「…僕が最後に、あの子が泣いたのを見たのはおそらく、僕が引き取って1か月後くらいですかね。その後、あの子は僕に涙を見せることはなかった。きっと、僕に気を遣ったのでしょう。心配させたくない、と。」
「…私も、そうなのかもしれないなって、後から考えました。健人くんがあまりに静かに泣くから、なんとかしなきゃってそればっかりで、あの時は。」
「あの子の涙に気付いてくださって、ありがとうございます。…あの子は、家のことも話しましたか?」

 綾乃は静かに頷いた。

「ご両親を亡くしたこと、そこから親しい人を作りたくないと思っていたこと、…すごく勇気を出して、自分の気持ちを伝えてくれたことがわかって…自分が逃げていたことが恥ずかしくなりました。」
「逃げていた?」
「はい。…私、恋愛が得意じゃなくて…というか、前に相手の期待に応えられずにうまくいかなくなってしまったことがあって。それで、なんか…元々自信があったわけではないんですけど、より一層…なんというか、勇気が出なくて。せっかく健人くんに気持ちを伝えてもらえて嬉しかったのに、健人くんが思ってる私じゃない私を見せてしまった時、嫌われちゃったらどうしようとか、失望させちゃったらどうしようとか…あと、年上だからリードしてあげたいけど、…そういうのもきっとできないだろうなと思って。」
「…なるほど。ずっと、湯本さんは健人に好意を寄せていてくれていたんですね。」
「え…?」

 少し悲しそうだった表情が和らいで、今は穏やかな笑みに戻っている。

「嫌われたくないのも、失望させたくないのも相手のことが好きだからですよ。好きだから、好きでいてほしい。嫌われたくない。健人が勇気を出したタイミングで、湯本さんも勇気を出してくれた。…ありがとうございます。」
「お礼を言われるようなことは…!」
「…嬉しいです、本当に。あの子が誰かに手を伸ばす日が、…もう来ないかもしれないと思ったこともありましたから。」
「…精一杯、頑張ります。伸ばしてくれた手を、ちゃんと掴んでいられるように。」
「はは、ありがとうございます。」

 綾乃はしっかりと頭を下げた。