頭は悪い、運動はできる、脳筋な私。

と言いつつ、最近はレイくんのお陰で成績が上がってきてるんだけど、それは置いといて。

脳筋な私の、最高にアツい夏がやってくる。

そう、それは―――


「体育さーーーーーーいっ!!」

「「うおおおおおおおお!!!」」


クラスの男子という男子(ただし隣のレイくんは男子だけど除く)が私に同調して雄叫びを上げる。

もうすぐ体育祭。

私が輝く季節がやってきた!待ってたよ!アイミスユー体育祭!!


「果音ちゃん、去年の体育祭もすっごくイキイキしてたよね」


陽向ちゃんがくすりと笑う。


「そりゃそうだよ!運動好きだもん!」


笑顔で返すと、陽向ちゃんは流石だねと返してくれた。


「よし結野、今年も撮った点数勝負だぜ」

「おう慎吾くん、望むところだ!」


慎吾くんの挑戦状にノリノリで応じる。

ちなみに去年は引き分けだった。

今年こそ勝つんだから!!


「ストップ」

「へ?」


レイくんが鋭い視線を慎吾くんに向けた。

ど、どうしたのかな、レイくん?


「蛇に睨まれたサルになってるよ」

「蛙だよ、果音ちゃん」


陽向ちゃんに囁くと指摘されてしまう。

蛙だったっけ……。でも慎吾くんはサルっぽいからいいんじゃないかなあ。

それより、レイくんはなんでストップかけたんだ?


「果音との勝負は今年はお預けだ、後藤」

「は?」


レイくんは、びゅおおおっと吹雪の雰囲気のまま言った。


「今年は俺が相手」


………。


「え?」

「は?」


陽向ちゃんと慎吾くんが同時に素っ頓狂な声を出した。

私は数秒固まって頭を整理する。

ちょっと待って、レイくん、今。

慎吾くんと勝負するのはレイくんだ、みたいなこと言ったよね?

それってつまり…

どゆこと?


「よくわかんないけど、レイくん、そんなに慎吾くんと勝負したかったの?」

「…そういうわけじゃないけど、でも」


レイくんは無表情のまま窓の外に視線を移した。

その先には真っ青な空、青々とした木々、そして野球部の朝練が見えるグラウンド。

暖かくなってきていて、私も今日から制服の夏服を着ている。


「俺の中でけじめはつけないと、と思って」

「…けじめ?」


うーん、ますますわからん。

私は変わらず首を傾げながら、なぜか意味がわかったらしい陽向ちゃんに苦笑されていた。








_______________




「じゃあレイくん、バイバイ!」

「ああ、また明日」


果音に手を振り返すと、果音は嬉しそうに笑ってから家に入っていった。

そのかわいい笑顔に内心癒されながら、ふう、と息を吐く。

今日は俺がこの近くに用があるからと言って家まで送ることにした。

果音は最初は遠慮していたが、「俺が送りたいだけだから」とゴリ押しした。どうやら押しに弱いらしい。

そういうわけで無事、俺は何事もなく果音を家に送り届けたわけだが。


「…お前、そんなふうにどこまでもついてこようとするから振られたんじゃないの」

「言ってくれるじゃねーか。お前こそ、自分の立場知っといて果音に関わろうとしてるの、なんなんだ?」

「お前に何がわかる。……高森 貴也」


校舎を出たときから感じていた、刺さるような殺気と果音にまとわりつくような視線。

こればかりは果音も気づいていたようだが、その正体が高森だとわかっていたのかどうかは、俺には知る余地がない。

ただ俺は、このままこいつを放置するわけにはいかないから果音を送り届ける決断をした。


「俺の生きている世界は果音とは違う、そんなことはわかってる。」


本来なら、俺が果音と親しくするのは望ましいことではない。いくら愛しくても、愛しいからこそ。

自分を含めた人間という存在に価値を見出せなかった俺が唯一大切だと思った、馬鹿で無策無謀で優しい女。

輝くような金髪と、美しい褐色の瞳。

それを見るたびに、いつも俺の心は満たされる。いつもぽっかりと空いていたように感じていた俺の心が。

そう、だからこそ、俺は彼女から距離を置かなければいけない。

そうしなければ、いずれ彼女は狙われる。俺のせいで。

俺と親しい、それだけで。


「…わかってるんだよ」


だが離せない。やっと見つけた愛しい女を手放したくない。

そんな気持ちが俺の中にあるせいだ。


「…だけどそれはお前にも言えることだろ、高森」


俺は高森を鋭く見据えた。


「お前も―――俺と同じ世界の人間、じゃないか」

「そうだよ」


高森はうっそりと笑う。

その瞳は俺を見ているわけではない。まさに虚空、そこにいない果音を想像しているのか、果音がいないとその瞳に光は灯らないのか。


「俺はとっくに決めたさ、果音を俺のものにすると。そのためには手段は選ばねーし、誰にも触れさせねー」

「……」

「お前にはその覚悟はできてんのかよ」


―――愛しい女を、自分と同じ世界に引き込んで守る覚悟が。


「今日はこれで引き下がるが、早めに手を引けよ、三ツ瀬。これは警告だ」


高森は、そう言って踵を返した。


「―――………」


きっと俺がいないほうが、果音は幸せになれるだろう。

眩しい世界の中で、ずっと。

でも。


『俺はとっくに決めたさ、果音を俺のものにすると。そのためには手段は選ばねーし、誰にも触れさせねー』


あの男はああ言っていたけれど。


『……貴也くん』


果音が高森と再会したときは、顔が青ざめていて。


『よう結野!』


もう1人、果音を狙っている男がいて。

俺は、そんな果音を残して離れるなんて―――


「ッチ、あー…くっそ」


くしゃりと前髪をかきあげる。

そのまま天を仰いで、夜空に浮かぶ星を見上げた。

月は見えない。きっと新月だ。


「俺は、どうすればいいんだよ……」





_____________









雨だ。

雨が降っている。

雨音でうるさい外を眺めながら、私は近くにいるみんなに言った。


「…いい天気だね」

「土砂降りだけど?」


私にそう返した「彼」に、「彼女」が言う。


「まあ、いい天気なんじゃない?…あたしたち、全員傘ないじゃん」

「なら尚更なんでだよ」


もう1人の「彼」は言った。

わかってるくせにね。

それに、私と「彼女」と「彼」は、くすりと笑う。


「このまま雨が続けば―――まだいられるじゃん、一緒に」

「うわー、キザだ。ここにキザ女がいる」

「誰がキザで厨二病で馬鹿で不良よ、失礼ね」

「キザしか言ってねーよ!てかどれも合ってんじゃん!ってちょ、ギブギブ、プロレス技とかお前の女子らしからぬ怪力で骨折れるって」

「やだー、折ってほしいなら早く言ってよ。いつでもやってあげるのに」

「遠慮しとく!!!」


「彼」と「彼女」の、もう日常と化した光景を、私と「彼」が見てやっぱり笑う。

―――ああ、楽しいなあ。

そう思ってぶらぶらと足を揺らすと、まだ足にミサンガの感覚があった。

懐かしい感覚に泣きそうになる。


「どうした、具合でも悪いのか?―――果音」


プロレス技からなんとか抜け出した、まだ「あの状態」じゃない「彼」が、私の顔を覗き込んでくる。

雨が強くなった気がした。

この先の未来を私は知っている。今ここで逃げ出したらあの未来は訪れないだろうか。

久雪街に引っ越すことも、ミサンガをなくすことも、みんなと離れることもなかった?


「―――ううん、なんでもない。まだみんなといたいなって思っただけ」


そうすれば、辛い目に遭うことなんて、なかったのかな。

今そうすれば…間に合うかな。


『好きだ、果音。こっちにおいで』


……レイくんと会うことも。勉強を教えてもらうことも。


『この前店で見つけた。どうせなら花畑で渡したくて』


菜の花の髪飾りを、もらうことも。

全部なくて、みんなと幸せに?


「…そうか、ならよかった」


ぎゅっ、と胸が掴まれた心地。

今逃げ出せばあの事件は避けられる。みんな幸せになれる。

…なのに。


「何かあったら言えよ。俺たちは、『仲間』なんだから」

「…うん、ありがとう。―――貴也くん」


私は逃げ出せない。

レイくんと会う未来を、どうしても引き寄せたくて仕方がない。

だから、この先の未来も、逃げようとすることができない。

…ああ、やっぱり私って、最低だ。

私だけのために、あの2人を…。


「今日も、みんなで濡れて帰ろっか」


雨はやまない、続いていく。

鮮明に覚えている。確かにこの日は深夜まで雨だった。

なのに。


『選べ、果音。二つに一つだ』


あのときのことは、もうほとんど、覚えていない。



















ピピピピ、ピピピピ。


「んんぅー…」


眠気が冷めない中目を擦り、パジャマの中から体温計を引っ張り出す。


「39.4度…私ってば猛暑日すぎる」

「あちゃー。馬鹿は風邪引かないのにねえ。今日はお休みかな」


お母さんが、私の頭をふわふわ撫でた。

ぼやぼやした思考の中、私は「うー」と返事にならない返事をしながら今朝見た夢を思い出す。

…久しぶりに、久雪街に来る前のときの夢を見た。

あのときもみんなで濡れて帰って、みんなで風邪引いたっけ。

風邪を引くのはそれ以来だ。


「全く、体育祭の練習が楽しみすぎて湯冷めと寝落ちのコンボなんてさすが果音」

「どうも…」

「褒めてないわよ、一応言っとくと」


知ってるよ、そのくらい。

うー、でもまさか、体育祭の練習初日に風邪引くなんて…。馬鹿にも程があるってレイくんも言うよ、きっと。

…だって、楽しみだったんだもん。

慎吾くんも張り切ってたし、陽向ちゃんだっているし、それに、今年はレイくんがいる。

そんな今回は、今まで16年…もうすぐ17年だけど、それくらい生きてきた中で一番楽しくなる気がするんだもん。

だから、楽しみでしかたなかった。

それがまさか、こんな形で襲いかかってくるとは。

やっぱり興奮するのはよくないなあ…。


「じゃあ、私は一階にいるから。何かあったら言ってね」

「ありがとう」


そう返事すると、お母さんは部屋から出て行った。

ぐでん、となってぬるくなってきた額の冷たいシートを手でペタペタと触る。

風邪を引くのは私らしくないくせに風邪の原因が私らしいとかどんな皮肉だよ、とぼやきたくなった。


「はー…ついてないなあ」


すると。

ピコン、とスマホから通知が聞こえた。

うつ伏せになるように転がって枕元のスマホを見ると、慎吾くんと陽向ちゃんからメッセージが来ていた。


『結野、風邪だって聞いたけど大丈夫かよ?去年は全くなかったのに珍しいな。とにかく早く治せよ?そんでもって三ツ瀬を相手にしてくれ』


…レイくんがどうかしたのかな?

そう思うも、すぐに慎吾くんはレイくんとまだ打ち解けていないんだと思い出した。

最近のレイくんは2文字とかまったく関係ないから忘れちゃってたよ。

そして陽向ちゃんのほうは。


『風邪ひいたと聞いたよ。お大事に。ゆっくり休んで、元気になってね。それと、三ツ瀬くんがあまりにも会いたそうにしてるから早く来てね。』


??????

私は思いっきり首を捻った。

レイくんって人見知りなのかな?

それとも2人の見間違いか…でも2人もこう言ってるのに間違いって決めつけるのはちょっと…。

うーん、わからん。

ただでさえ馬鹿なのに風邪引いて思考が鈍ってる状態でとか、普段でもわかんないことがわかるわけないか。

すると、レイくんからピコン、とメッセージが来た。


『ちゃんと寝てろよ』


「ぶはっ」


思わず吹き出してしまった。

レイくんがレイくんすぎて安心する。そうだよね、なんか安心した。

淡白で冷たいように見えるけどやっぱり優しいなあ。

胸がほっこり暖かくなる。やだなあ、熱上がったかも。


「…ちゃんと寝てろよ、だって」


ほくほくしながら、私は改めて布団を被る。

今日は大人しく寝るとするか。レイくんにも言われたことだし。


「むふふ…」


でも、ちょっと、寝るのには時間がかかりそうかも。

嬉しすぎて目、覚めちゃったから。























さら、と頭に柔らかく触れられる。

とろとろした夢の狭間で、私は髪を誰かに梳かれる感触を感じながら穏やかに眠っていた。

お母さんが帰ってきたのかな…。お腹がちょっと空いてきたかも…。


「ん、ぅ…まだ眠い…」


そう呟くと、さらりと頭を撫でてくれていた手が強張って止まる。


「…起きた?ごめん、起こすつもりはなかったんだけど」

「んえ?」


お母さん、こんなに声低くない…あれ?

重い瞼をゆっくり持ち上げる。

すると視界に映ったのは、綺麗なお顔。

その目には心配の色が浮かんでいる。

…え、これ夢?


「なんで、レイくんが私の部屋に…?」

「いろいろ届けにきた」


レイくんの視線の先には、プリント類がまとめて置いてある机。

ああ…プリント、届けてくれたんだ。


「ありがと、レイくん」


ふにゃっと笑えば、レイくんは珍しく慌てた様子で目を逸らした。


「…別に、これくらい気にするな。それより、昼飯以降何も食べてないんだろ。起きれる?」

「…んむむ」


眠たい目を擦って起き上がる。

それからレイくんを見てぱちぱちと瞬いて、よし。


「おはよう、レイくん」

「ん。おはよ」


レイくんは私をよしよしと撫でた。


「っていうか、本当になんでここに?」

「届けに来たって母親に言ったら通されただけだよ」

「…あー…っと」


お母さんのキャーキャー言って騒ぎまくる姿が思い浮かぶ。

もしくは、びっくりしすぎてお玉とか落とす姿。

それで、何も考えずに勘違いして通したんだろうなあ…。


「なんかごめん。いろいろ聞かれた?」

「いいや。『どうぞごゆっくり!ウフ』で終わった」

「お母さん…………」


すごいよ、ほんと。この私がお母さんの手にかかればボケ役からツッコミ役に早替わり。

流石私の母。

そしてレイくんに『ウフ』を言わせるのもすごいよ、いろいろな意味で。


「まあ、それはよくて。ゼリーと果物買って来たんだけど。食べれそう?」

「食べる」


レイくんがわざわざ買ってきてくれたんだもん、食べるよ。

ちょうどお腹すいてたし。

ベッドに腰掛けた状態でゼリーに手を伸ばす。

すると目的のゼリーはレイくんが先に取ってしまった。

そしてレジ袋からささっとスプーンを拾って、袋を開けて、取り出して。


「ん、果音。ほら。あーん」

「⁉︎⁉︎」


目の前に差し出されたみかんゼリー。

流石レイくん、なぜ私の好みを知っているのか。…って、そうじゃなくて。


「れ、レイくん?これはいったい―――むがっ」


聞こうとしたときに口に突っ込まれ、仕方なく咀嚼する。


「おいひい」

「それはよかった」


レイくんは当然のように笑った。

イケメンかよ、これじゃあなんでこんなことしたのか聞けないじゃん。


「ほら、二口目」

「………」


カンカンカン、この勝負、三ツ瀬選手の圧勝です。

私がベッドに腰掛けて、レイくんが床に座っているからかレイくんの顔が私より下…。

新鮮。かっこいい。

仕方なく、私は従うことにした。


「そういえばレイくん、聞きたいことがあるんだけど」


あっと思い出した私は、二口目を飲み込んでから言う。


「どうかした?」

「どこかで喧嘩してきた?」

「………」


レイくんは目を見開いた。

沈黙は肯定ってね、やっぱり当たりか。


「どうしてわかった?」

「レイくんが普段つけないような匂いがする。たぶん、タバコ?懐に潜って肘でみぞおちを突き上げたのかな。ワイシャツの布地がちょっと張ってる」

「!」


レイくんの隙のない攻撃が眼裏に浮かぶようだ。

きっと相手に反撃の余地も与えずに気絶させたことだろう。


「この程度なら洗って干せば消えると思うよ。洗濯機で乾燥までせずに水の重さで張りとシワを直すのがおすすめ」


にっこり笑った。

諸事情で、喧嘩を悟らせないためのコツは熟知している。専門分野と言って差し支えない。


「…ここに来る途中でおっさんに絡まれた」

「そっかあ、よくあるよね、特に歓楽街の近く通ってると」

「…喧嘩しないでとか、言わないんだ」


レイくんがぽつりと呟いた。


「久雪街でそんなこと言ってもねえ」

「それもそうか」


そもそも私は「表社会」の人じゃない。

れっきとした「裏社会」の人だ。今は…まあいろいろあって、逃げてるけど。

そういうことで、私は喧嘩しないでとか言える立場じゃないし、言う気はない。

ここは久雪街だ、この前レイくんが男の子を助けてたときみたいなことがあるかもしれないし。


「…はい、これでできた」

「ありがとうレイくん、何から何まで」


ゼリーを食べ終わったあと、額のシートを交換してもらって一段落。

レイくんは、私を改めて撫でた。


「…早く治して。果音がいないと学校つまんないから」

「……うん、わかった」


熱があるからか、今度はすんなりと受け入れられた。

それと、なんだかレイくんが言ってくれたセリフが嬉しくて。

レイくんは、私をそっとベッドに倒して布団を肩まで掛けさせてきた。


「じゃあ、よく寝ろよ」

「ふふ、うん」


メッセージのことを思い出して軽く笑う。

さっきから少し眠気があり判断力が鈍っているのか、いつもより間抜けた笑みが溢れた。


「来てくれてありがとう。すっごく、嬉しかった」


瞼が重い。もっと起きてたいのに。

そんな様子を察してか、レイくんはひんやりした手を目に被せてきた。

その手に私の熱い手を重ねて目を閉じる。


「レイくん、ほんとにありがとう。…おやすみ」

「…っ、おやすみ」


レイくんの返事を聞いて、意識が闇に吸い込まれていく。

こんなに心地いいものかと思いながら、無事に私は再び眠ったのだった。









「………ったく、生殺しかよ。反則多すぎて指摘する気も起きない」


だから、私は知らない。


「……………好きだよ、果音」


レイくんの、こんな言葉は。