ロゼッタは悩んでいた。

(なんでダンテが私を抱っこしていたの? ブルーノはどうしてたの?)

 昨夜の事は夢だったのかしらと思ったが、ナナに聞いてみたところ、夢じゃなかった。ダンテがブルーノに代わって寝室まで運んでくれたのだ。

 ベッドに寝かせてくれたダンテは優しく笑いかけてくれたのを覚えている。夢だと思っていた。
 夢じゃないなら見間違いではないだろうかと考えあぐねる。

 今までは自分を見るなり顔を顰めてきたというのに、何があったんだろうと不思議で仕方がないのだ。

「お姫様抱っこしている旦那様はカッコよかったんですからね~!」
「……へ~」

 ナナは夢見る少女のごとくうっとりとした表情で当時の様子を語るのだが、ロゼッタは悩むあまりに適当に返事してしまった。
 
(どうしたのかしら。パーティーの後からダンテが変だわ)

 ロゼッタはダンテの突然の変化に戸惑っていた。あれこれと思いつく限りの理由を考えていたが――

「お嬢様、礼儀作法の先生が来られているのでお呼びしますね」
「わかったわ」

 礼儀作法の先生が見えて考えるのを止めた。ブルーノはそんな彼女の姿を静かに見守っていた。

 ダンテはロゼッタに、語学、歴史、哲学、礼儀作法など、色んな先生をつけてきた。

 彼の采配は確かだったようで、わかりやすく教えてくれてよく褒めてくれる先生たちに恵まれたロゼッタは勉強が好きになり、以前よりも忙しくなってしまったため、脱出作戦の計画を立てられないでいた。

 それがダンテの作戦とは知らずに勉強に励んでいるのだ。
 

 ◇


 授業が終わると、ブルーノがすぐに彼女を抱き上げた。

「ブ、ブルーノ! 私はもう1人で歩けるのよ?!」
「……」

 先生の前で抱っこされてしまい、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしてしまう。
 実は、抱っこはもういらないと以前ブルーノに言っていたのだが、眉尻を下げるだけで聞いてくれなかったのだ。今もそんな感じだ。

 いつまでも子ども扱いされたくないおませな少女と彼女を甘やかせたくて仕方がない護衛の攻防戦。

 目の前で行われているこの可愛い戦いを、先生と他の使用人たちはほっこりとした気持ちで見守った。

「お嬢様、お疲れ様でした。居間でお茶の用意をしています」
「ありがとう、ナナ」

 居間《パーラー》に連れて行ってもらうと、ロゼッタは目の前の光景に驚いてポカンと口を開けた。
 テーブルには色りどりのケーキやお菓子が並んでおり、ソファが大量のぬいぐるみで埋まっているのだ。

 ブルーノがその真ん中に降ろして座らせる。

「えっ?! ちょっと、どうしたの、これ?」
「ブルーノがお嬢様のために取り寄せたんですよ」

 カストが苦笑しながらも教えてくれた。

 お披露目パーティーの後から元気がないロゼッタのために、秘密で用意してくれていたらしい。
 お店でも開けそうなほど大量のぬいぐるみに囲まれて、ロゼッタは放心した。

 ブルーノは彼女の前に跪いて両手を握る。凪いだ海のような瞳が、気遣わしげに覗き込んでくる。

「不安なことがあれば言ってください。それに、もっと我儘を言って良いのですよ」
「えっ……?」
「お嬢様には笑顔でいて欲しいんです」

 彼には分かっていた。
 ロゼッタの心の変化を。

 冷たい態度をとってきたダンテが、本当はラヴィの言う通り自分のことが好きなのかもしれないと信じ始めていたが、それと同時に、どうして好きなのにあんなことをしてくるのか分からず困惑していることを。

「ダンテが私のこと嫌いじゃないって、本当なのかな?」
「本当です。お嬢様からお手紙をもらった夜は、口を針で縫いつけてやりたいくらい何度も自慢してきたくらいです。私だってお手紙が欲しかったですよ」
「……ブルーノ?! そんなことしちゃダメよ!」

 不穏な告白に、思わず話が脱線しそうになる。

「お嬢様が私を抱きしめてくださる度に旦那様がやきもちを焼いて意地悪なことを言ってくるんですよ。それくらいお嬢様のことを大切にされています」
「本当に?」

 ロゼッタは声に不安を滲ませる。

 ブルーノは彼女の瞳をじっと見つめると、近くにあった白い大きな犬のぬいぐるみを手に取って、手をパタパタとさせて人形劇のように動かして見せた。

「ええ、お嬢様のためなら女神にも誓いましょう(裏声)」

 普段の彼には似つかわない冗談に、ロゼッタはクスリと笑う。

「ありがとう、ブルーノのおかげで元気になったわ」

 彼女たちのやり取りを見守っていたカストとナナが言葉を失って瞠目していたのを、ロゼッタは知らない。

 冗談はおろか、人とは関わろうとしなかったブルーノがこんなことをするとは、予想だにしていなかった。
 そのうち槍が降ってくるかもしれない。口にこそしなかったが2人ともそう考えていた。

「それではお嬢様、ご褒美をいただけませんか?」

 ブルーノが躊躇いがちに見つめる。まるで上目遣いしているような顔で。

「ご褒美?」
「頬にキスしてください」
「しょうがないわね」

 ブルーノにはすっかり心を許しているため、すんなりとおねだりを受け入れた。
 愛らしい唇で頬にキスを落とすと、ブルーノの口元が微かに綻ぶ。

「うわわっ! ブルーノさんが笑ってますよ?!」

 ナナが素っ頓狂な声を上げる。

「それに、あんなに話しているところを初めて見ました」
「私もだよ。一言も声を出さない日もあるあの子がねぇ」

 見守っていると、ブルーノもロゼッタの頬にキスを返している。
 彼女のことが愛おしくてたまらない気持ちがありありと伝わってくるほど、その表情は柔らかい。

 護衛が主人に向けるものではない。恋人に向ける顔だ。

 カストとナナは顔を見合わした。

「この事は旦那様には言えませんね」
「そうだな。きっと妬いてしまって、ご自分はお嬢様と一緒に寝ようとしかねない」

 そうなるときっと、今度はまたブルーノが黙っていないだろう。それに、ロゼッタが嫌がるに違いない。
 2人は、厄介な男たちに好かれてしまったロゼッタに同情した。

「忘れないでください。旦那様も、私も、このお屋敷の使用人たちも、お嬢様のことが大好きなんです」
「うん」
「お嬢様がいなくなれば、みんな地の果てまでも探しに行きます」
「うん……えっ?!」

(もしかして、いつか脱出しようとしてるのバレてる?!)

 突然の宣告にギクリとする。そんな心の変化も、穏やかな水色の視線が見抜いているようで、タラタラと冷や汗をかいてしまった。

「な、なによ。そんなことしないわよ?」
「……」

 黙って見つめてくるブルーノ。言葉にするよりもその気持ちが強く伝わってきた。
 簡単には逃さないと言われているような気がしたのだ。

(まずはブルーノをどうにかしないと逃げられないわ……!)

 ロゼッタは頭を抱えた。