ローゼは始めこそ、現れては邪魔をしてくるダンテを煩わしそうに睨んでいたが、何度も出会ううちに打ち解けていった。
真夜中にダンテが保管室にいれば彼の目の前に現れて、美術品の話をせがんでは夜明けまで彼の話に耳を傾けるようになった。
そうしてローゼと過ごす夜はダンテにとって安らぎのひと時で、彼女の珊瑚色の瞳が自分を見つめてくれていると、両親を失った寂しさやバルバート家の当主としての重荷を忘れられた。
しかし、もどかしく思うこともあった。
ダンテはもっとローゼのことを知りたがったが、ローゼは自分のことをちっとも教えてくれないのだ。
彼女が何者なのか、どのように育ってきたのか、全く知る由もなくて。
ダンテはちりちりと焦燥感に駆られていった。
そんなある日、ローゼはとある秘宝の名前を口にした。
「ねえ、女神の秘宝って、知ってる?」
それは満月が浮かぶ、静かな夜のことだった。
正直言って、彼女が訪ねてくるなんて思っていなかったダンテは、突然ローゼが支配人室に来たものだから驚かされてしまった。
ローゼはいつも、満月や三日月の夜に怪盗の仕事をしていたため、今日も現れないだろうと思っていたのだ。
それに、その日の彼女はどこか無理に明るく振舞っているように見えて、心配になった。
「ああ、知ってるよ。手にすれば願いを叶えてくれると言われている、噂の秘宝だろ。次はそれを狙ってるのか?」
「え、ええ。そうよ」
珍しく歯切れが悪い返答が来て、さらに訝しく思う。
いつもはキッと睨んでくる珊瑚色の瞳は、珍しくしおらしかった。
「ローゼ、何かあったのか?」
あまりにもいつもと違う彼女の様子が気になってしまい、見かねたダンテは聞いてみた。
自分が彼女に元気を分けてもらっているように、彼女が落ち込んでいるなら励ましたかった。
それなのに、ローゼは彼の言葉を聞くなり、泣きそうな顔になった。
「しばらく、あなたに会えなくなるわ」
「なぜ?」
ただでさえローゼに会えない日を苦痛に思っているというのに、これ以上会えなくなるのは耐えられなかった。
震えそうになる声で問い返すも、ローゼの返事は淡々としていた。
まるで、彼を拒絶するかのように。
「怪盗は忙しいのよ」
「嘘つくな。そんな理由じゃねぇだろ。何があったんだ?」
「大したことないわ」
ダンテはこの時、柔らかな微笑みを浮かべる彼女の顔を、初めて見た。
ずっと見たかったその顔を拝めても、悲しいことに喜べなくて、一抹の不安が過った。
どうしてか、もう彼女と会えなくなってしまう気がしたのだ。
別れの挨拶を口にして立ち去ろうとするローゼの腕を捕まえて、自分の方に引き寄せる。
「それで騙してるつもりなのか? 本当の事を言うまで離さねぇからな」
ローゼは少しだけ躊躇った後、彼を抱きしめ返した。
「誰にも見つからない場所に隠して、守ってくれる?」
「頼まれなくてもそうする」
ほっそりとした身体は何かに怯えるように震えていて、ダンテは安心させたい一心で抱きしめる力を強めた。
もっとローゼを近くに感じたくて白金色の柔らかな髪に顔を埋めると、花の香りがする。
「ローゼ、今日こそお前を捕まえてやる」
「できるものならやってみなさいよ」
いつもの憎まれ口が戻ってきてダンテはホッとすると同時に、彼女を愛おしく思う気持ちが堰を切ったように押し寄せてきた。
見つめ合った後に、そっとローゼの唇にキスした。
壊れ物に触れるかのように優しく寄せると、ローゼは受け止めて返してくれる。
ずっと焦がれていた愛おしい人が、気持ちに応えてくれた。
求める愛を与えてくれた歓びに、ダンテは泣きそうになった。
その気持ちはローゼに伝わったようで、彼女は宥めるように背中を撫でてくれる。
「ダンテ、覚えてて。あなたはこの先も、1人じゃないから」
「一緒に、いてくれるのか?」
「……ええ、ずっと傍にいるから。たとえ、どんな姿になっても」
ローゼはそう言うと、大きな目からポロポロと涙を溢した。
「どうして泣くんだよ」
「ごめんね」
両手で涙を拭いてあげるダンテに、ローゼは顔を近づけてキスした。
やっと、ローゼを捕まえられた。
それでも目を離したら彼女は逃げてしまいそうな気がして、ダンテは片時も離れないようにと、一晩中、彼女を抱きしめた。
しかし虚しくも、翌朝目を覚ましてみれば、彼女の姿はなかった。
彼女の瞳の色と同じ魔法石があしらわれた耳飾りの片方だけを、ダンテの掌の中に残して。
その日から、怪盗ローゼは王都から姿を消してしまった。
ローゼとずっと一緒にいられると思っていたダンテは、夜になる度にローゼのことを思い出しては、息苦しくなるほど胸が締めつけられる日々を過ごした。
あんなにも何かに怯えていたのに、
ずっと傍にいると言ったのに、
どうして何も言わずに消えてしまったんだ。
もう一度、ローゼに会いたい。
その一心で、あらゆる伝手を使って彼女の手がかりを探してみても全く見つからなくて、そうしているうちに1年が経とうとした時、怪盗ローゼが地方領の小さな街にある、とあるオークションハウスに予告状を送ったという噂を聞きつけた。
すぐさま旅行の手配をして、ダンテは王都を発った。
◇
ペスカという名の小さな街に着いたダンテは、ローゼを探して街中をくまなく見て回っていた。
普段は寂れているその町は、怪盗ローゼが予告状を出してくれたおかげでこれまでにない賑わいになっているのだという。
宿屋の店主はダンテにそう話してくれた。
(観光客だけじゃなさそうに見えるけどな)
通り過ぎてゆく人たちを観察していると、やけに鍛え上げられた体格の人たちを多く見かける。
彼らは平民の服を着ているが、どことなく浮いて見えた。
仕事柄、貴族を多く見てきたダンテからすると、貴族が平民になりすましているようにしか見えなかった。
この街で、何かが起きている。
ローゼに関わることだとしたら、早く彼女を見つけてどこかに隠したかった。
しかし探せども彼女を見つけられず、そうしているうちに夜になった。
オークションハウスに向かっているダンテは、屋台の店主と客の立ち話が耳に入ってきた。
「さっき、おっかない現場を見てしまったんだけどよ、若い女性が追いかけられてたんだよ」
「人攫いか? それなら傭兵団に通報した方がいいぞ?」
「いや、追いかけてるのも女性だったんだよ。ありゃあ、色恋沙汰が拗れたに違いねぇな。追いかけられている方はすごい美人でよ、髪とか月のように綺麗な白金色だっだぜ」
「白金色……それ、最近この街に来たローゼじゃねぇか?」
ローゼと、店主は言った。
その名前を聞いた途端、ダンテの心臓は早鐘を打ち始める。
「その女性はどこに逃げて行ったんですか?」
ダンテは震える声で客の男に尋ねた。
「森の中だよ。なんだぁ? 拗れた原因は兄ちゃんか? えらいキレーな顔してるな」
場所を聞くなり、ダンテは礼も言わずに森へと向かった。
彼女の手がかりが見つかった喜びよりも、彼女の身に不吉なことが起こっている不安が勝って、心臓がうるさく脈を打つ。
夜の森に入ってローゼの名前を呼んでいると、不意に腕を掴まれた。
「貴殿、なんの用でこんな夜の森にいる?」
そう言って呼び止めたのが、エルヴィーラだ。
闇夜に目を凝らすと、彼女の他にもたくさんの人影があり、みな腰に剣をつけている。
その鞘には、ディルーナ王国騎士団の紋章である、剣に尾を絡みつけているドラゴンの装飾が施されている。
(……うそだろ。こんな田舎に王国騎士団が1部隊まるごといるじゃないか)
彼らの目的が分からず、訝しく思いつつも、ダンテは怪盗ローゼを探してここに来たことを明かした。
彼女と似ている女性が何者かに追われてこの森に入っていったと目撃情報を聞いたこともまた、伝えた。
「それなら一緒に探しましょう。私たちも人を探しているんですが、この森はどうもただならぬ輩が潜んでいるようなんです。おぞましい殺気がして、消えないんですよ」
探すなら大勢の方がいいだろうと思ったダンテは、ローゼの特徴を伝えた。
エルヴィーラはなにか考えるような素振りを見せたが、頷くと彼と一緒にローゼを探してくれた。
月明かりを頼りに森深くまで進んでいくと、轟音と共に森を白い光が照らした。
誰かが雷魔法を使っている。
魔法は途切れることなく放たれて、不気味な笑い声まで聞こえてきた。
ダンテたちに緊張が走る。
彼らは雷が落とされた場所まで、立ち止まることなく駆けつけた。
幾つもの森の木々を抜けて開けた場所に行くと、黒焦げに焼けて原型が分からなくなった物体と、血まみれになって倒れている少年と、変わり果てた姿になった、白金色の髪の女性が横たわっていた。
「ローゼ……?」
ダンテの声は掠れていた。
波打つ白金色の髪は見紛うことなく、ローゼのものだ。
彼女の元に行こうとした時、エルヴィーラが腕を掴んで彼を止めた。
「第一王子殿下の御前だ。下がりなさい」
訳が分からず呆然とするダンテの目の前に現れたのは、ローゼと同じ白金色の髪の男だ。
騎士たちは彼の周りを囲み、その一挙一動を見守っている。
彼はローゼを抱き起こして、静かに口を開いた。
「第一王女ジルダに間違いない。彼女の魂が彷徨うことのないように、今ここで祈ろう」
彼の言葉に、周りにいた騎士たちは一斉に首を垂れる。
すすり泣く声も聞こえてきて、静かな森にこだましていった。
(嘘だ。ローゼが王女のはずがない)
しかし、彼に抱き起こされている女性は見紛うことなく、ローゼだ。
見開かれた瞳は珊瑚色で、ダンテを睨みつけていたあの瞳に違いなかったし、彼女が身につけている服は、彼に会いに来るときに着ていたものだったから。
正真正銘、ローゼだと思った。
それなのに、第一王子は彼女を見て、別の名前を口にした。
「ジルダ、どうして……どうしてお前は、こんなところで……」
彼の言葉を聞くダンテもまた、ローゼに聞きたいことが次々と湧き起こり、ただ立ち尽くしていた。
変わり果てたローゼを見つけて、彼女の望み通り閉じ込めておけばよかったと自責の念に駆られているのを、昔も今も、誰も知らない。
誰にも言えなかった。
巷を騒がせていた怪盗ローゼは、ディルーナ王国の第一王女ジルダだったということを。
(ローゼ、なんで、何も教えてくれなかったんだ?)
月明かりに照らされるローゼに、ダンテは問いかけた。
どうして王女である彼女が城を抜けだして怪盗なんてしていたのか、知る由もない。
それに、彼女の身に降りかかったことを思うと、胸が張り裂けそうだった。
どれだけ怖い思いをしたのか。
どれだけ苦しかったか。
どれだけ悲しかったか。
なのに、どうして、何一つとして俺には教えてくれなかったんだ?
一つでも、分けてくれたら良かったのに。
疑念や悲しみはいつしか、憎しみへと変わっていった。
彼女を愛する気持ちはダンテの心に複雑に絡みつき、数年もの間、彼を苦しめ続けた。
◇
「旦那様、お嬢様は寝てしまわれたので、ブルーノが寝室に運びました」
物思いに耽っているダンテに、ラヴィがそっと声をかけた。
「そうか、やっぱり起きていられなかったか」
ダンテはそう言うと、予告状を手に持ったまま、ロゼッタの寝室に向かった。
すやすやと眠っている彼女の頬を撫でて、顔にかかった髪を梳き流す。
(歪な気持ちを通して、お前を見ていた)
ロゼッタが知れば嫌な思いをするということはわかっていたことで、許して欲しいとは言えないのもまた、わかっている。
(俺とローゼとの間にできた子どもかもしれない。ずっとそんな希望を抱いて見ていた)
あんまりにもローゼに似すぎているからなおのこと、胸の中にあるこのどうしようもない希望に苛むばかりで。
初めて彼女を目にしたあのオークション会場でも、そんな夢を見た。
突然消えたローゼが、残していってくれたんじゃないか、と。
ダンテは、そんなどうしようもない妄想をしなければならないほど、彼女の喪失に苦しめられ続けていたから。
ローゼの生き写しのような姿のロゼッタを見るたびに、懐かしい気持ちと同時に、彼の胸の中で燻っていた気持ちが暴れ出してしまう。
なんで何も言ってくれなかった?
相談するほどの事でもないと思ったのか?
俺では力が足りないと思われたからか?
それとも、信じられなかったのか?
どうして、俺から逃げた?
寂しさが、恨み言が、堰を切ったように溢れてくる。
「すまない、ロゼッタ。俺は本当にどうにかしちまっているんだ」
彼女の父親でありたい。
だけど、こんな歪な願いが消えないまま名乗れば、傷つけてしまう気がした。
ただでさえ時おり、この少女を通してローゼの姿を見てしまっているというのに。
「言い訳がましいが聞いてくれ。お前を娘として、愛している。反抗的で気が強くて、だけどまっすぐで、周りの人を思いやるお前が、この世で一番大切なんだ。この気持ちに嘘偽りはない」
許し請うように、ロゼッタの髪にキスを落とした。
「ローゼを失った悲しみを埋めるために無理やり傍に置いた罪は、ずっと償い続けるから」
口にした言葉はトゲとなって彼の心に落ちる。
(そう、ローゼは死んだ。怪盗ローゼは、死んだんだ)
目を閉じると瞼の裏に浮かぶのは、彼を睨みつけてきた珊瑚色の瞳。
(どうしてあいつに成り代わっているんだ。あいつはもう、帰ってこないというのに)
手にしている予告状をもう一度見て、彼女の名前をなぞる。
「あいつの姿を借りて悪さをしようもんなら、絶対に許さねぇ」
ダンテは予告状を握りつぶして、窓の外に浮かぶ月を眺めた。
真夜中にダンテが保管室にいれば彼の目の前に現れて、美術品の話をせがんでは夜明けまで彼の話に耳を傾けるようになった。
そうしてローゼと過ごす夜はダンテにとって安らぎのひと時で、彼女の珊瑚色の瞳が自分を見つめてくれていると、両親を失った寂しさやバルバート家の当主としての重荷を忘れられた。
しかし、もどかしく思うこともあった。
ダンテはもっとローゼのことを知りたがったが、ローゼは自分のことをちっとも教えてくれないのだ。
彼女が何者なのか、どのように育ってきたのか、全く知る由もなくて。
ダンテはちりちりと焦燥感に駆られていった。
そんなある日、ローゼはとある秘宝の名前を口にした。
「ねえ、女神の秘宝って、知ってる?」
それは満月が浮かぶ、静かな夜のことだった。
正直言って、彼女が訪ねてくるなんて思っていなかったダンテは、突然ローゼが支配人室に来たものだから驚かされてしまった。
ローゼはいつも、満月や三日月の夜に怪盗の仕事をしていたため、今日も現れないだろうと思っていたのだ。
それに、その日の彼女はどこか無理に明るく振舞っているように見えて、心配になった。
「ああ、知ってるよ。手にすれば願いを叶えてくれると言われている、噂の秘宝だろ。次はそれを狙ってるのか?」
「え、ええ。そうよ」
珍しく歯切れが悪い返答が来て、さらに訝しく思う。
いつもはキッと睨んでくる珊瑚色の瞳は、珍しくしおらしかった。
「ローゼ、何かあったのか?」
あまりにもいつもと違う彼女の様子が気になってしまい、見かねたダンテは聞いてみた。
自分が彼女に元気を分けてもらっているように、彼女が落ち込んでいるなら励ましたかった。
それなのに、ローゼは彼の言葉を聞くなり、泣きそうな顔になった。
「しばらく、あなたに会えなくなるわ」
「なぜ?」
ただでさえローゼに会えない日を苦痛に思っているというのに、これ以上会えなくなるのは耐えられなかった。
震えそうになる声で問い返すも、ローゼの返事は淡々としていた。
まるで、彼を拒絶するかのように。
「怪盗は忙しいのよ」
「嘘つくな。そんな理由じゃねぇだろ。何があったんだ?」
「大したことないわ」
ダンテはこの時、柔らかな微笑みを浮かべる彼女の顔を、初めて見た。
ずっと見たかったその顔を拝めても、悲しいことに喜べなくて、一抹の不安が過った。
どうしてか、もう彼女と会えなくなってしまう気がしたのだ。
別れの挨拶を口にして立ち去ろうとするローゼの腕を捕まえて、自分の方に引き寄せる。
「それで騙してるつもりなのか? 本当の事を言うまで離さねぇからな」
ローゼは少しだけ躊躇った後、彼を抱きしめ返した。
「誰にも見つからない場所に隠して、守ってくれる?」
「頼まれなくてもそうする」
ほっそりとした身体は何かに怯えるように震えていて、ダンテは安心させたい一心で抱きしめる力を強めた。
もっとローゼを近くに感じたくて白金色の柔らかな髪に顔を埋めると、花の香りがする。
「ローゼ、今日こそお前を捕まえてやる」
「できるものならやってみなさいよ」
いつもの憎まれ口が戻ってきてダンテはホッとすると同時に、彼女を愛おしく思う気持ちが堰を切ったように押し寄せてきた。
見つめ合った後に、そっとローゼの唇にキスした。
壊れ物に触れるかのように優しく寄せると、ローゼは受け止めて返してくれる。
ずっと焦がれていた愛おしい人が、気持ちに応えてくれた。
求める愛を与えてくれた歓びに、ダンテは泣きそうになった。
その気持ちはローゼに伝わったようで、彼女は宥めるように背中を撫でてくれる。
「ダンテ、覚えてて。あなたはこの先も、1人じゃないから」
「一緒に、いてくれるのか?」
「……ええ、ずっと傍にいるから。たとえ、どんな姿になっても」
ローゼはそう言うと、大きな目からポロポロと涙を溢した。
「どうして泣くんだよ」
「ごめんね」
両手で涙を拭いてあげるダンテに、ローゼは顔を近づけてキスした。
やっと、ローゼを捕まえられた。
それでも目を離したら彼女は逃げてしまいそうな気がして、ダンテは片時も離れないようにと、一晩中、彼女を抱きしめた。
しかし虚しくも、翌朝目を覚ましてみれば、彼女の姿はなかった。
彼女の瞳の色と同じ魔法石があしらわれた耳飾りの片方だけを、ダンテの掌の中に残して。
その日から、怪盗ローゼは王都から姿を消してしまった。
ローゼとずっと一緒にいられると思っていたダンテは、夜になる度にローゼのことを思い出しては、息苦しくなるほど胸が締めつけられる日々を過ごした。
あんなにも何かに怯えていたのに、
ずっと傍にいると言ったのに、
どうして何も言わずに消えてしまったんだ。
もう一度、ローゼに会いたい。
その一心で、あらゆる伝手を使って彼女の手がかりを探してみても全く見つからなくて、そうしているうちに1年が経とうとした時、怪盗ローゼが地方領の小さな街にある、とあるオークションハウスに予告状を送ったという噂を聞きつけた。
すぐさま旅行の手配をして、ダンテは王都を発った。
◇
ペスカという名の小さな街に着いたダンテは、ローゼを探して街中をくまなく見て回っていた。
普段は寂れているその町は、怪盗ローゼが予告状を出してくれたおかげでこれまでにない賑わいになっているのだという。
宿屋の店主はダンテにそう話してくれた。
(観光客だけじゃなさそうに見えるけどな)
通り過ぎてゆく人たちを観察していると、やけに鍛え上げられた体格の人たちを多く見かける。
彼らは平民の服を着ているが、どことなく浮いて見えた。
仕事柄、貴族を多く見てきたダンテからすると、貴族が平民になりすましているようにしか見えなかった。
この街で、何かが起きている。
ローゼに関わることだとしたら、早く彼女を見つけてどこかに隠したかった。
しかし探せども彼女を見つけられず、そうしているうちに夜になった。
オークションハウスに向かっているダンテは、屋台の店主と客の立ち話が耳に入ってきた。
「さっき、おっかない現場を見てしまったんだけどよ、若い女性が追いかけられてたんだよ」
「人攫いか? それなら傭兵団に通報した方がいいぞ?」
「いや、追いかけてるのも女性だったんだよ。ありゃあ、色恋沙汰が拗れたに違いねぇな。追いかけられている方はすごい美人でよ、髪とか月のように綺麗な白金色だっだぜ」
「白金色……それ、最近この街に来たローゼじゃねぇか?」
ローゼと、店主は言った。
その名前を聞いた途端、ダンテの心臓は早鐘を打ち始める。
「その女性はどこに逃げて行ったんですか?」
ダンテは震える声で客の男に尋ねた。
「森の中だよ。なんだぁ? 拗れた原因は兄ちゃんか? えらいキレーな顔してるな」
場所を聞くなり、ダンテは礼も言わずに森へと向かった。
彼女の手がかりが見つかった喜びよりも、彼女の身に不吉なことが起こっている不安が勝って、心臓がうるさく脈を打つ。
夜の森に入ってローゼの名前を呼んでいると、不意に腕を掴まれた。
「貴殿、なんの用でこんな夜の森にいる?」
そう言って呼び止めたのが、エルヴィーラだ。
闇夜に目を凝らすと、彼女の他にもたくさんの人影があり、みな腰に剣をつけている。
その鞘には、ディルーナ王国騎士団の紋章である、剣に尾を絡みつけているドラゴンの装飾が施されている。
(……うそだろ。こんな田舎に王国騎士団が1部隊まるごといるじゃないか)
彼らの目的が分からず、訝しく思いつつも、ダンテは怪盗ローゼを探してここに来たことを明かした。
彼女と似ている女性が何者かに追われてこの森に入っていったと目撃情報を聞いたこともまた、伝えた。
「それなら一緒に探しましょう。私たちも人を探しているんですが、この森はどうもただならぬ輩が潜んでいるようなんです。おぞましい殺気がして、消えないんですよ」
探すなら大勢の方がいいだろうと思ったダンテは、ローゼの特徴を伝えた。
エルヴィーラはなにか考えるような素振りを見せたが、頷くと彼と一緒にローゼを探してくれた。
月明かりを頼りに森深くまで進んでいくと、轟音と共に森を白い光が照らした。
誰かが雷魔法を使っている。
魔法は途切れることなく放たれて、不気味な笑い声まで聞こえてきた。
ダンテたちに緊張が走る。
彼らは雷が落とされた場所まで、立ち止まることなく駆けつけた。
幾つもの森の木々を抜けて開けた場所に行くと、黒焦げに焼けて原型が分からなくなった物体と、血まみれになって倒れている少年と、変わり果てた姿になった、白金色の髪の女性が横たわっていた。
「ローゼ……?」
ダンテの声は掠れていた。
波打つ白金色の髪は見紛うことなく、ローゼのものだ。
彼女の元に行こうとした時、エルヴィーラが腕を掴んで彼を止めた。
「第一王子殿下の御前だ。下がりなさい」
訳が分からず呆然とするダンテの目の前に現れたのは、ローゼと同じ白金色の髪の男だ。
騎士たちは彼の周りを囲み、その一挙一動を見守っている。
彼はローゼを抱き起こして、静かに口を開いた。
「第一王女ジルダに間違いない。彼女の魂が彷徨うことのないように、今ここで祈ろう」
彼の言葉に、周りにいた騎士たちは一斉に首を垂れる。
すすり泣く声も聞こえてきて、静かな森にこだましていった。
(嘘だ。ローゼが王女のはずがない)
しかし、彼に抱き起こされている女性は見紛うことなく、ローゼだ。
見開かれた瞳は珊瑚色で、ダンテを睨みつけていたあの瞳に違いなかったし、彼女が身につけている服は、彼に会いに来るときに着ていたものだったから。
正真正銘、ローゼだと思った。
それなのに、第一王子は彼女を見て、別の名前を口にした。
「ジルダ、どうして……どうしてお前は、こんなところで……」
彼の言葉を聞くダンテもまた、ローゼに聞きたいことが次々と湧き起こり、ただ立ち尽くしていた。
変わり果てたローゼを見つけて、彼女の望み通り閉じ込めておけばよかったと自責の念に駆られているのを、昔も今も、誰も知らない。
誰にも言えなかった。
巷を騒がせていた怪盗ローゼは、ディルーナ王国の第一王女ジルダだったということを。
(ローゼ、なんで、何も教えてくれなかったんだ?)
月明かりに照らされるローゼに、ダンテは問いかけた。
どうして王女である彼女が城を抜けだして怪盗なんてしていたのか、知る由もない。
それに、彼女の身に降りかかったことを思うと、胸が張り裂けそうだった。
どれだけ怖い思いをしたのか。
どれだけ苦しかったか。
どれだけ悲しかったか。
なのに、どうして、何一つとして俺には教えてくれなかったんだ?
一つでも、分けてくれたら良かったのに。
疑念や悲しみはいつしか、憎しみへと変わっていった。
彼女を愛する気持ちはダンテの心に複雑に絡みつき、数年もの間、彼を苦しめ続けた。
◇
「旦那様、お嬢様は寝てしまわれたので、ブルーノが寝室に運びました」
物思いに耽っているダンテに、ラヴィがそっと声をかけた。
「そうか、やっぱり起きていられなかったか」
ダンテはそう言うと、予告状を手に持ったまま、ロゼッタの寝室に向かった。
すやすやと眠っている彼女の頬を撫でて、顔にかかった髪を梳き流す。
(歪な気持ちを通して、お前を見ていた)
ロゼッタが知れば嫌な思いをするということはわかっていたことで、許して欲しいとは言えないのもまた、わかっている。
(俺とローゼとの間にできた子どもかもしれない。ずっとそんな希望を抱いて見ていた)
あんまりにもローゼに似すぎているからなおのこと、胸の中にあるこのどうしようもない希望に苛むばかりで。
初めて彼女を目にしたあのオークション会場でも、そんな夢を見た。
突然消えたローゼが、残していってくれたんじゃないか、と。
ダンテは、そんなどうしようもない妄想をしなければならないほど、彼女の喪失に苦しめられ続けていたから。
ローゼの生き写しのような姿のロゼッタを見るたびに、懐かしい気持ちと同時に、彼の胸の中で燻っていた気持ちが暴れ出してしまう。
なんで何も言ってくれなかった?
相談するほどの事でもないと思ったのか?
俺では力が足りないと思われたからか?
それとも、信じられなかったのか?
どうして、俺から逃げた?
寂しさが、恨み言が、堰を切ったように溢れてくる。
「すまない、ロゼッタ。俺は本当にどうにかしちまっているんだ」
彼女の父親でありたい。
だけど、こんな歪な願いが消えないまま名乗れば、傷つけてしまう気がした。
ただでさえ時おり、この少女を通してローゼの姿を見てしまっているというのに。
「言い訳がましいが聞いてくれ。お前を娘として、愛している。反抗的で気が強くて、だけどまっすぐで、周りの人を思いやるお前が、この世で一番大切なんだ。この気持ちに嘘偽りはない」
許し請うように、ロゼッタの髪にキスを落とした。
「ローゼを失った悲しみを埋めるために無理やり傍に置いた罪は、ずっと償い続けるから」
口にした言葉はトゲとなって彼の心に落ちる。
(そう、ローゼは死んだ。怪盗ローゼは、死んだんだ)
目を閉じると瞼の裏に浮かぶのは、彼を睨みつけてきた珊瑚色の瞳。
(どうしてあいつに成り代わっているんだ。あいつはもう、帰ってこないというのに)
手にしている予告状をもう一度見て、彼女の名前をなぞる。
「あいつの姿を借りて悪さをしようもんなら、絶対に許さねぇ」
ダンテは予告状を握りつぶして、窓の外に浮かぶ月を眺めた。