「…綾乃ちゃんが、妻で、奥さん…かぁ。ふふ…嬉しい。」

 唇が何度か重なって離れて目が合うと、健人は呟くようにそう言った。

「そっか。夫で、旦那さん。…今とあんまり変わらないかも。」
「そう?」
「うん。ドキドキとかそういう恋愛感情みたいなのもちゃんとあるけど、やっぱり根底にはずっと安心がある。健人の傍は。」
「安心、していられる?」
「すごく。…健人の腕の中も隣も、健人がいるところはどこでも世界一安心できる場所だよ。」
「…待って、そういうこと言われると泣きそう。」
「泣く?泣いてもいいよ。」

 綾乃が腕を広げる。潤んだ瞳の健人に対して、綾乃はいつも通りに笑っている。

「頑張って大事な話をしてくれてありがとう。」
「…綾乃ちゃんにいっつも泣かされる…。」
「私が悪い人みたいじゃん!」
「そうじゃなくて、綾乃ちゃんはいつも、俺の欲しい言葉をくれるから…。」
「全部、本当にそう思ってることだよ。」
「…俺も、思ってることしか言ってないよ。…ほんと、大好き。…今日、ずっと綾乃ちゃんが欲しくなっちゃうかも。」
「…はいはい。そういうこと言うくせに、ちゃんと私のこと考えて色々加減してくれるのが健人だよね。」
「…加減できなくても、結婚しませんとか言わないでね。」
「言わないよ。今日は大学の卒業の日で、それだけでも充分おめでたいのに、おめでたいことがもう一つ増えて、めちゃくちゃハッピーデーだし。」

 健人の背中を軽く撫でながら涙の大きな波が通り過ぎるのを待つ。かつて声を出さずに泣いていた健人は少しずつ過去のものとなり、今は悲しいことだけではなく、嬉しいことや感動することがあっても涙を流すことが増えた。それを落ち着くまで一緒に待つ時間が、綾乃は割と好きだった。

「はぁー…かっこよくきめたかったのになぁ。あ!そうだ、忘れてた!」
「なに?」

 スーツのポケットから出てきた、薄くて小さなケース。開いた先には、シンプルな指輪が光っている。

「綾乃ちゃん、左手貸して?」
「…いつの間に用意してたの?」
「びっくりした?じゃあサプライズ成功だ。」

 少しだけ涙に滲む目で、健人はにかっといたずらっ子みたいに笑う。今度は綾乃があわあわと落ち着きがなくなってきた。