ソレチト伯爵との商談があった翌日、ダンテはロゼッタとブルーノを街に連れ出した。

「ダンテ、最初はどこに行きますの?」
「宝飾品店だ。そこで拡大鏡を見ような」

 目的はロゼッタの拡大鏡と手袋を買いに行くためで、仕事道具を買ってもらえるのが嬉しいロゼッタはいつもよりはしゃいでいた。

「わぁっ! 人でいっぱいですわね」

 ゴンドラから見渡すメインストリートの人通りの多さに、思わず感嘆の声を漏らす。

「ここは1番賑わってるからな。祭りの時はもっとすごいぞ」

 ダンテはそう言いながらロゼッタの髪をゆっくりと梳き流していく。
 運河を吹く風は何度もロゼッタの髪を弄び、ダンテの手は止まることがなかった。

 するとロゼッタは、ダンテの膝の上で居心地悪そうに身を捩る。

「落ちたりしないから1人で座らせてくださらない?」
「ダメだ。もしものことがあるかもしれないだろ?」

 どうやら膝から下ろす気は全くないらしく、強く引き寄せられてしまう。

(終わったわ……)

 ロゼッタは恐る恐る運河沿いに目を向けた。
 そこには色とりどりの美しいドレスを着た令嬢や貴婦人たちが並んでおり、ロゼッタに鋭い視線を飛ばしている。

(ダンテと外にいるといつもこうなのよね)

 ナナからダンテの評判を聞いていたが、正直ここまでとは思っていなかった。
 猛獣の如く飛びかかってきそうな気配さえ感じて、黒霧の魔女だけではなく、彼女たちからも命を狙われてしまうのではとさえ思ってしまう。

「ダンテ様っ! わたくしたちとお茶しませんか?」

 1人の令嬢が声をかけると、他の令嬢たちが後に続く。

「抜け駆けなんてずるいわっ!」
「ちょっと! 小娘は黙りなさい!」

 美しく着飾った淑女たちの泥仕合が始まり、思わず息をのんでしまう。

 あの人たちに捕まればひとたまりもないだろう。
 そう思った少女は、街を歩く時は何が何でもブルーノについて来てもらおうと心に誓った。

 一方、ダンテはというと、恐ろしい牽制が始まっていても爽やかに微笑んでいて。

「はは、生憎ですが私は失礼します。可愛いロゼッタに街を案内してあげたいので」

 そう言って紳士的に礼を取ると、立ち尽くす令嬢たちを気に留めることなくロゼッタに王都で人気のお菓子のお店の話なんて始めた。

(どうして今日に限って可愛いとか言ってくるのよ?! いつもは言わないくせに!)

 さらに鋭さを増す視線を受け止めなければならなくなったロゼッタは恨めしげにダンテを見つめた。

「ダンテはどうして色んな女の人に声をかけられるの? 崇拝者だから?」
「ロゼッタ、そのことは忘れろ」

 忘れろと言われると余計に気になるのが子どもである。
 不満げに頬を膨らませて抗議するが、ダンテは教えてくれなかった。それどころか、フイと顔をそらされてしまう。

「っブルーノ、その顔はよせ」

 ロゼッタの視線から逃れたダンテは、今度はブルーノから責めるような目を向けられていた。
 ブルーノは何か知っているようだが、彼もまた、聞いても教えてくれなくて。

「なによっ! みんなしてわたくしを仲間外れにしますのね!」

 プリプリと怒ってみるが、それでもダンテたちは教えてくれなかった。


 ◇


 ゴンドラから降り立ったロゼッタたちは大通りにある宝飾品店に入った。
 
 眩いアクセサリーたちが並ぶ店内に足を踏み入れると、ロゼッタは急にしり込みしてしまう。
 こんなにも高級なお店に入ったことなんてこれまで一度もなく、雰囲気に気圧されそうになった。

 ダンテの姿を見るなり店員が現れて、彼らを奥の部屋へと案内する。

「バルバート男爵、今日はどのようなご入用で?」
「この子に拡大鏡を誂えに来た」

 そう言って、ロゼッタの頬を撫でる。

「かしこまりました。それでは、保管している図案をお持ちします」

 店員は部屋を出てしばらくすると、一枚の紙を机の上に置いた。
 デザイン画の上には、”バルバート家の拡大鏡図案”と書かれている。

 抽象化された草花の装飾が美しいその図案に、ロゼッタは見入ってしまった。

「俺も先代も、この図案と同じ拡大鏡を持っている」
「じゃあ、ダンテとお揃いになりますのね」

 声を弾ませる少女の背に、ダンテは手を添える。ゆっくりと彼女の背を撫でた。

「そうだ。これでまた1つ、お揃いができたな」

 やがて彼女が『ギャラリー・バルバート』の一員となって従業員たちと仕事をする姿に想いを馳せる。

 そして、そんな姿をこの目で見たいと、願うのだった。


 ◇


 宝飾品店で拡大鏡を注文した後、またゴンドラに乗って、今度は服飾店に向かった。

 大通りから少し外れた場所にあるその店をバルバート家は昔から贔屓にしている。
 店内に入ると温厚そうな老紳士の店主が出てきて、ダンテとロゼッタの姿を見るなり、顔を綻ばせる。

「ほうほう、ついにバルバートの坊ちゃんが子どもを連れてきてくれて嬉しいねぇ」

 店主はロゼッタの手の大きさを測りながら、幼い頃のダンテの話を聞かせてくれた。

 初めて来た日は父親と一緒だった。

 幼いダンテは、ようやく父親のように手袋をつけて絵画に触れられるのが嬉しくて、いつ出来上がるのか何度も聞いてきたという。

 やがて一人で買いに来るようになり、学校の帰りに立ち寄って買いに来ることもあったそうだ。

 店主はダンテが覚えていないようなことまでロゼッタに聞かせてくれた。

「こんな素敵なお嬢様が孫になったんですから、先代もさぞやお喜びになるでしょうね」

 計測を終えた店主は目を細めて彼女を見つめると、生地の見本を取りに店の奥へと消えていった。

「ロゼッタの手は小さいな」

 ダンテはロゼッタの掌に自分の掌を合わせる。
 小さいと言われると少しでも大きく見せたくなるようで、精一杯手を広げてみるが、それでも彼の半分もない。

 その様子を見て笑っているダンテを見ると、思わずムキになってしまう。

「笑わないでくださるかしら?」
「そんなに指を伸ばしたって変わらないぞ」
「しょうがないですわ、私はダンテよりも子どもですもの!」
「そうだな。お前はまだまだ子どもだから、これから何度も手袋を買い換えないといけねぇな」

 負け惜しみを言う少女の掌を、両手で優しく包んだ。

「手袋が小さくなったら、ここに買いにくるんだぞ」
「わかったわ」
「俺たちが扱う商品は、お客様とお客様を繋ぐ大切なものだから、絶対に素手で触るんじゃないぞ」
「気をつけるわ」
「いい子だ」

 ぽんぽんと頭を撫でられて、顔を見れば、優しく目を細めて見つめてくれている。
 くすぐったい気持ちになったロゼッタは先ほどまでの不機嫌はどこかに飛んでいってしまい、遠慮がちにダンテに寄り添う。

「ロゼッタ、お前にかけられた呪いは、俺が絶対に解いてやるからな」

 ダンテは彼女の気持ちに応えるように、肩に手を回して抱き寄せた。

 やがて店主が戻ってくると、持ってきた生地を確認して注文をした。
 自分の仕事道具を買ってもらったロゼッタはもう一度生地に視線を送り、完成を楽しみにして店を出る。 

(これからどうするのかしら?)

 買う予定のものは全て買った。
 もう帰るのかもしれないと、楽しかった買い物時間を名残惜しく思っていると、ダンテに抱き上げられる。

「ちょっと用事があるから付き合ってくれ」
「どこに行きますの?」
「着いてからのお楽しみだ」

 3人は店主に見送られる中、運河沿いにある工房街へと向かった。