* * *

 綾乃がお風呂から出てリビングに戻ると、健人がソファに腰掛けてスマホとにらめっこしていた。

「あ、綾乃さん。あったまりました?」
「うん。お先に入らせていただきました。」
「顔色もちょっと良くなりましたね。良かった。」

 にっこりと笑って、健人はそう言った。綾乃は健人の隣に腰を下ろす。そして、健人の左半身にそっともたれた。

「一味違うパンケーキ?」
「あっ!はい。折角作るなら、少しくらいは凝ってみようかなと思って。あるものでどうにかなるのかなって調べてました。」
「ちょっとフルーツ乗せたりとか…あ、アイスも入れたりするの?」
「バニラアイス入れてもいいみたいですし、添えても美味しそうですね。」
「明日の朝、楽しみ。」

 頬が少し上がって、自然と笑みがこぼれた自分を感じる。健人が当たり前みたいにこの空間にいることに安心して、嬉しくなる。ふと、健人が綾乃の髪に触れた。

「…お風呂上がりの綾乃さんも可愛いです。いつもと香りが違って…ちょっと緊張しますけど。」
「…くっつくと、困る?」
「いいえ。可愛くて、ハグしたくなって何もできなくなっちゃうことくらいですかね、困ることは。」

 少し困ったようにはにかむ姿は年下っぽくて可愛いなと綾乃は思う。そんな年下らしい彼にまたわがままを言おうとしていることに躊躇いの気持ちが生まれる。しかしその気持ちを張り切って、綾乃は口を開いた。

「…健人くんさ。」
「はい、何ですか?」
「…あ、あとででいいから、また…その…ぎゅってしてもらってもいいかな?」
「…は、反則じゃないですか、その言い方…今、綾乃さん、いつもよりふわふわってしてるのに。」

 健人が頬を染めて少しだけのけぞった。

「…反則?ちょっとよくわかんないけど、お風呂冷めちゃうから、入ってきてね。…待ってるね。あ、紅茶いただこうかな。」
「ぼ、僕淹れます!綾乃さんはそこで座っててください!」

 がばっと立ち上がって、健人が足早にキッチンに向かう。ケトルに水は入れてあったようだ。お湯を沸かし、あっという間に紅茶を用意してくれた。

「まだ熱いと思うので、少し冷ましてから火傷しないように飲んでくださいね。」
「ありがとう。…いい香り。」
「お風呂、お借りします。」
「うん。健人くんもゆっくりで大丈夫だからね。」
「ありがとうございます。」

 バスルームで、健人は一人で頭を抱えていた。

(…可愛すぎる…。なんか…いつもと可愛さの質が違う…?綾乃さんが甘えてくれてる…からかな?)

 今日は健人にとって初めてのことが多すぎる。綾乃が元気になることが一番大事だと思うからこそ、いちいち色々なことに対して大げさに騒いではいけないと思いつつも、次から次へと降ってくる『見たことのない綾乃』に心臓は馬鹿正直に高鳴る。
 頭から風呂の湯をかけ流して、はぁとため息をつく。

「…離せなくなったら…どうしよ…。」

 あんなにくっついてこられたら、可愛くて仕方がなくて健人の方だって離してあげられなくなってしまう。どのみち、今日は眠れそうにない。そんなことを思って、健人はもう一度湯を被った。