夜の帳が下りて星々が輝き始めた頃、バルバート邸で華やかなパーティーが幕を開けた。今日はロゼッタのお披露目パーティーだ。
 花の顔の男爵ダンテ・バルバートが養女を迎え、もう妻は娶らないと宣言したという噂は王都中に広まった。彼の恋人に、妻に、と狙っていた令嬢たちが街角でハンカチを噛んで悔しがる姿が見受けられ、人々の注目が集まっている中での開催だった。

「今宵も一段と輝いていますね。まるで月の女神のようです」
「まあ、バルバート卿ったらお上手なんですから」

 煌びやかな装飾に彩られたパーティー会場で、ロゼッタはポカンと口を開けて目の前の光景を眺めていた。
 ダンテに話しかけられた貴婦人は少女のように頬を染め上げている。ロゼッタは隣にいる旦那に心底同情した。

 自分と話している時とは全く違う上品な口調に声色、そして、聞いているだけで砂糖を吐きそうになる甘い言葉の数々に、本当に同じ人間なのか疑いたくなる。それに、貴婦人を見つけるとエメラルドのような美しい瞳を甘くするのを見て、ぞわぞわと寒気に襲われるのだった。

(本当にこの人、ダンテなの?!)

 旦那様はとってもモテるんですよ、とナナから聞いても信じていなかったが、なるほど、自分とでは態度が違うかったのかと納得した。
 納得すると同時に腹立たしくなる。それは嫉妬に近い気持ちであるのだが、彼女は知りようもなかった。

(私のことは見るとすぐに怒った顔するくらい嫌いなくせに、どうして引き取ったのよ。ここにいる女の子たちみたいな子を拾ったら良かったじゃない!)

 ムッとすると、ブルーノが肩を叩いて宥める。
 いつものように怒る気力はなかった。ロゼッタはずっと視線に晒されていて疲れていたのだ。

 フィッシュテールの赤いドレスに身を包み、可愛らしい純白の小花を髪に散りばめ、花の妖精らしい雰囲気を最大限に活かした彼女の着こなしは、招待客の視線を奪ってしまう。それに加えて、今宵の主役だ。目立たない方が難しかった。

 ロゼッタはダンテの傍にいて招待客たちに挨拶した。目まぐるしく声をかけられたため、顔はよく覚えていなかったが、ダンテの部下たちはよく覚えている。
 鑑定士、競売人、受付嬢、事務員、そして、守衛たち。みんな気さくにダンテと話しており、慕っているようだった。

「カーッ! お姫様の護衛だなんて羨ましいなぁ!」
「……」

 ブルーノの元同僚ベルトランドはそう言って小突いてきた。ブルーノは何も言わなかったが、ロゼッタを引き寄せて彼に触れさせないようにした。
 まるでベルトランドに盗られないよう隠しているかのようで、元同僚たちはニヤニヤとしながらからかった。

 やがてパーティーが中盤になってくると、ダンテは顧客たちに呼ばれて離れてしまった。パーティーとはいえ、招待客は仕事の関係者が多いため、仕事をしているも同然だ。

 取り残されたロゼッタはどうしたらいいのかわからず立ち尽くしていた。すると、ヒソヒソと声が聞こえてきた。

「まあ! ダンテ様はお連れにならないのね」
「そうね、仲はよろしくなさそうですし。隣にいた時だって全く話しかけてなかったんですもの」
「それに、ダンテ様が笑いかけても反抗的でしたわよね?」
「ええ、本当に恩知らずですわ」
「大人しそうな顔をしてますけど性格が悪そうですわね」

 招待客に同伴してきた令嬢たちだ。恋敵は叩かないと気が済まないらしい。たとえその相手が、自分たちより幼い少女であっても。

「ダンテ様は理由があって仕方がなく引き取ったんじゃないかしら?」
「お可哀そうに。きっと悪女に捕まってしまったのね」

(うるさいっ。ダンテが引き取るって言ってきたのよ。私だって、引き取って欲しくなかったわ)

 令嬢たちをキッと睨むと、相手はさも満足げに口元を歪ませた。もちろん、扇で隠した内側で。

 悲しいことに、ロゼッタは知らないうちに幾人もの令嬢を敵に回してしまっており、この会場の中にもたくさんいる。

 整った顔立ちに甘さを含むダンテと、冷たい美しさを持つブルーノ。
 『ギャラリー・バルバート』の顔ともいえるこの2人をお目当てにしている客は数多くいる。女性の扱いに慣れているダンテは愛想よく対応しており人気だが、ブルーノは目も合わせようともせず、そんな彼の氷の心を溶かそうと躍起になる令嬢たちがいる。

 そんな彼女たちの目の前に突然現れたロゼッタは、嫉妬の餌食とされてしまったのだ。

「おやめなさい。醜くってよ」
「アンドレイニ侯爵夫人……!」

 緑色の髪の女性が令嬢たちの前に現れて窘めた。令嬢たちは蒼ざめた。王宮で侍女として勤めていたこともある彼女を敵に回すわけにはいかず、大人しく口をつぐむ。

「ロゼッタ嬢、何かあったら頼ってくださいな」
「ありがとうございます」

 アンドレイニ侯爵夫人は唇で弧を描いて上品に微笑むと、しゃがんで目線を合わせた。手を伸ばして、ロゼッタの下瞼の近くを撫でる。

「綺麗な色の瞳ね」

 うっとりとした声で独り言のように呟いた。宝石を見たときのような感嘆を漏らして。

「恐れ入りますが、お嬢様の顔色が優れませんので失礼いたします」

 その独り言を聞いたブルーノは、ロゼッタの身体を引いてアンドレイニ侯爵夫人から遠ざけた。ブルーノが喋るのが珍しいあまりに、ロゼッタは何も言えないまま瞠目した。

 奇妙な空気が、ブルーノとアンドレイニ侯爵夫人の間を流れる。お互いに表情を崩さず、視線を交わした。
 ブルーノは返事を待たずにロゼッタを抱き上げ、バルコニーに連れ出してしまった。

「やれやれ、あの番犬をどう始末しようかしら?」

 アンドレイニ侯爵夫人の不吉な独り言は会場の喧騒の中に消えていった。


 ◇


 バルコニーから見える夜の運河は建物の灯りが落ちていて、キラキラと輝いている。ゴンドラがゆっくりと水面を滑る様子を見ているとロゼッタは少し気分が楽になった。
 どうやら人酔いしていたらしい。空気を思いっきり吸い込んで、甘い匂いの潮風で肺を満たす。

 目の前にグラスが差し出された。ブルーノが使用人にイチゴ水を頼んでくれていたのだ。

「ありがとう」

 ちびちびとグラスに口をつけて飲んでいると、ブルーノは彼女を隠すように会場の方に背を向けた。何も言ってこないし表情は変わらないが、心配してくれているような気がした。しかし――

「ブルーノの方こそ大丈夫?」
「……」

 会場の中で殺気に中られていたブルーノは、不安になってずっとロゼッタの手を握っている。忘れもしない、宿敵が放っていたあの殺気を、感じ取ったのだ。

(また見ている。追いかけてきたのか)

 背後から放たれる宿敵の視線を感じ取っている。獲物を狙い、舌舐めずりしているのが伝わってくるのだ。
 彼は手を握る力を強めた。この小さな手を守ると誓いを込めて。

 2人はしばらく休んでからダンテのもとに行った。ダンテはロマンスグレーの髪の老人と話をしていた。男はロゼッタが現れると、品定めをするかのように彼女を頭の先から爪先まで眺めた。
 
 彼は昔から贔屓にしてくれているコレクターだが、気取り屋で、己の審美眼をひけらかしたくて仕方がないきらいがあるのだが、それがダンテにとっては転がしやすくて有難いカモなのである。

「いやはや、実に美しいお嬢さんを迎えられましたなぁ! まるで『ギャラリー・バルバート』が揃える美術品のよう!」
「はは、コスタ伯爵のお目にかなったようですが、彼女はどこにもやりませんよ」

(なによ。私は商品じゃないわ)

 まるで物のように扱われていると感じたロゼッタの心は傷ついた。きゅっと唇を引き結んで俯く。 

「ロゼッタ?」

 異変に気づいたダンテはコスタ伯爵に挨拶をして、ブルーノと一緒にロゼッタを連れて応接間《ドローイングルーム》に移動した。

「気分が悪いのか?」

 ダンテはロゼッタの肩に手を置いた。彼女はその手を払いのけて睨む。

「私は美術品じゃない! 人間よ!」

 震える声を聞いて、ダンテは押し黙ってしまった。  

「私のこと、見たくもないのにどうして拾ったの?! 嫌いなら拾わなきゃいいじゃない!」

 令嬢たちの言葉が、コスタ伯爵の言葉が、そしてダンテの言葉が、ロゼッタの心をズタズタにしていた。

「ダンテにとって私は商品と一緒なの?!」

 我慢の限界だった。拾われた時から抱いていた不満が、彼らの言葉で一気に爆発した。

「もうやだ! ここから出て行く! ダンテの子ども止める!」
「ダメだ」

 ダンテは重々しく口を開いた。

「どこにもやらないしどこにも行かせない」

 凄みのある声とは裏腹に、彼女の頬を撫でる手は優しい。壊れ物に触れるかのようにそっと涙を拭った。

「絶対に手放さないし、()()()()()()()

 ゆっくりとダンテの顔が近づいてくる。宝石のように美しく、吸い込まれそうな瞳のその奥で揺れる影に、身震いした。

「ブルーノ、部屋に連れて行け。客には眠ってしまったと伝える」

 ダンテはそう言って立ち上がると会場に戻り、バタンと音を立てて扉を閉めた。
 ロゼッタはブルーノに抱きついて顔を埋める。顔を押しつけるようにしてすすり泣いた。

 ブルーノは声こそかけなかったが、彼女が泣き止むまでずっと、包み込むようにして抱きしめていた。