王都の夜は明るく、運河沿いの洒落たレストランでは、外に設けられたテラス席で食事を楽しむ客で賑わっている。同じ通りに軒を連ねた騎士団御用達の酒場『酔いどれ人魚亭』には、ダンテとエルヴィーラの姿があった。
 王宮で『黒霧の魔女の家』で捕まえた犯人たちの取り調べ結果を聞いた帰りで、他の騎士たちと一緒に飲みに行くことになったのだ。

 2人は騒がしい店内を避けるためにテラス席にいた。この店を利用する騎士たちは美しい夜景を見るより、店内で陽気に談笑するのが好きなのである。

「おい、バルバート卿! 団長に手を出したら殺すからな!」
「はいはい、心得てるよ。それに口説いたところでエルヴィーラは旦那一筋だから靡かねぇよ」

 内密な話をするにはテラス席に行くしかない。ダンテがエルヴィーラをエスコートして外に出ていると、彼女を慕う部下たちから野次を飛ばされるのであった。

「結局、今回の奴等は魔女の捨て駒に過ぎなかったか……」
「ああ。捕まえた商人や客の供述によると、『黒霧の魔女の家』の支配人は仮面をつけてるから素顔まではわからないそうだ。特徴を聞いてみたが、人によって証言が違う。恐らくだが、身体を換えて会っていたようだ」

 数年前の事件で、現場に居合わせたブルーノの証言と魔導士団による魔法検証結果から、犯人は呪術で他人の身体に乗り移っていたとされている。

「ところで、ロゼッタは息災にしてるか?」
「ああ、毎日元気に睨んでくるよ」
「お前、相変わらず冷たい態度をとってるんじゃないだろうな?」
「まさか。可愛い過ぎてついつい相手してしまうから困ってる」

 その構い方に問題があるのだ、とジロリと諫めると、ダンテは令嬢が見れば卒倒しそうな甘い笑顔を貼りつけてしらばっくれた。

「バルバート、あの子は……ジルダ王女殿下に似ていないか?」

 テーブルの上で組んでいたダンテの指が、ピクリと動いた。
 彼の脳裏に、焦がれている女性の顔が去来する。

 ローゼと名前を偽って目の前に現れた、この国の高貴な存在で、彼の心を奪って忽然と消えてしまった人。

「さあな、確かに目の色は同じだな」

 平常を装って答えたが、心の中は苦い気持ちでいっぱいになった。ダンテには、心に閉まっている過去があるのだ。
 誰にも言わず大切に隠してきた秘密の逢瀬。この国の第一王女と過ごした束の間のひと時だ。

 彼がローゼの正体を知ったのは、彼女の死後だったのだ。姿を消した彼女を追って訪れた街で、エルヴィーラが率いる騎士団と第一王子に出会い、その正体を知った。

 彼が行方を追っていたローゼという名の女性は、王室が失踪を隠して探し続けていた第一王女ジルダだった。
 彼女がどうしてそんなことをしていたのかは誰も知らない。

 ダンテはグラスの中で揺れる赤い液体を睨みつけると、口をつけるのを止めてテーブルに戻した。
 あの日見た血の色を思い出して、胸が締めつけられたのだ。

「エルヴィーラ、頼みがある。アンドレイニ侯爵夫人の身辺を調べて欲しい」

 お披露目パーティーの後、ブルーノから彼女に例の殺気を感じると報告を受けた。それを聞いたダンテはすぐに調べてみたが、どうも向こうが二手先を読んで動いているようで、大した情報を掴めないでいたのだ。

(ロゼッタに近づけさせるものか。手を出される前に斬り落としてやる)

 ダンテは拳を握りしめた。


 ◇


 邸宅に帰ると、ラヴィが機嫌良く現れた。いつもだと夜更けに帰れば目くじらを立てて説教されるが、今日はそのお咎めがない。
 ダンテの背中を押して、「さあさあ」と急かして居間《パーラー》に連れて行く。
 
 連れてこられると、ロゼッタがソファで眠っていた。傍にはブルーノが立っている。まるで飼い主から離れようとしない犬のようだ。

「旦那様にお話ししたいことがあったそうですよ。頑張って待ってたんですけど、旦那様がお帰りになる少し前に眠ってしまいました」

 ラヴィは愛おしそうに目を細める。

「恐らくまた、この家から出て行くと言いたかったんだろうな」

 養女にすると言った時も、ここに連れてきてからも、拒まれ続けている。反抗的な態度で臆することなく睨み上げて拒んでくる姿は健気だ。

(そんなことをしても手放す気はないというのに)

 スヤスヤと寝息を立てて眠る姿も愛らしい。長い睫毛が頬に落とす影をじっと見つめ、目蓋に隠された珊瑚色の瞳に想いを馳せる。

 あの瞳に自分を映していたい。目の前から消えることのないように、逃げる暇も与えないくらい、頭の中を自分のことで一杯にしておきたいから。

(厄介なものだ。完全に歪んでいるな)

 名前の無いこの感情を、我ながらいかがなものかと思ってしまう。年端のいかない少女に執着しているなんて、どこぞの変態と変わりない。
 彼女はなんら悪いことをしていない。不幸にも、ローゼと似てしまったために囚われてしまっただけだ。なんの関係もないし罪もない少女。
 
 そんな少女に縋っているのだ。ローゼを失った心の穴を彼女で埋めようとしている。

「ただいま、ロゼッタ」

 頭に、鼻梁に、頬に、キスを落としていく。くすぐったそうにして身じろぎする姿に思わず口元が綻ぶ。

「おやおや、せめて起きているときにそうしてあげたらいいものを」
「言わないでくれ」

 ラヴィは盛大に溜息をついた。ブルーノからは非難めいた視線が送られてくる。2人に挟まれて責められては、居心地が悪い。

「俺だって本当は、あんなこと言いたくない」

 あの瞳に見られたら、どうも上手く笑えない。口をついて出てくるのは、ローゼへの恨みが呼び寄せる冷たい言葉。本当はもっと、温かく声をかけたい。今日は何をしてすごしたとか、何に興味を持ったとか、そういった他愛のない話をして笑顔を向けられたらいいのにと思う。

「ずっとそんな態度でしたら嫌われてしまいますよ」
「もう嫌われてる」

 珊瑚色の大きな目で睨んでくる姿は本当によく似ている。睨まれるたびに、言葉を失いそうになるほど魅了されてしまう。

「いっそのこと命を狙われててもいいから、傍にいて欲しいんだ」
「寝言は寝て言ってくださいな。その前に廊下に出て頭を冷やしてくださいませね」
「おいおい、主人に対してそんな言い方はないだろ?」

 ラヴィの冗談にやんわりと返しつつロゼッタの髪に触れようとすると、ブルーノが手を掴んで止めてきた。指一本触れさせないと言いたげに見つめてくる。
 どうやらここ最近、彼女を泣かせたり、嫌がっているのに抱きしめたりしていたのが許せないようだ。

「ブルーノお前、すっかり絆されやがって」
「……」

 オークションハウスでは話しかけてくる令嬢に顔をしかめていたというのに、随分変わったものだと目を見張る。

 ダンテはブルーノの手をのけてロゼッタを抱き上げた。
 黒霧の魔女の報告を聞いた今日は、彼女に触れていたかった。また消えてしまうのではないかと不安になるのを抑えたかったから。


 ◇


 ロゼッタは身体が揺れるのを感じて目を覚ました。

(誰かに抱っこされてるけど、ブルーノじゃないわ。誰なの?)

 ブルーノに運ばれている時とは違い、横抱きされているのを訝しく思ったのだ。薄目を開けると、ダンテの横顔が見える。

(どうして?)

 何が起こっているのかわからず寝たふりをして様子を窺っていると、そのまま部屋のベッドに降ろされた。

「――ロゼッタ、また出て行きたいと言うつもりだったのか? 残酷だな。お前までいなくなったら俺は死んでしまうのに」

 ベッドが軋む音がした。ロゼッタは額に当たる柔らかな感覚に混乱して、思わず目を開けた。まさか彼が額にキスしてくるなんて、思ってもみなかったのだ。

「ダンテ……?」

 呼びかけると、エメラルドのような瞳を細めて、ふわりと頭を撫でてくる。
 撫でられていると心地良くて目蓋が閉じていく。眠気に抗えず、ゆっくりと夢の世界へ引き摺り込まれて行く。

「おやすみ、ロゼッタ」

 低く優しい声で囁かれる。ロゼッタが眠りに落ちるまで、ダンテはずっと傍に腰掛けて撫でていた。