」


レイくんは淡々とそう言ったあと、私の腕をぐいっと引っ張った。

そのまま、レイくんの腕の中に囚われてしまう。


「〇‪✕‬#☆@!?」


声にならない悲鳴をあげる私。

な、ななな、何が起きてるの!?

え、ちょ待っ、え!?


「一応言っとくと、俺の借り物は果音な」


―――…ん?

レイくんが手に持っていた2つ折りのお題の紙が、ぺらっとめくれた。

み、見えちゃうけどいいの?

そう思ってレイくんを見上げると、目がバチッと合った。


「……ふ」

「…っ」


レイくんはとっても優しい顔で笑うだけ。

そんな顔も最高にかっこいい。

でも、もしかして…見ていいってこと?

どれどれ、と紙を覗いてみる。



《自分の中で一番かわいいと思う対象》



………!?


「レイく…」

「しー」


唇に人差し指をあてるレイくん。

なんか、今日レイくんのカッコいいところを見すぎな気がするんだけど。

お題の内容とレイくんのせいで、私の頭はもうキャパオーバーだ。

ただでさえキャパなんて少ないのに、こんな供給過多で平気なわけが無い。

だから、陽向っちのお題が《大親友》であることも、慎吾くんのお題が《ライバル》であることもまったく頭に入ってこなかった。

もちろん、後でちゃんと聞いて陽向っちに飛びついたけれども。


















応援合戦の準備中。

応援合戦に使う用具を取りに体育館裏に走っていく私は、異様な気配を察知して足を止めた。

体育館の壁にぴったりと背中をくっつけて、様子を伺う。


「もうすぐ来るんだよな?三ツ瀬 澪と最近仲がいい女っつーのは」


………。

それって、私のことだよね。

名前呼びしてくれてるし、借り物競争であんなことしてくれるなら嫌悪感は無いはずだ。

うん、多分私。


「ああ、そうだ。入手した名簿に応援合戦の用具係って書いてあったからな」


うーん、なるほど?

っていうかそれ、今言って大丈夫なの?私に聞かれてるよ?

入手したってことは部外者かな。なら、穏便な用件ってわけでもなさそうだけど。

そのまま続きを聞いてみる。


「入手した、ってどこから?」

「そりゃあ権力さ、権力。依頼主は三ツ瀬 澪の仲がいい女を人質にしたい俺たちと利害が一致したからな」


…依頼主?

それに、人質か…。

聞いてる限り、レイくんって尋常な立場の人じゃなさそうだよね。いや、裏社会の人だろうなとは思ってたけど。

気配は4つ、用具を通るにはあそこを通るしかない。

…まあ、いっか。

ぐるぐると手首と足首を回す。

うーんっと伸びて、よし。

私は堂々と体育館裏に踏み出した。


「お、来た来た」


予想通り、行く手を阻む3人の男。

私は首を傾げた。


「なにか御用ですか?私用具係なので用具を取りたいんですが」

「ああ、御用だよ」


にや、と笑う男。

私はというと、さっとしゃがんで、後転の容量で地面に手をついて後ろの男の顎を蹴り上げる。

隠れていたつもりの4人目の男だ。

手にタオルを持っているので、薬でも嗅がせるつもりだったんだろう。

悪いけど、気配が隠しきれてなかったからバレバレだ。


「っな…!?」


残りの3人があんぐりと口を開ける。

まあ、そういう反応になるよね。

楽勝で捕まえられると思ってたんだろうし。

私はさっきの男が気絶したのを確認してから、彼らに向き直った。


「帰ってくれないかな?私喧嘩するの久しぶりだから、手加減できるかわかんないんだけど」

「―――…っ、この女…!!!」


3人の男が、懐からスタンガンを取り出す。

顔を怒りに染めて、青筋を立てている。

うーん、ダメっぽい?

じゃあ、しょうがないね。

私は、ふうっと息を吐くと、ぐっと足に力を込めた。


「ほっ」


低く身をかがめてスタンガンを避けつつ、1人目の懐に潜り込む。

そこから腕を組んで、肘でみぞおちを突き上げる。


「ぐあっ!?」


2人目、バク転で距離を取りつつ踏み込んで体を捻り、首の根元を回し蹴りする。


「どああっ!?」


3人目、左手で相手の手を邪魔しつつ右手でお腹を殴る。


「ぶほおっ!?」


ドサッと最後の一人が地面に倒れ込む。


「ふう…」


それを見下ろしてから、私はしゃがみ込んだ。

つんつん、と男の頬をつっついて気絶しているのを確認する。


「うーん…」


依頼主、人質、利害関係。

人質にしたいってことは、やっぱりレイくんを陥れたい人たち。レイくんの立場によってはいっぱいいるだろう。

問題は依頼主だ。

レイくんを陥れたい人たちと利害が一致するから協力するんだよね。

目的はじゃあ、レイくんを傷つけること?

それとも―――人質の「私」?


「……はあ…」


私はため息をついて立ち上がった。

…まあ、どっちにしたって、簡単にはやられてあげないけどね。

さてと、用具用具!

この人たちは…戻ったあとで不審者が倒れてましたとでも言っておけばいいか。

私はそう結論を出し、用具を持ってグラウンドに戻って行った。