とある冬の日の穏やかな夜、バルバート邸は当主ダンテの帰宅を迎えた。
お出迎えに来たロゼッタは眠そうで、ダンテは彼女を抱き上げて頬を寄せる。
「魔法の授業はどうだった?」
「わたくし、物を浮かせるようになりましたのよ。後でダンテに見せますわ」
「起きていたらな。まずはナナに湯あみしてもらえ」
ロゼッタはダンテがつけた家庭教師と魔法の練習していたため、消費した魔力を回復するべく身体に眠気を誘われていた。
ダンテはブルーノとナナにロゼッタを預けると、自室へ行って着替える。
「お嬢様は、旦那様に魔法を見せたい一心で頑張って起きてらっしゃいました」
カストの話から先ほどのロゼッタの顔を思い出し、ついつい口元が緩んでしまう。
「そのようだな。もう目を閉じていたのに必死で話しかけてくるから、笑いそうになったよ」
おませさんな少女が珍しく褒められるのを待っている姿はいじらしくて、本当はすぐにでも新しく覚えた魔法を披露して欲しかったが、魔法を使い始めてすぐの身体に負担をかけさせるのはよくない。
(魔力が回復した明日にでも見せてもらうか)
そんなことを考えながら机の上に置いている薔薇の花に触れるていると、カストがおずおずと声をかけてきた。
「旦那様、本日、妙な手紙が届きました」
「ふむ、見せてくれ」
カストから差し出されたトレーには、一枚の小さな手紙が載せられている。
その差出人の名前を見て、ダンテは息をのんだ。
『ダンテ・バルバート様
次の満月の夜、『ギャラリー・バルバート』にてあなたの大切なものを頂戴します。
怪盗ローゼ』
見覚えのある、怪盗からの予告状だ。
かつて怪盗ローゼから送られたものとデザインは似ているが、文字は別人のもので。
(俺の命を狙う怪盗、か)
リベリオの先視を思い出すと、この予告状を送りつけてきたのは恐らく、黒霧の魔女だろうとダンテは推測する。
そうと分かっていても、この名前を見るだけで、かつて出会った美しい怪盗のことを思い出して胸が苦しくなった。
どれだけ切望しても二度と会えない大切な人。
怪盗ローゼ、いや、ディルーナ王国第一王女ジルダと過ごした束の間の時間を。
◇
ダンテとローゼが初めて出会ったのは、両親が亡くなり、仕事で多忙を極めている時だった。
その当時、オークションハウスや美術商の店から美術品が盗まれる事件が頻発していた。
その犯人は、怪盗ローゼ。
仮面の下に素顔を隠している風の魔法の使い手で、風に気を取られているうちに盗まれるのだという。
騎士団が捜査をしていたが、彼女は不当に奪われた美術品を盗んで持ち主に返しているという噂が流れたせいで、一部の国民から妨害を受けて捜査が難航していた。
彼らは怪盗ローゼを、弱き者を助ける女神の化身と、崇めていたのだ。
その噂は、当時の『ギャラリー・バルバート』にも届いており、従業員たちの世間話にのぼっていた。
「支配人は怪盗ローゼのこと、どう思いますか?」
仕入れたばかりの絵画を鑑定していたトビアが、後ろで結果を待っているダンテに問いかけた。
もちろんダンテもまた、怪盗ローゼの噂を耳にしていた。
「んー、仮面で隠してもなお美しい貴婦人と噂されているし、ぜひとも美術品と一緒に俺の心を奪ってもらいたいものだな」
「はぁ〜、相変わらずのタラシ具合ですね。うちの評判にも関わるんですから、女性を漁るのはもう控えてください」
「トビア君、なにか勘違いをしているね。俺は漁ったりなんて野蛮なことはしないさ。彼女たちのお誘いに応じているだけだよ」
「はぁ~。溜息で酸欠になりそうなんでもうこの話は止めましょう」
すっかり呆れきったトビアに睨まれるが、ダンテはどこ吹く風といった具合で、微塵も反省の色がない。
そんな彼だが、最近はまったく女性とのの噂があがらなくなった。
夜に出歩くこともなくなって屋敷で仕事をしているそうで、トビアは内心ホッとしている。
(このまま、いい人に出会って幸せになってくれたらいいんだけど)
自分より3歳ほどばかり年上の若い支配人が経験してきた過去を思うと、つい彼の幸せを願ってしまう。
「で、この美術品は本当に男装の画家と名を馳せたリアの作品か?」
「いいえ、これは贋作です。100年前の画家が描いた作品にしては絵具の経年劣化が見られませんし、なにより、重ねた色に濁りが見えるのが彼女らしくありません。恐らくですが、何者かが練習用に作った複製品でしょう」
「なるほどな。鑑定ご苦労だった」
トビアの鑑定結果を聞いたダンテは、部屋を出て支配人室に向かった。
今は昼のオークションが開かれている時間帯で従業人たちはほとんどいない。
そんな静かな廊下を、見知らぬ女性が歩いていた。
亜麻色の髪を結い上げた女性は、部屋の前をゆっくりと歩いて何かを探っているように見える。
「お客様、こちらは従業員専用の場所となっております」
ダンテが近づくと、女性はさっと扇子を取り出して口元を隠した。
「まあ、失礼いたしました」
珊瑚色の瞳を大きく見開きわざとらしく驚く彼女にどこか違和感を覚えたダンテは、にっこりと微笑む。
「会場への帰り道を案内させてください。どうぞお手を」
女性は少し躊躇ったが、差し出されたダンテの手に自分の手を重ねた。
「会場に着きましたよ。楽しい時間をお過ごしください」
会場の入り口前にたどり着くと、ダンテはその手にキスを落とした。
女性の手が微かに強張って、視線を上げれば、眉根を寄せている。
「どうもありがとうございました」
冷めた声を残して、女性は出口へと向かっていった。
(おやおや、久しぶりに冷たくあしらわれてしまった)
たいていの女性は、彼が微笑んだり話しかけたりすれば目を潤ませて見つめてくれるし、手に唇を寄せれば頬を赤く染めて喜んでくれるというのに。
ダンテと話したいがためにわざわざ従業員専用の場所まで入ってくる女性もいるくらいだ。
(彼女もてっきり話に来てくれたんだと思ったんだけどな)
ダンテは小さく肩をすくめると、支配人室に戻った。
「おいおい、噂をしていたら来てしまったじゃないか」
支配人室の机の上に置いてあったのは、一枚の手紙。
怪盗ローゼからの、予告状が届いたのだ。
『ダンテ・バルバート様
次の三日月の夜、【リリッツィアの涙】を頂戴します。
怪盗ローゼ』
彼女が奪おうとしているのは、最近仕入れたばかりの宝飾品。
当主が病で亡くなったサンチェス伯爵家の夫人が、当主の治療と領地の立て直しのために売り払ったもので、サンチェス家の夫人に代々伝わってきた宝と言われている。
それを売り払わなければならないほど、サンチェス家は財政に苦しんでいた。
「フン、金に困って売りに出された宝を奪ってどうするつもりなんだか。あの噂はでたらめのようだな」
弱き者を助ける女神の化身ではなく、美しいものに目が眩んだ、ただの盗人だろう。
いずれにしても、商売の邪魔をされるわけにはいかない。
騎士団頼みで自分はなにもせずに当日を迎える気なんて、さらさらなかった。
「怪盗ローゼとやら、あなたの挑戦、喜んでお受けいたしましょう」
ダンテは不敵に微笑むと、招待状を胸ポケットにしまった。
◇
ついに『ギャラリー・バルバート』にも怪盗ローゼの予告状が届いた噂は、瞬く間に王都中に広がっていった。
注目が集まる中、ダンテはオークションハウスを休みにすることなく、三日月の夜にもオークションを開催した。
ただ、怪盗ローゼを捕まえる対策はしており、会場には変装した騎士たちが歩き回って怪しい人物がいないか見て回っていた。
それに、【リリッツィアの涙】の複製品を密かに用意して、それを騎士や従業員たちに見張らせた。
(さあ、怪盗ローゼ、俺を楽しませてくれ)
果たして彼女は複製品を掴むか、或いは偽物と気づくか。
偽物とわかればどのように出てくるのか、全く想像できない結末に胸を躍らせた。
「仕事に戻るので、何かあったらいいに来てください」
「かしこまりました。我々にお任せください」
怪盗ローゼを捕らえるために派遣された王国騎士団に声をかけてから、支配人室に向かう。
従業員フロアは彼しかおらず、彼の足音だけが廊下に響いた。
(さて、今日は綺麗な三日月が見えるが、怪盗ローゼはいつ来るつもりなのやら)
闇夜に浮かぶ三日月を見上げたその時、風が吹いて、柱にとりつけている燭台の蝋燭たちが次々と消えていった。
ダンテは形の良い唇を上品に持ち上げて、自分に向かって吹いてくる風に手を伸ばして捕まえた。
「お客様、また迷子になったんですか?」
「変態! よくも私を騙したわね!」
腕の中に閉じ込めた亜麻色の髪の女性に向かって囁くと、彼女は悔しそうに身じろぎした。
お出迎えに来たロゼッタは眠そうで、ダンテは彼女を抱き上げて頬を寄せる。
「魔法の授業はどうだった?」
「わたくし、物を浮かせるようになりましたのよ。後でダンテに見せますわ」
「起きていたらな。まずはナナに湯あみしてもらえ」
ロゼッタはダンテがつけた家庭教師と魔法の練習していたため、消費した魔力を回復するべく身体に眠気を誘われていた。
ダンテはブルーノとナナにロゼッタを預けると、自室へ行って着替える。
「お嬢様は、旦那様に魔法を見せたい一心で頑張って起きてらっしゃいました」
カストの話から先ほどのロゼッタの顔を思い出し、ついつい口元が緩んでしまう。
「そのようだな。もう目を閉じていたのに必死で話しかけてくるから、笑いそうになったよ」
おませさんな少女が珍しく褒められるのを待っている姿はいじらしくて、本当はすぐにでも新しく覚えた魔法を披露して欲しかったが、魔法を使い始めてすぐの身体に負担をかけさせるのはよくない。
(魔力が回復した明日にでも見せてもらうか)
そんなことを考えながら机の上に置いている薔薇の花に触れるていると、カストがおずおずと声をかけてきた。
「旦那様、本日、妙な手紙が届きました」
「ふむ、見せてくれ」
カストから差し出されたトレーには、一枚の小さな手紙が載せられている。
その差出人の名前を見て、ダンテは息をのんだ。
『ダンテ・バルバート様
次の満月の夜、『ギャラリー・バルバート』にてあなたの大切なものを頂戴します。
怪盗ローゼ』
見覚えのある、怪盗からの予告状だ。
かつて怪盗ローゼから送られたものとデザインは似ているが、文字は別人のもので。
(俺の命を狙う怪盗、か)
リベリオの先視を思い出すと、この予告状を送りつけてきたのは恐らく、黒霧の魔女だろうとダンテは推測する。
そうと分かっていても、この名前を見るだけで、かつて出会った美しい怪盗のことを思い出して胸が苦しくなった。
どれだけ切望しても二度と会えない大切な人。
怪盗ローゼ、いや、ディルーナ王国第一王女ジルダと過ごした束の間の時間を。
◇
ダンテとローゼが初めて出会ったのは、両親が亡くなり、仕事で多忙を極めている時だった。
その当時、オークションハウスや美術商の店から美術品が盗まれる事件が頻発していた。
その犯人は、怪盗ローゼ。
仮面の下に素顔を隠している風の魔法の使い手で、風に気を取られているうちに盗まれるのだという。
騎士団が捜査をしていたが、彼女は不当に奪われた美術品を盗んで持ち主に返しているという噂が流れたせいで、一部の国民から妨害を受けて捜査が難航していた。
彼らは怪盗ローゼを、弱き者を助ける女神の化身と、崇めていたのだ。
その噂は、当時の『ギャラリー・バルバート』にも届いており、従業員たちの世間話にのぼっていた。
「支配人は怪盗ローゼのこと、どう思いますか?」
仕入れたばかりの絵画を鑑定していたトビアが、後ろで結果を待っているダンテに問いかけた。
もちろんダンテもまた、怪盗ローゼの噂を耳にしていた。
「んー、仮面で隠してもなお美しい貴婦人と噂されているし、ぜひとも美術品と一緒に俺の心を奪ってもらいたいものだな」
「はぁ〜、相変わらずのタラシ具合ですね。うちの評判にも関わるんですから、女性を漁るのはもう控えてください」
「トビア君、なにか勘違いをしているね。俺は漁ったりなんて野蛮なことはしないさ。彼女たちのお誘いに応じているだけだよ」
「はぁ~。溜息で酸欠になりそうなんでもうこの話は止めましょう」
すっかり呆れきったトビアに睨まれるが、ダンテはどこ吹く風といった具合で、微塵も反省の色がない。
そんな彼だが、最近はまったく女性とのの噂があがらなくなった。
夜に出歩くこともなくなって屋敷で仕事をしているそうで、トビアは内心ホッとしている。
(このまま、いい人に出会って幸せになってくれたらいいんだけど)
自分より3歳ほどばかり年上の若い支配人が経験してきた過去を思うと、つい彼の幸せを願ってしまう。
「で、この美術品は本当に男装の画家と名を馳せたリアの作品か?」
「いいえ、これは贋作です。100年前の画家が描いた作品にしては絵具の経年劣化が見られませんし、なにより、重ねた色に濁りが見えるのが彼女らしくありません。恐らくですが、何者かが練習用に作った複製品でしょう」
「なるほどな。鑑定ご苦労だった」
トビアの鑑定結果を聞いたダンテは、部屋を出て支配人室に向かった。
今は昼のオークションが開かれている時間帯で従業人たちはほとんどいない。
そんな静かな廊下を、見知らぬ女性が歩いていた。
亜麻色の髪を結い上げた女性は、部屋の前をゆっくりと歩いて何かを探っているように見える。
「お客様、こちらは従業員専用の場所となっております」
ダンテが近づくと、女性はさっと扇子を取り出して口元を隠した。
「まあ、失礼いたしました」
珊瑚色の瞳を大きく見開きわざとらしく驚く彼女にどこか違和感を覚えたダンテは、にっこりと微笑む。
「会場への帰り道を案内させてください。どうぞお手を」
女性は少し躊躇ったが、差し出されたダンテの手に自分の手を重ねた。
「会場に着きましたよ。楽しい時間をお過ごしください」
会場の入り口前にたどり着くと、ダンテはその手にキスを落とした。
女性の手が微かに強張って、視線を上げれば、眉根を寄せている。
「どうもありがとうございました」
冷めた声を残して、女性は出口へと向かっていった。
(おやおや、久しぶりに冷たくあしらわれてしまった)
たいていの女性は、彼が微笑んだり話しかけたりすれば目を潤ませて見つめてくれるし、手に唇を寄せれば頬を赤く染めて喜んでくれるというのに。
ダンテと話したいがためにわざわざ従業員専用の場所まで入ってくる女性もいるくらいだ。
(彼女もてっきり話に来てくれたんだと思ったんだけどな)
ダンテは小さく肩をすくめると、支配人室に戻った。
「おいおい、噂をしていたら来てしまったじゃないか」
支配人室の机の上に置いてあったのは、一枚の手紙。
怪盗ローゼからの、予告状が届いたのだ。
『ダンテ・バルバート様
次の三日月の夜、【リリッツィアの涙】を頂戴します。
怪盗ローゼ』
彼女が奪おうとしているのは、最近仕入れたばかりの宝飾品。
当主が病で亡くなったサンチェス伯爵家の夫人が、当主の治療と領地の立て直しのために売り払ったもので、サンチェス家の夫人に代々伝わってきた宝と言われている。
それを売り払わなければならないほど、サンチェス家は財政に苦しんでいた。
「フン、金に困って売りに出された宝を奪ってどうするつもりなんだか。あの噂はでたらめのようだな」
弱き者を助ける女神の化身ではなく、美しいものに目が眩んだ、ただの盗人だろう。
いずれにしても、商売の邪魔をされるわけにはいかない。
騎士団頼みで自分はなにもせずに当日を迎える気なんて、さらさらなかった。
「怪盗ローゼとやら、あなたの挑戦、喜んでお受けいたしましょう」
ダンテは不敵に微笑むと、招待状を胸ポケットにしまった。
◇
ついに『ギャラリー・バルバート』にも怪盗ローゼの予告状が届いた噂は、瞬く間に王都中に広がっていった。
注目が集まる中、ダンテはオークションハウスを休みにすることなく、三日月の夜にもオークションを開催した。
ただ、怪盗ローゼを捕まえる対策はしており、会場には変装した騎士たちが歩き回って怪しい人物がいないか見て回っていた。
それに、【リリッツィアの涙】の複製品を密かに用意して、それを騎士や従業員たちに見張らせた。
(さあ、怪盗ローゼ、俺を楽しませてくれ)
果たして彼女は複製品を掴むか、或いは偽物と気づくか。
偽物とわかればどのように出てくるのか、全く想像できない結末に胸を躍らせた。
「仕事に戻るので、何かあったらいいに来てください」
「かしこまりました。我々にお任せください」
怪盗ローゼを捕らえるために派遣された王国騎士団に声をかけてから、支配人室に向かう。
従業員フロアは彼しかおらず、彼の足音だけが廊下に響いた。
(さて、今日は綺麗な三日月が見えるが、怪盗ローゼはいつ来るつもりなのやら)
闇夜に浮かぶ三日月を見上げたその時、風が吹いて、柱にとりつけている燭台の蝋燭たちが次々と消えていった。
ダンテは形の良い唇を上品に持ち上げて、自分に向かって吹いてくる風に手を伸ばして捕まえた。
「お客様、また迷子になったんですか?」
「変態! よくも私を騙したわね!」
腕の中に閉じ込めた亜麻色の髪の女性に向かって囁くと、彼女は悔しそうに身じろぎした。