10時近くなったというのにまだまだ蒸し暑い。湿度の高さが不快指数を高める。

「…夜なのに、こんなに暑い。」
「夏って感じだね。」
「久しぶりに外に出たから…余計に暑い…。」
「どこかで飲み物買ってく?」
「そうしようかな。」
「奢ってあげます!何が好き?」
「ん-…今日は炭酸の気分。」
「いいね。私も何か飲もっかな。」

 綾乃の家までの道を、ただ二人で歩く。健人の家から綾乃の家までの道を歩くというのは、綾乃にとってはこれが初めてだった。

「…これが健人くんにとってはいつもの道?」
「健人くんに戻ってる。」
「そうだった!健人にとってはこれがうちまでのいつもの道?」

 綾乃は素直に言い直した。

「うん。だから綾乃ちゃんと一緒に歩いてるの、なんか変な感じ。」
「私もちょっと不思議な景色。住所もわかってるのに、意外と行ったことなかったね、お家に。」
「…また来てね。」
「まだ来たばっかりなのに。どうした~?」

 綾乃は下から、健人の顔を覗き見る。泣きそうにも見える顔で、ふにゃりと笑う健人がいた。

「…はぁ。綾乃ちゃんがいてくれて嬉しいのに、…やっぱり調子が悪いなぁ。上手く笑えてないでしょ、俺。」
「上手く笑えないときもあるよ。仕方ない。」

 綾乃は健人の手をとって、ゆっくりと指を絡めた。

「手でも繋いで歩こ。」
「…うん。」

 柔らかく握り返された手に、綾乃はにっこりと微笑んだ。その笑みに力なく笑みを返すのが精一杯の健人に、少しでも安心してもらうために綾乃もそっと力を込める。蝉の声を遠くに聞きながら、それ以外は静かな道をひたすら歩く。

「健人く…じゃなくて、健人!」
「はい、なんですか?」
「色々気になってることがあるから今聞いてもいい?」
「うん。気になること?」

 綾乃は頷いた。

「…本当は僕呼びじゃなくて、俺タイプなの?」
「え?」
「ずーっと私の前で僕って言ってたのに、あの日も俺って言ってたし、さっきも。…もしかして、ずっと気を遣って僕って言ってた?」
「あ、うー…そうだなぁ…気を遣ってというよりは、単純に目上の人の前で俺って変じゃないかなって思ってたから僕って言ってた、と思う…な。」
「本当は俺?」
「どっちも時と場合で半々くらいの使い分けな気がするなぁ。あんまり気にしてなかった。どっちがいいとかある?」
「…僕が基本だったのに、時々俺って言われるとちょっとその…。」
「…?」

 健人が首を傾げて綾乃の表情を見つめた。

「ドキッとするよね、慣れてなくて。いいなぁ、そういうギャップ出せるの。私、ギャップとかないもん。」
「ギャップ…。ギャップじゃないかもしれないけど、綾乃ちゃんは表情がコロコロ変わって可愛いよ。」
「全然ギャップじゃないじゃん!それに可愛いのは健人の方なんだって!」
「そうかなぁ。笑ってる時が一番可愛いけど、ちょっと甘えてくれる時も、眠い時も。…綾乃ちゃんは嫌かもしれないけど、泣くのを我慢してる時もね、可愛いなぁって思ってるよ。この可愛くて大切な人が、腕の中にいてくれることを日々噛みしめてる。」
「…今日は絶対立場逆転するからね。」
「…いつも甘えてるよ、綾乃ちゃんに。」

 健人の指先がきゅっと綾乃の手を握り返した。