「綾乃さんは今日だけは、やってほしいこと、たくさん言いましょう?明日の朝ご飯は何が食べたいですか?」
 
 綾乃は迷った挙句、健人の眼差しに負けて口を開く。

「…ホットケーキ。」
「わかりました。僕も久しぶりに食べます。じゃあ明日の朝ご飯はホットケーキを中心に考えますね。他に食べたいものはありますか?」
「…健人くんの作るポトフ。」
「コンソメはありますか?」
「うん。塩コショウとかその棚にあるから、もし健人くんが必要な調味料があったら買ってください。お金、全部払います。」
「僕も食べるから、お金半分ずつにしましょう。飲み物はありそうだから大丈夫ですね。あとはサラダ用の野菜もちょっと見てきますね。綾乃さん、サラダに使うような食材で苦手なものはありますか?」
「ないです。」
「良かった。じゃあ僕、ゆっくりお買い物してくるので、綾乃さんはゆーっくりお風呂、入ってくださいね。」
「…ありがとね。」
「はい。鍵、お借りします。」

 パタンと玄関のドアが閉まる。

「…全部、言ったら叶う、のかな。」

 抱きしめてほしい。朝ご飯にホットケーキが食べたい。話を聞いてほしい。今日はずっと、近くにいてほしい。一緒に眠ってほしい。そんなことを思い浮かべて、綾乃は頭を振った。じくじくと頭が痛む。
 ただ一緒に眠るだけというのが、大学生男子にとって難しいかもしれないことはわかっている。『セックス』をする元気も、余裕も、自信も何もかもがない。しかし、家に泊めるということはそういうことをするかもしれない可能性を確かに含んでいる。健人はそれを目的に来たわけではないだろうが、一緒に眠ってほしいと言われて戸惑わないだろうかと考え込んでしまえば言うのを躊躇ってしまう。
 服を脱ぎ、シャワーを浴びて鏡を見ると目がすでに腫れぼったくなっていた。すっぴんの上にこの顔をこれから晒すのかと思うと、気持ちが沈む。今日はとことん、気持ちが沈みやすい。
 
「…健人くんに、最初から上手に甘える。…そうできてたら、あの一瞬の寂しそうな顔、させないで済んだ、のかも。」

 そう思うと、またずきずきと胸が痛んだ。どうして自分はこうも頑なで、素直に甘えることができないのだろう。信じていないわけではないのに。健人のことが大切で、好きで、嫌われたくないのに。
 湯船に浸かると、体が思っていた以上に冷えていたことに気が付く。ふぅとゆっくり長く息を吐くと、目の痛みと胸の痛みがリアルに伝わってきた。

「…いっぱい、ありがとうって言おう。してほしいことも言う。いっぱい、言う。」

 そう決意して、綾乃は一度ぶくぶくと頭まで湯船に沈んだ。