レイくんが男の子を助けていた一件から、レイくんの様子はなんだかおかしい。

名前呼びはいいんだけど、なんか……こう……うーん。

上手く言えないけど……甘くなった?

視線の温度とか、声音とかが甘くなった。

親しくなったって割り切ってたけど、なんだか恥ずかしい。


「果音」


金曜日。レイくんは優しく話しかけてきた。


「週末空いてる?」

「週末?空いてるけど、どうかしたの?」

「一緒に行きたいところがあって。お出かけしよう」

「お出かけ!」


私は目をキラキラさせてレイくんを見る。


「行く!どこ行くの!?」

「それは秘密」

「えー」


じれったい気持ちで笑う。

お出かけ……誘われちゃった!レイくんに!!

すごい……今までの興味のなさそうなレイくんが嘘みたいだ……。

何か変な食べ物でも食べたのかな?

久雪街ならありそう、変な食べ物。


「10時に迎えに行くから。待ってて」

「え、いいよ。待ち合わせしよう?」

「やだ、果音の私服、家族以外の一番最初に見たいから。待ってて」

「……!?」


ちょっと待とう、いったいどうしたんだ。

レイくんだよね、目の前の男の人。影武者じゃないよね?


「……ウツボとミノカサゴだったらどっちが好き?」

「ウツボ。前も聞いてたけどどうかした?」

「いや、レイくんずいぶん変わったなあって。影武者かと」


すると、ふは、とレイくんは笑った。


「ちゃんと俺だよ。ちょっと気づいたことがあっただけで」

「そ…う、なんだ?」


聞いても答えてくれないんだろうな、と思った。

さっきだって秘密って言われちゃったし。

でも、聞かなくてもいい気がした。














そして、お出かけ当日。

着飾る私を見て、お母さんが笑う。


「果音、お出かけ?」

「そうなんだ!」


私は、満面の笑みでピースをした。


「お出かけしてくる、友達と!」


言ってから、あれ、ってなる。

私、友達でいいんだよね、レイくんの。

流石にただのお隣さんとはお出かけしない…よね、きっと。

あの、めっちゃ興味なさそうなレイくん、だもん。

…今はちょっと違うけど。

すると、ピンポーン、とインターホンが鳴った。


「あっ、来た!」

「じゃあ楽しんでらっしゃい、果音」

「うん!いってきまーすっ!」


お母さんに見送られながら外に出る。

すると、平日いつも過ごしている家の外が、美術作品の世界のようなところに変わっていた。


「……っ⁉︎」


庭や建物は何一つ変わっていない。

ただそこに、とっても綺麗でかっこいいレイくんがいるのみだ。

それだけで……それだけで、世界はこんなにも変わってしまう。

モノクロ系のクールコーデ。

私はまあ、そうくるかなと思っていた、実は。

でも、見た目がかっこよすぎてそこが予想外。

私もその予想に合わせたクール系の色のコーデにしてみたんだけど、釣り合わなさそうだから違う方が良かったかも、なんて。


「…ん、おはよう、果音」

「お、はよう、レイくん…」


レイくんは優しく笑って私の手をするりと取った。


「かわいい。似合ってる」

「ありがとう?」

「なんで疑問形?」

「いや、レイくんこそそうだよなあと思って」


私は、改めてレイくんを見てから笑った。


「すっごくかっこいい。似合ってるよ、レイくん」

「……っ」


レイくんの真っ黒な目がいっぱいに見開かれた。

そして私に手を伸ばしたかと思うと、髪が崩れない程度に撫でてくる。


「レイくん?」

「…………」


レイくんは、何も言わない。

不思議に思って、なんとか見上げると。


「だめ。……今は、見ないで」


ふいっと顔を背けられた。

ちらりと見えた真っ赤な耳。

それを見て、私は一つの考えを浮かべる。

もしかして、もしかして。もしかして。

照れてる?


「わ、わあ…っ」


そう思うとなんだか私まで恥ずかしくなって、私はとても慌てた。

慌てて慌てて、その勢いでレイくんの手をぎゅっと握って引っ張る。


「ほ、ほらレイくん、行こう!?楽しみだなーっ!!」


照れてますと言っているような態度だとわかっている。

でもそうせずにはいられない。

ポジティブ精神だけは無駄に育っているが、こっちの方向の耐性はまったくないのだ。

なにせ、貴也くんとは恋人っぽいことは何一つ…。

そう、何一つ、していないのだから。

元カレなどほぼ名ばかり。

それでも元カレは元カレだから、つまりは元カレで。

って、私でも何言ってるかわかんなくなってきた。

私ってば、よっぽど慌ててるんだなあ…。

悪い意味で私らしくて悲しい。

とまあ、そういうわけで、私たちは少しだけ照れながら駅に向かった。













電車は久雪街を出てしばらく行くものに乗った。

他にもいろんな電車があるので、わざわざそれに乗るということは、久雪街じゃない観光地にでも行くのだろうか。

いやそんなことよりも、さっきは大変だった。

そう、私は…私たちは、手を繋いでいたのだ。

手を繋いだままお互い離すタイミングを逃して。

そのまま赤くなりながら駅に入り。

結局、離したのは改札の前だった。

はあ…なに照れてるんだろ、私。

ため息をついて頬をぺたぺた触る。

流石に改札の後は手は繋がなかった。

だけど、レイくんの、大きくて熱い手のひらの感触はまざまざと蘇ってくる。

忘れるなと言われているような…違うか、忘れられないんだ。

男の人と手を繋ぐと、あんな感じなんだなあ…。


「もうすぐ着く」


レイくんが、そう言って立ち上がる。


「わかった!」


私も立ち上がり、レイくんの隣に並ぶ。

そしてそっとレイくんを盗み見た。

綺麗な顔立ち、それは何も変わっていない。

物思いにふけるような彼は、今何を考えているんだろう。

彼にも、ふと考えてしまうような事情があるんだろうか。

ないのが一番いいに決まってるけど、最初からずっと冷たい目をしてきたレイくんに何もないとは言い切れない。

なにせ、何もなさそうな私にも、それは存在するのだから。


「果音?」


ずっと見つめてしまっていると、レイくんとバチッと目が合った。

少しだけ目を見開いて、不思議そうに首を傾げる。


「どうかした?」

「ううん、楽しいなーって」


これは本当だ。友達と出かけるのはよくあるけど、なんかいつもとは違う気がしていた。

わくわくに混ざった…なんだろう、ドキドキ?

わかんないけど、とっても癖になる気持ちだ。


「それはよかった」


レイくんは、そう言って私に手を伸ばし、私の前髪をそっと梳く。

それからその手は頬に落ち、ガラス細工にでも触れるような手つきで撫でられた。

なんだか胸の奥がくすぐったい。感情が読み取れない微笑みを浮かべるレイくんから目が離せない。


「っ…」


名前を呼ぼうにも、なぜか声が出なかった。

内心とんでもなく慌てる私を見て、レイくんはふっと笑う。

その笑みは一体なんだろう。悲しいのか嬉しいのかわからない。


「…果音」

「…うん」


名前を呼ばれた。

その声はやっぱり優しい。だけど、寂しい。

彼は間違いなく、私と距離を置いているのだ。心の中に抱えるそれが原因なのかどうかは、わからないけれど。

私は思わず、頬を撫でるレイくんの手をまた取ってぎゅっと握った。

それと同時に電車が止まって、ゆっくりドアが開く。


「…はぐれないようにしないとね、レイくん」

「……そう、だな」


また私たちはぎくしゃくし始めた。

でも、寂しいよりかはいいと思う。

せっかくの「お出かけ」なのだから、寂しさなんて感じたくない。










「わあああっ…!」


しばらくして。目の前の光景に目を奪われた私は顔を輝かせた。


「綺麗な花畑!!」

「菜の花だよ。今が見頃だって」


可愛らしい菜の花が詰まった花畑。

甘い香りがふわっと風に運ばれてきては穏やかに花が揺れる。

周りに広がる緑と雲ひとつない青空も相まって、まるでそこだけ天国を切り取ってきたみたいだった。


「めっちゃ素敵!連れてきてありがとう、レイくん!」


笑いかけると、最近のレイくんにしては珍しく、返答がない。

だが、やっぱり柔らかい彼の微笑みが、レイくんの返答のような気がした。

私はもう一度菜の花畑を見る。

嬉しすぎて泣きそう。菜の花に思い入れがあるわけでもないのに、見るだけで胸がきゅっと締め付けられる心地がする。


「…とっても嬉しい」


この前だって桜にちっとも興味がなさそうだった。

優しいレイくんのことだ、きっと私が好きそうだと思って連れてきてくれたんだろう。

そう思うのは自惚だろうか。でも私はほぼ確信しているんだ。なぜか。

ずっと菜の花畑を眺めていると、レイくんが私の頭を撫でた。

そして、編み込んでいた髪にパチッと何かをつける。

…どうしたんだろう?


「?」


レイくんを振り返って見てみると、それは菜の花のデザインをした髪飾りだった。


「えっ!」


じんっと目頭が熱くなる。

こんな気持ち知らない。涙がでそうになる程嬉しい。


「これは…」

「この前店で見つけた。どうせなら花畑で渡したくて」

「わざわざ買ってくれたの?それで、わざわざ連れてきてくれたの?」


…ほわあ、と私は言葉にならない気持ちを噛み締める。

まさか、最初は2文字までの返答しかしなかったレイくんが、こんなことしてくれるなんて…。


「ほんっとありがとう!!大切にする!」


私は満面の笑みを返した。

これじゃ足りないな、もっとお礼をしなきゃね。

これからゆっくり返していこう。

勉強を教えてもらったのもあるし、うーん。レイくんにはもらってばっかりだね。

いつかお返しするねって言っても、やっぱり優しいレイくんは「いらない」って言うんだろうか。

押し売りしちゃったら迷惑だろうな。

でも、押し売りせずにはいられない。

私がレイくんにもらった幸せは、いつか絶対に返す。


「果音」


そう呼ばれて我に帰る。

そして、そのときにはもう既に、私の視界はレイくんの顔の下を映していた。


―――ちゅっ


と。

レイくんにしてはかわいすぎるような小さくて甘い音が、レイくんの唇から紡がれた。

私はというと、掻き上げられた前髪と、柔らかい感触のする額に戸惑いを隠せずに固まっている。


「へ…?」


今、何が起きた?

えっと、えーっと、私、レイくんから髪飾りをもらって、それから―――


「っ⁉︎」


ぶわっ、とだいぶ時間をおいて私は赤面した。

ブラジルとの中継並みの時差だとかは突っ込まないでほしい。流石に今のは処理が追いつかない。


「なな、何して…⁉︎」

「……ジンクスなんだよ、この花畑でキスすると、相手が幸せになれるらしいから」

「ジンクス…?」


そ、そんなジンクスあるんだ?

知らなかったけど、でも。


「…へへ、そっか」


幸せになれる、かあ。

そのジンクス、即効性かも。

今、私は最高に気分がいい。

それはレイくんが私の幸せを願ってくれたからか、それとも。