お披露目パーティーの翌朝、ロゼッタは泣きすぎて頭が痛かっため、いつもより遅い時間に起きた。

 本当はベッドから出たくなかったが、「何かお腹に入れた方がいいですよ」と言ってラヴィが起こしに来たので支度をしてもらった。

 いつものようにブルーノに抱っこしてもらい食堂《ダイニングルーム》に行くと、なんとダンテがいるではないか。昨日の事を思い出したロゼッタは、口をへの字に曲げた。

「……何でいるの?」
「ここは俺の家だ」
「仕事は?」
「今日は休みだ」

 確かに、今日はいつもと違い寛いだ服を着ている。白いシャツに、瞳の色と同じ緑色のズボンとベストを合わせていた。
 いつもなら仕事で家を出てしまっている時間だ。果たして本当に『ギャラリー・バルバート』の定休日なのか、ロゼッタはわからない。

「朝食を食べたら一緒に出かけよう」
「いや」
「じゃあ、絵本を読んでやるよ」
「いらない」

 そっぽを向くようにブルーノに抱きついて顔を埋めると、ダンテはムッとした表情になった。

「ブルーノ、外せ」
「……嫌です」
「オイ、嫌って何だよ?!」

 護衛の特権だと言わんばかりにロゼッタを離さないブルーノ。せっかく甘えてくれてる彼女をここに残して出て行くわけにはいかなかった。

 ダンテは溜息をついて立ち上がる。

「食べ終わったら居間《パーラー》に来い」
「やだっ!」
「ブルーノ、連れて来いよ」
「……」

 ロゼッタは潤んだ瞳で懇願したが、シェフが用意してくれたミルク粥を食べ終わると居間《パーラー》に連れて行かれてしまった。ちなみにブルーノも一緒に逃亡しようとしていたのでカストに連行された。

「旦那様が居るから大丈夫ですよ、外に出ましょう」
「……」

 カストが、部屋の外に出るようブルーノを促す。彼が居るとロゼッタがダンテから逃げてしまうため、連れて出ることにしたのだ。

(ダンテと2人っきりの方が大丈夫じゃないわ!)

「ブルーノ! 行かないで!」

 しがみつくロゼッタをダンテが抱き上げた。ジタバタとして暴れているうちに、部屋の扉が閉まってしまう。

「離して!」
「暴れるな。落ちるぞ」

 ダンテは落とさないように身体を支えると、そのままソファに座って、横抱きにして膝にのせた。

「降ろしてよ!」
「降ろして欲しいなら、教えてくれよ。蒐集品《商品》のように思ってないと、どうやったらわかってくれる?」
「自分で考えなさい!」

 どうにかして下りようとしても、身体を引き寄せられてしまう。思い通りに動けずムキになったロゼッタは睨み上げた。

「――悪かった。確かに昨日はロゼッタにとって不快なことを言った」

 視線を受け止めたダンテは静かに言った。顔を顰めることなく、真っ直ぐに彼女を見ている。

(ダンテが謝った……?!)

 茫然としたロゼッタを他所に、ダンテはテーブルの上に置いていた本を取って目を通し始めた。

「えっ、ちょっと、降ろしてよ!」
「自分でどうにかしろ」

 そんなことを言っているが、左腕を彼女に絡ませていて、離す気なんてさらさら無さそうだ。何食わぬ顔をしてパラパラと本をめくる。

 しばらく逃げようと試みていたロゼッタだが、どう頑張っても逃げられず、途方に暮れた。

「今度この作品がうちで出品されるぞ」

 ダンテが急に話しかけてきた。本の挿絵を指差す。石膏でできた女神像だった。

「ふ〜ん」

 ロゼッタは興味がなさそうに答えたが、まじまじと挿絵を見る。素直に話を聞くのが癪で、意地を張っているのだ。
 そのままダンテは落ち着いた静かな声で、本に載っている作品1つ1つを説明し始めた。ロゼッタは「ふ〜ん」とか「へぇ〜」とぶっきらぼうに相槌を打つ。

 やがて本人も気づかないうちにダンテに身体を預けて話を聞き、気づけば眠ってしまっていた。

(寝ちゃってたわ)

 慌てて起きると、身体にブランケットをかけてもらっていた。その上から包み込むように抱きしめているダンテもまた、眠っていた。頭の上から健やかな寝息が聞こえてくるのだ。
 今のうちに逃げようと身体を動かすが、ダンテの腕はしっかりと巻きついている。逃げられなかった。

「ん……」

 寝言を零しながらダンテが動くと、カサっと乾いた音がした。見ると、胸ポケットに見覚えのある紙が入っている。
 まさかと思ってそっと取り出し見てみると、やはり、ロゼッタがダンテに宛てた手紙だった。
 
「この手紙……どうして?」
「旦那様はいつも、お嬢様からいただいた手紙を持ち歩いているんですよ」

 様子を見にきたラヴィが教えてくれた。

「なんで……?」
「そりゃあ、嬉しかったからですよ。私がお嬢様から預かって渡した時はニコニコと笑ってましたよ」
「うそ……だって、ダンテは私のこと嫌いなのに」

 ラヴィは眉尻を下げて困っているように笑ってダンテを見た。まるで、手のかかる息子を見る母親のような顔だ。

「そんなことありませんよ。ただ、旦那様は不器用な方なんです」
「不器用?」
「ええ。困った大人なんです。本当はお嬢様のことが大好きで仕方がないんですよ」

 ロゼッタは釈然としない様子だ。まるで難しい本を見たときのような顔をしているのだ。ラヴィは微笑んだ。

(どうか、旦那様を温かく導いてあげてください)

 ダンテが生まれた時から見守ってきたラヴィは、彼の過去に想いを馳せた。
 彼は母親の愛を受けずに育った。政略結婚で、好いた人と引き離された母親は見向きもしなかったのだ。

 それでもいつかは振り向いてもらえるかもしれないと、跡継ぎとして懸命に勉学に励んできたが、やがて母親からもらえなかった愛情を補うかのように、数多くの女性と浮名を流すようになってしまった。

 母親とは最後まで打ち解けられなかった。彼女は夫と2人で異国のオークションハウスの視察に行った際に船が難破してしまい、帰らぬ人となった。
 その事故が起こってから一時期は女性関係も修まっていたが、ある日を境にまた遊ぶようになってしまった。ちょうど、ブルーノを連れて帰ってきた頃だった。

(お嬢様ならきっと旦那様を救ってくれるでしょう。お嬢様が来てからは遊びに行っていないようですし)

 ラヴィは部屋を出て、救世主ロゼッタのためにイチゴ水を用意しに行った。