心臓が、トクンと跳ねた。
 目を閉じたほうがいいのかとか呼吸はどうするのかとか、未経験がゆえに迷いが生じる。それなのに頭の中は膨張したみたいに痺れて正常に働かない。できるのは、ただ恋に憧れ待ちわびていたその瞬間を、今か今かと待つことだけ。

 高貴な唇との距離が、あと一センチ、ついには数ミリというところまで迫った、そのとき――。

「ライズお兄様」

 どこからか鈴を転がすような声が響いて、彼が動きを止めた。
 さっと身を引かれたのを感じて、フランの心は冷や水を浴びせられたように強ばった。昂っていた気持ちが、急転直下で冷めていくのがわかる。
 ライズの背後に見えるアーチから、シルビア姫が姿を現した。

「こちらにいらっしゃったのですね。皇太后様がお探しです。すぐに戻ってくるようにと」

 パーティー会場から消えた彼を、呼び戻しに来たらしい。
 皇帝の顔に戻ったライズはちらりと後方を一瞥すると、少し考える様子を見せてから、フランを見つめ直した。

「……フラン。ひとりで戻れるか?」
「はい……。お気遣い、ありがとうございます」

 小さく頷いて見上げると、ライズは返事の代わりにひとつ微笑んで、身を翻しバルコニーを出ていった。
 ぽつんと取り残され、ぽっかりと胸に穴が開いた気がする。