その日の夜。

私は感じる視線に耐えられず家を出た。

そこには思った通り―――貴也くん。


「果音」


貴也くんはふっと笑った。

うっそりとした笑顔に怖気が走る。


「昼間の殺気、貴也くん?」

「やっぱり気づいてたか。昔から勘の鋭さも実力も変わってないみてーだな」


貴也くんはゆっくり歩み寄ってきて、目の前で立ち止まる。

黙って見つめ返していると、貴也くんはすっと笑みを消した。


「っ!」


ダンッ!と塀に勢いよく手をついて、顔を近づけてくる。


「果音」


低い声で、もう一度呼ばれた。

…怖い。

4年前のときを思い出して後ずさりしようにも、後ろは塀だった。

そして、貴也くんは私の耳に口を近づける。


「…昼間。三ツ瀬は、お前に何をした」

「…っ」


貴也くんが私の額に触る。

声音や表情とは裏腹に、その手は壊れ物を扱うような手つきだった。


「何をした?口付けてたよな、果音の、額に、直接」


昼間を思い出す。

レイくんは見せつけたと言っていた。

殺気が向けられたのは、きっとレイくんだ。貴也くんが私に殺気を向けるはずがない。

だとしても、額に口付けた意味はまだわからない。

だけど―――


「果音。なんであんな男のキスなんか受け入れたんだよ」


貴也くんは眉をひそめた。


「まだ俺も額にさえキスしてなかったのに…なんで」


そして私の顔を覗き込んでくる。

目が合うと、彼の目の暗さに思わず息を呑んだ。


「お前はあの男が好きなのかよ」

「へ…い、今…なんて?」


貴也くんの言葉に私は聞き返した。

まさかそんなこと言ってくるとは、思わなくて。


「好きなんだろ、三ツ瀬が、あの男が」


目を見開く。

私が―――レイくんを、好き?


「な、にを…言って…」

「果音のことだ、自分の思いにすら気付かずに過ごしてたんだろうけどな」


貴也くんは忌々しげに眉をひそめた。

レイくんは優しかった。無表情が多いけど最近はよく微笑んでくれる。

勉強も教えてくれた。

レイくんの、仲がいい女の人が―――少なければいいな、って思っちゃう。

私が、レイくんを―――好き。


「俺にはわかるんだよ。だからこそ、言ってる」


貴也くんは顔をぐっと近づけてきた。そのまま止まって私を見つめる。


「…わからせてやるよ。お前後選ぶべきはどっちなのか、俺がどれだけお前を愛しているか。…そのうちな」

「……っ」


言葉を詰まらせていると、貴也くんはパッと離れてうっそりと笑った。


「今日はここまでにしておいてやる。またな、俺の愛しい果音」


もう来ないで。そう思うも、何も言えない。

逃げたのは私だ。あの事件の原因は私だ。

もう逃げられない。逃げたら、今度は、レイくんが―――


「………」


ぺたりとその場に座り込んだ。

怖い。この先が。幸せな日常が壊れてしまうのが。

みんなが、傷つくのが。


『好きなんだろ』


私が…レイくんを、好き。

優しくて紳士でかっこよくて、私の隣のレイくん。

感じていた気持ちは、まさしく恋と呼ぶに相応しいのだろう。

でも、こんな形で知りたくはなかった。

私、これからどんな顔してレイくんに会えばいいんだろ…。

途方に暮れる私のプラチナブロンドを、さあっと風が撫でていく。


「ねえ奏。私、どうすればいいのかな」


亡き妹に呟きかけながら、私はそっと目を瞑った。