宵闇の中を進むゴンドラが、波止場に停まる。
ぞろぞろと降り立つのは騎士たちと少女、そしてその従者。
「ロゼッタ嬢、我々がお守りしますのでどうか離れないでください」
ロランディ家の騎士、ジャンはそう言うと、先頭に立って『ギャラリー・バルバート』へと歩みを進める。
カシャン、カシャンと金属がぶつかる音に囲まれるとロゼッタは緊張が増してきた。
しかしオークションハウスに近づけば近づくほど、人のざわめきでその音はかき消されていく。王国騎士団の騎士たちや野次馬が集まっているのだ。
ジャンは自分の主人の姿を見つけると、ロゼッタに耳打ちする。
「奥様の部隊が待機されてますね。事情をお話ししましょう」
「わたくしが話しますわ」
ロゼッタはしっかりとした足取りで人混みの中を分け進む。
ブルーノとジャンたちに守られながら、扉の前に立つ騎士団の面々に優雅に礼をとった。
騎士たちを束ねていたエルヴィーラはロゼッタの姿を見るなり瞠目して、すぐにロゼッタに駆け寄る。
「ロゼッタ、どうしてここに来た?!」
「ダンテを助けに来ましたの」
「バルバートはロゼッタの無事を望んでいるんだ、だから帰りなさい」
「ここまで来て引き返せませんわ。わたくし、もう何も失いたくありませんの」
今までどの家に引き取られても、引き取ってくれた家はみな没落していった。
ロゼッタは訳もわからず、なす術もなく、崩れていく家族を眺めるしかなかった。
それがずっと悔しかった。
「ダンテはわたくしの唯一の家族ですわ。代わりなんていない、たった一人の父親ですの。だからダンテがいなくなるなんて嫌ですの」
最初はとても怖い人だと思った。
愛想はないし、優しくもない。
何を考えているのかもわからないし、無茶苦茶な人だと思った。
けれどあの恐ろしい場所から助け出してくれて、呪いのことを言っても恐れずに引き取ってくれのもまた、ダンテだ。
「何もできずに奪われるのはもう、嫌ですの」
ロゼッタは外套のポケットから金色の鍵を取り出す。
いつかロゼッタが『ギャラリー・バルバート』で働く時に必要になるからと言って、ダンテが作ってくれた鍵だ。
「ロランディ侯爵夫人、私がロゼッタ様を守りますので、行かせてください」
ブルーノはそう言うとロゼッタを抱き上げて、彼女が鍵を開けるのを手伝った。
ガチャリ、と錠が外れる音を立てて扉が開く。
ブルーノはロゼッタを抱き上げたまま、あたりに神経を張り巡らせながら一歩ずつ進んでいく。明りが灯されたままの廊下は明るいが、まったく人気がなくかえって不気味さを醸し出す。
「何の気配もありませんね。黒霧の魔女の手下でも出てきてもおかしくないのですが」
潜んでいると思い誰もが身構えていたのに、いざ中に入ってみると人の気配すらない。現れたらすぐにでも斬りかかれるように構えて先頭を歩くジャンの足先が何かに当たり、ピタリと動きをを止めた。彼が足を出しても、見えない壁が先に行くのを阻んでいる。
「なるほど、魔法を仕掛けているから手下は連れていないのか」
悔し気に見えない壁を叩くジャンの背を見て、ロゼッタは真っ蒼になった。
ダンテと黒霧の魔女がいる場所に辿り着けなかったらどうなるのかと、想像してしまい震えだす。
「……」
そんなロゼッタの様子を見ていたブルーノは、すっと前に出て壁に触れると、彼の手はいとも簡単に壁をすり抜けた。しかし、後を追おうとするジャンの手はまたもや透明な壁に阻まれてしまう。
邪魔者が入り込まないように細工を施しているらしい。
悔しそうに壁を叩くジャンたちに向かって、ブルーノは静かに言った。
「……この先は私とロゼッタ様で向かいます。皆さんはもし黒霧の魔女の手下が現れたら始末してください」
何があっても彼女を守れるようにと、ロゼッタを抱く腕の力を強め、しっかりと引き寄せた。
「悔しいですが私たちにはそれしかできそうにないですね。どうかご無事で」
騎士式の礼をとるジャンたちを残して、ロゼッタとブルーノは廊下の奥にあるオークション会場へと進んでゆく。ブルーノが一歩前に出るたびに、ぞくりと身を背筋を凍らすようなおぞましい気配が強くなる。
今までにないほど恐ろしい殺気に怯えて、ブルーノの上着をギュッと掴むロゼッタの手の力も強くなっていく。
ブルーノは労わるようにそっとロゼッタの頭にキスを落した。
「必ずやあなたをお護りします」
彼の声も頭に触れる柔らかな感覚も、怖気づくロゼッタの心に優しく寄り添ってくれた。
ブルーノが片手で会場の扉を開くと、目の前に大きなホールが現れる。ホールの中はすっかり荒れていた。座席は火炎魔法で焦げついた跡がつき、柱にはひびが入っている。ダンテと黒霧の魔女が一戦を交えたのは一目瞭然だ。
ロゼッタはこわごわとステージの方を見た。
放射線状に並ぶ座席の向こう側、ひときわ明るいステージの上にダンテが倒れており、その傍には黒霧の魔女が立っている。
彼らを見守るように、女神像やら少女が描かれた絵画やらが並んでおり、演劇の一場面のような光景だ。
ロゼッタの姿を認めた黒霧の魔女は、先ほどまでの剣呑な表情をすっと消して代わりに満面の笑みを浮かべた。心からロゼッタを迎えるように手を広げる。
「来てくれると信じていたわ。私も男爵も、ずっと待っていたのよ」
歓びに浸る黒霧の魔女とは正反対に、ダンテは絶望の底に突き落とされたかのような顔で目を瞠り、腕を震わせながら傷だらけの身体を起こした。
「ロゼッタ、なんでここに来た?!」
「ダンテを助けに来ましたの」
きっぱりと告げるロゼッタに、黒霧の魔女は「あらあら、殊勝なこと」と他人事のように呟く。
「屋敷の外に出るなとカストから言われなかったのか?」
「ダンテの命令のことは聞きましたわ。でも、わたくしはダンテの言うことなんて聞かなくってよ」
「どうしてこんな時に限っていい子にできないんだ?」
お前には生きていて欲しいのに、そう訴えかけるダンテの言葉を、ロゼッタは遮る。
「こんなに可愛くない子ども、早く捨てたらいいですのに」
眦を吊り上げて声を張り上げた。
「わたくしのせいで危ない目に遭っていますのに、どうして捨ててくれませんの?」
「何度も言っているはずだ。絶対に手放さないし、逃がしやしないと」
「ローゼ様と似ていても私は私よ。代わりにはなれないわ」
拭いきれない懐疑心と嫉妬が口から零れ落ちてしまい、ロゼッタは慌てて口を押える。こんな気持ちをダンテに知られたら嫌われてしまうかもしれないと、心のどこかで恐れて隠していた気持ちだった。
ダンテにとってローゼは大切な人だから、彼女を疎ましく思っていたら嫌われてしまうだろうと。
「ローゼの代わりじゃない。お前が、たった一人の家族だから」
ダンテは絞り出すような声でそう言って立ち上がろうとするが、黒霧の魔女が手をかざすと、何かにのしかかられたように地面に顔をつけ、呻き声を上げた。
「お別れの挨拶もできたようだし、そろそろ本題に入りましょ。ロゼッタ嬢、あなたがここに来たら男爵を解放してあげるわ」
果たして本当に、そうしてくれるのだろうか。
黒霧の魔女が残虐な性格なのは分かっている。無事に返してくれる気がしなかった。それでも、このままではダンテに何をするのかわからない。今も魔法でダンテを押しつぶそうとしているのだから。
どのみち、自分が出て行かないと何も変わらない。
そう思い至ったロゼッタは、「わかったわ」と小さく答えた。
ブルーノから降りようとするロゼッタを、ブルーノは全く離そうとしない。
「ブルーノ、命令よ。わたくしを降ろしなさい」
「……」
無言で訴えかけるブルーノの瞳は力強く、絶対に離すものかと意思を込めて見つめ返してくる。
彼らの様子を眺めていた黒霧の魔女が、せせら笑った。
「番犬がいうことを聞かないのは困るわね」
彼女が呪文を唱えれば、ブルーノの身体がぴくりと動き、そのままロゼッタを地面に下ろした。魔法に抗おうとしているのか、ブルーノの身体は震えていて、離れていくロゼッタの腕を一瞬だけ掴むが、すぐにまた動きを封じられた。
「ロゼッタ様、お止めください。行かないでください……!」
いつになく取り乱すブルーノが、頭を振って叫ぶ。
危険に晒したくないという彼の気持ちは痛いほどわかっているが、それでも立ち止まれなかった。
我儘だとはわかっている。
それでも、生き続けて欲しいとダンテやブルーノが願ってくれているように、ロゼッタもまた、彼らには生きていて欲しいと思っていて。
ダンテとブルーノが引き留めようとする声を聞きながら、ロゼッタは着実にステージへと近づく。一歩、また一歩と踏みしめるうちに、今日が本当に自分の最期なのだと、死へと進んでいる実感が湧いてきた。
今から黒霧の魔女に殺されることを考えると怖くて、悲しくて、泣きたくなる。それでも唇をキュッと引き結んで震える足を運んだ。
「ロゼッタ、ブルーノのもとに戻れ。お願いだ。お前まで失いたくない」
「わたくしもダンテを失いたくないですわ」
ひと息ついて、震える唇を噛みしめた。
言いそびれてしまえば、きっと後悔すると自分に言い聞かせて、ひと思いに言ってのける。
「ダンテのこと、大好きですもの」
ダンテが息をのむのが聞こえてきた。
虚を突かれたようなダンテを見て、ロゼッタは自嘲気味に笑う。
(こうなる前に、もっと言えばよかった)
そんな後悔を滲ませていると、黒霧の魔女がパンッと両手を叩く。
「いいことを思いついたわ。あなた一人で死ぬと寂しいだろうし、大好きなパパも一緒に死んだ方がいいわよね?」
残酷な提案が聞こえてきたその刹那、黒く鋭い刃先の剣が幾つも現れて、ダンテを取り囲む。
「やめて!」
悲鳴のような声を上げてロゼッタは駆け寄る。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――!
ダンテを殺さないで。
女神様、助けてください。
ダンテを助ける力を、わたくしにください……!
いい子にしますから。
何でもしますから。
だから、お願い――。
力の限り叫び、心の中で祈る。
すると、力強く握りしめた拳の間から眩い光が現れて、辺り一面に広がり、景色を白く塗りつぶした。
ぞろぞろと降り立つのは騎士たちと少女、そしてその従者。
「ロゼッタ嬢、我々がお守りしますのでどうか離れないでください」
ロランディ家の騎士、ジャンはそう言うと、先頭に立って『ギャラリー・バルバート』へと歩みを進める。
カシャン、カシャンと金属がぶつかる音に囲まれるとロゼッタは緊張が増してきた。
しかしオークションハウスに近づけば近づくほど、人のざわめきでその音はかき消されていく。王国騎士団の騎士たちや野次馬が集まっているのだ。
ジャンは自分の主人の姿を見つけると、ロゼッタに耳打ちする。
「奥様の部隊が待機されてますね。事情をお話ししましょう」
「わたくしが話しますわ」
ロゼッタはしっかりとした足取りで人混みの中を分け進む。
ブルーノとジャンたちに守られながら、扉の前に立つ騎士団の面々に優雅に礼をとった。
騎士たちを束ねていたエルヴィーラはロゼッタの姿を見るなり瞠目して、すぐにロゼッタに駆け寄る。
「ロゼッタ、どうしてここに来た?!」
「ダンテを助けに来ましたの」
「バルバートはロゼッタの無事を望んでいるんだ、だから帰りなさい」
「ここまで来て引き返せませんわ。わたくし、もう何も失いたくありませんの」
今までどの家に引き取られても、引き取ってくれた家はみな没落していった。
ロゼッタは訳もわからず、なす術もなく、崩れていく家族を眺めるしかなかった。
それがずっと悔しかった。
「ダンテはわたくしの唯一の家族ですわ。代わりなんていない、たった一人の父親ですの。だからダンテがいなくなるなんて嫌ですの」
最初はとても怖い人だと思った。
愛想はないし、優しくもない。
何を考えているのかもわからないし、無茶苦茶な人だと思った。
けれどあの恐ろしい場所から助け出してくれて、呪いのことを言っても恐れずに引き取ってくれのもまた、ダンテだ。
「何もできずに奪われるのはもう、嫌ですの」
ロゼッタは外套のポケットから金色の鍵を取り出す。
いつかロゼッタが『ギャラリー・バルバート』で働く時に必要になるからと言って、ダンテが作ってくれた鍵だ。
「ロランディ侯爵夫人、私がロゼッタ様を守りますので、行かせてください」
ブルーノはそう言うとロゼッタを抱き上げて、彼女が鍵を開けるのを手伝った。
ガチャリ、と錠が外れる音を立てて扉が開く。
ブルーノはロゼッタを抱き上げたまま、あたりに神経を張り巡らせながら一歩ずつ進んでいく。明りが灯されたままの廊下は明るいが、まったく人気がなくかえって不気味さを醸し出す。
「何の気配もありませんね。黒霧の魔女の手下でも出てきてもおかしくないのですが」
潜んでいると思い誰もが身構えていたのに、いざ中に入ってみると人の気配すらない。現れたらすぐにでも斬りかかれるように構えて先頭を歩くジャンの足先が何かに当たり、ピタリと動きをを止めた。彼が足を出しても、見えない壁が先に行くのを阻んでいる。
「なるほど、魔法を仕掛けているから手下は連れていないのか」
悔し気に見えない壁を叩くジャンの背を見て、ロゼッタは真っ蒼になった。
ダンテと黒霧の魔女がいる場所に辿り着けなかったらどうなるのかと、想像してしまい震えだす。
「……」
そんなロゼッタの様子を見ていたブルーノは、すっと前に出て壁に触れると、彼の手はいとも簡単に壁をすり抜けた。しかし、後を追おうとするジャンの手はまたもや透明な壁に阻まれてしまう。
邪魔者が入り込まないように細工を施しているらしい。
悔しそうに壁を叩くジャンたちに向かって、ブルーノは静かに言った。
「……この先は私とロゼッタ様で向かいます。皆さんはもし黒霧の魔女の手下が現れたら始末してください」
何があっても彼女を守れるようにと、ロゼッタを抱く腕の力を強め、しっかりと引き寄せた。
「悔しいですが私たちにはそれしかできそうにないですね。どうかご無事で」
騎士式の礼をとるジャンたちを残して、ロゼッタとブルーノは廊下の奥にあるオークション会場へと進んでゆく。ブルーノが一歩前に出るたびに、ぞくりと身を背筋を凍らすようなおぞましい気配が強くなる。
今までにないほど恐ろしい殺気に怯えて、ブルーノの上着をギュッと掴むロゼッタの手の力も強くなっていく。
ブルーノは労わるようにそっとロゼッタの頭にキスを落した。
「必ずやあなたをお護りします」
彼の声も頭に触れる柔らかな感覚も、怖気づくロゼッタの心に優しく寄り添ってくれた。
ブルーノが片手で会場の扉を開くと、目の前に大きなホールが現れる。ホールの中はすっかり荒れていた。座席は火炎魔法で焦げついた跡がつき、柱にはひびが入っている。ダンテと黒霧の魔女が一戦を交えたのは一目瞭然だ。
ロゼッタはこわごわとステージの方を見た。
放射線状に並ぶ座席の向こう側、ひときわ明るいステージの上にダンテが倒れており、その傍には黒霧の魔女が立っている。
彼らを見守るように、女神像やら少女が描かれた絵画やらが並んでおり、演劇の一場面のような光景だ。
ロゼッタの姿を認めた黒霧の魔女は、先ほどまでの剣呑な表情をすっと消して代わりに満面の笑みを浮かべた。心からロゼッタを迎えるように手を広げる。
「来てくれると信じていたわ。私も男爵も、ずっと待っていたのよ」
歓びに浸る黒霧の魔女とは正反対に、ダンテは絶望の底に突き落とされたかのような顔で目を瞠り、腕を震わせながら傷だらけの身体を起こした。
「ロゼッタ、なんでここに来た?!」
「ダンテを助けに来ましたの」
きっぱりと告げるロゼッタに、黒霧の魔女は「あらあら、殊勝なこと」と他人事のように呟く。
「屋敷の外に出るなとカストから言われなかったのか?」
「ダンテの命令のことは聞きましたわ。でも、わたくしはダンテの言うことなんて聞かなくってよ」
「どうしてこんな時に限っていい子にできないんだ?」
お前には生きていて欲しいのに、そう訴えかけるダンテの言葉を、ロゼッタは遮る。
「こんなに可愛くない子ども、早く捨てたらいいですのに」
眦を吊り上げて声を張り上げた。
「わたくしのせいで危ない目に遭っていますのに、どうして捨ててくれませんの?」
「何度も言っているはずだ。絶対に手放さないし、逃がしやしないと」
「ローゼ様と似ていても私は私よ。代わりにはなれないわ」
拭いきれない懐疑心と嫉妬が口から零れ落ちてしまい、ロゼッタは慌てて口を押える。こんな気持ちをダンテに知られたら嫌われてしまうかもしれないと、心のどこかで恐れて隠していた気持ちだった。
ダンテにとってローゼは大切な人だから、彼女を疎ましく思っていたら嫌われてしまうだろうと。
「ローゼの代わりじゃない。お前が、たった一人の家族だから」
ダンテは絞り出すような声でそう言って立ち上がろうとするが、黒霧の魔女が手をかざすと、何かにのしかかられたように地面に顔をつけ、呻き声を上げた。
「お別れの挨拶もできたようだし、そろそろ本題に入りましょ。ロゼッタ嬢、あなたがここに来たら男爵を解放してあげるわ」
果たして本当に、そうしてくれるのだろうか。
黒霧の魔女が残虐な性格なのは分かっている。無事に返してくれる気がしなかった。それでも、このままではダンテに何をするのかわからない。今も魔法でダンテを押しつぶそうとしているのだから。
どのみち、自分が出て行かないと何も変わらない。
そう思い至ったロゼッタは、「わかったわ」と小さく答えた。
ブルーノから降りようとするロゼッタを、ブルーノは全く離そうとしない。
「ブルーノ、命令よ。わたくしを降ろしなさい」
「……」
無言で訴えかけるブルーノの瞳は力強く、絶対に離すものかと意思を込めて見つめ返してくる。
彼らの様子を眺めていた黒霧の魔女が、せせら笑った。
「番犬がいうことを聞かないのは困るわね」
彼女が呪文を唱えれば、ブルーノの身体がぴくりと動き、そのままロゼッタを地面に下ろした。魔法に抗おうとしているのか、ブルーノの身体は震えていて、離れていくロゼッタの腕を一瞬だけ掴むが、すぐにまた動きを封じられた。
「ロゼッタ様、お止めください。行かないでください……!」
いつになく取り乱すブルーノが、頭を振って叫ぶ。
危険に晒したくないという彼の気持ちは痛いほどわかっているが、それでも立ち止まれなかった。
我儘だとはわかっている。
それでも、生き続けて欲しいとダンテやブルーノが願ってくれているように、ロゼッタもまた、彼らには生きていて欲しいと思っていて。
ダンテとブルーノが引き留めようとする声を聞きながら、ロゼッタは着実にステージへと近づく。一歩、また一歩と踏みしめるうちに、今日が本当に自分の最期なのだと、死へと進んでいる実感が湧いてきた。
今から黒霧の魔女に殺されることを考えると怖くて、悲しくて、泣きたくなる。それでも唇をキュッと引き結んで震える足を運んだ。
「ロゼッタ、ブルーノのもとに戻れ。お願いだ。お前まで失いたくない」
「わたくしもダンテを失いたくないですわ」
ひと息ついて、震える唇を噛みしめた。
言いそびれてしまえば、きっと後悔すると自分に言い聞かせて、ひと思いに言ってのける。
「ダンテのこと、大好きですもの」
ダンテが息をのむのが聞こえてきた。
虚を突かれたようなダンテを見て、ロゼッタは自嘲気味に笑う。
(こうなる前に、もっと言えばよかった)
そんな後悔を滲ませていると、黒霧の魔女がパンッと両手を叩く。
「いいことを思いついたわ。あなた一人で死ぬと寂しいだろうし、大好きなパパも一緒に死んだ方がいいわよね?」
残酷な提案が聞こえてきたその刹那、黒く鋭い刃先の剣が幾つも現れて、ダンテを取り囲む。
「やめて!」
悲鳴のような声を上げてロゼッタは駆け寄る。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――!
ダンテを殺さないで。
女神様、助けてください。
ダンテを助ける力を、わたくしにください……!
いい子にしますから。
何でもしますから。
だから、お願い――。
力の限り叫び、心の中で祈る。
すると、力強く握りしめた拳の間から眩い光が現れて、辺り一面に広がり、景色を白く塗りつぶした。