『ギャラリー・バルバート』の第一保管室で、ロゼッタは鑑定士のトビアから今夜のオークションに出品される作品の話を聞いていた。

 トビアは栗色の癖っ毛の髪が特徴的な、線が細い男だ。銀縁の眼鏡をかけており、目元をくしゃりとさせて微笑む顔は優しく、ロゼッタはすぐに彼に懐いた。

「ロゼッタ嬢、この拡大鏡を使ってみてください」
「わあっ! 筆の跡が見えますわ!」
「ええ、この作家は筆遣いが独特なんで、僕たちはそれを見て本物かどうか判断してるんですよ」

 ロゼッタは拡大鏡を両手で丁寧に持ち、絵画の表面を目で追う。拡大鏡を手にしたのは初めてで、夢中になって映し出される絵肌を眺める。
 そんな姿は無邪気で可愛らしく、ダンテとトビアは微笑みながら見守った。

「支配人、そろそろロゼッタ嬢には拡大鏡と手袋が必要ですね」
「そうだな。今度買いに行こう」

 近頃、ダンテは頻繁にロゼッタを『ギャラリー・バルバート』へ連れて行き、従業人たちに会わせたり仕事の説明をしていた。
 特に従業員たちとの交流は大切にしており、1人1人と話をさせている。
 自分に何かあった時のことを考えてロゼッタと従業員たちを合わせているのだが、そのことはロゼッタには伏せている。

 その中でもトビアとはよく話しており、美術品の歴史や画材について教えてもらっている。

「本当はね、僕より支配人の方が詳しいんですよ」

 トビアはそう言うが、ダンテは「鑑定士のトビアの方が俺より断然詳しいだろ」と言って彼に任せるのだった。

 そんなこんなでトビアから作品を描いた画家の話を聞いていると、亜麻色の髪を靡かせた妖艶な女性が現れた。
 彼女は受付嬢のセレーネで、ダンテに来客を伝えに来たのだ。

「ロゼッタ、今から一緒にお客様に会いにいくぞ」
「わかったわ」

 オークションハウスでお客様に会うのは初めてだ。
 遠くから競りを見たことはあるが、仕入れや落札後のやり取りを見たことはないため、実際に顔を合わせたことはまだない。

(どんなお客様なのかしら?)

 心臓が大きく脈打つが、緊張に呑まれないよう、ぴんと背中を伸ばす。

「どなたですの?」
「蒐集家のソレチト伯爵で、骨董品に造詣が深い方だ」

 応接室に入ると、初老の男が座っていた。
 褐色の肌が白いシャツに映える、精悍な顔立ちの男だ。

 ロゼッタは緊張しながら彼の前に歩みを進めると、カテーシーをした。

「初めまして。ロゼッタ・バルバートですわ。お会いできて光栄です」

 少女の美しい所作に見惚れてしまったソレチト伯爵は、やや遅れて自己紹介をする。

「初めまして、花の妖精の君。私はコスタンツォ・ソレチトといいます」

 ソレチト伯爵はそう言って恭しくロゼッタの手を取ると甲にキスして、悪戯っぽく笑いかける。

 もともとしがない地方領だった領地を領民たちと一緒に名産品を作り出して名を馳せた商売人気質のこの伯爵は、相手の緊張を解く話術を心得ていた。
 彼のなつっこい笑顔を見て、ロゼッタもつられて強張った笑顔を解いてゆく。
 
「噂のロゼッタ嬢とお話ができるとは実についているな。初めての商談相手になれたと自慢しよう」

 ダンテがロゼッタを後継者にする話はすでに王都中に広まっている。
 蒐集家の間では、誰が一番にロゼッタと商談できるか競う者もいるという。
 屋敷にしまいこむほど大切な養女の初めての商談相手にするということは、ダンテが上顧客として認識している証拠だからだ。

 いつまでもソレチト伯爵がロゼッタの手を握っているのが気に食わなかったのか、ダンテはコホンと咳払いして、2人にソファに座るよう促した。
 ロゼッタを自分の膝の上に乗せようとしてつっぱねられているのを、ソレチト伯爵はニヤニヤとして眺めている。

「君の熱心な崇拝者たちが見たら気絶しそうだな」
「はは、冗談はよしてください」
「崇拝者ってなんですの?」
「ロゼッタは知らなくていい」

 これまで数多の女性と浮き名を流してきた男がたった1人の少女を溺愛している。その豹変っぷりに、伯爵はさらに笑みを強めた。

「いずれロゼッタ嬢もわかるよ」
「っ縁起でもないことを言わないでください」
「自分で撒いた種だろ」

 大人たちが話している内容が何一つとしてわからないロゼッタは小首を傾げた。
 ダンテは蒼い顔をしているけど、ソレチト伯爵はとっても楽しそうだ。尋ねてみても答えは教えてくれなくて、思わず口をへの字に曲げてみる。

「雑談はここまでにして、そろそろ本題に入ろうか」

 ロゼッタの表情に気づいたソレチト伯爵が話を切り替えてくれた。

「知り合いが手に入れた魔法絵画を出品したいと言っているんだ。見てくれないかい?」
「魔法絵画、ですか。呪術検査は受けてますか?」
「まだだね。いわくつきとしれたら売れないから二の足を踏んでいるよ」

 魔法絵画は魔力を込めて制作されている為、描かれた景色が動く作品や、保有している家を守ってくれる作品がある。
 その一方で呪いの類が付与されている場合もあり、取り扱いには細心の注意が必要だ。

「うちでは安全性を考慮して、魔法絵画は全て呪術検査証明書が必要です。ポルカーリ工房に紹介状を書きましょう。うちの紹介状があれば解呪の打診も可能です。ただし、解呪した場合に魔法が消えることがありますので了承いただく必要はございますが」

 呪われた美術品のせいで落札者が命を落とすようなことがあれば信用問題にまで発展する。その上、危険な作品と分かっていながら売りに出した場合、ハンマーを叩いて落札を決定した競売人に全責任が問われてしまうため、ダンテは従業員を守るためにも、呪術検査で呪いがかけられていないと証明できないものは出品できないようにしているのだ。

「ちなみに、誰の作品ですか?」
「ヴァスコ・ラ・トルレ。”リオーネ前衛派の天才”の下積み時代の作品だ」
「なるほど。あまり残されていない作品なだけに話題性は十分にありますね。ぜひともうちから出品させて欲しいものです」

 ダンテとソレチト伯爵はヴァスコの絵画の話に花を咲かせる。
 ロゼッタにもわかりやすいように教えてくれるから、聞いているのは楽しかった。ただ、絵画以上に気になることがあった。

(今日のダンテ、なんだか知らない人のように見えるわ)

 チラッと盗み見たダンテは上品な笑みを湛えてソレチト伯爵の話に耳を傾け、相槌を打っている。
 笑い方も、話し方も、ロゼッタたちに向けるものとは違う。

 見つめ過ぎていたようで、視線に気づいたダンテと目が合ってしまった。

「どうした?」
「な、何でもないですわ」
「ロゼッタ嬢、バルバート男爵は非常に博識だから、わからないことがあったらどんどん聞いた方がいいよ」
 
 ソレチト伯爵は相変わらず、2人のやり取りを見てにこにことしている。

「鑑定士も舌を巻くほどの目の持ち主だからね。蒐集家の中には、画商から絵を買う時に彼を呼ぶ人さえいるんだ」
「あれは反感を買うからやめて欲しいんですけどね。ただでさえオークションハウスと画商は敵対関係にありますのに」

 ダンテは苦笑した。

「ロゼッタ嬢、みんながバルバート男爵の跡継ぎに注目してるから頑張ってね」
「はい。ダンテを超える支配人になりますわ」

 はきはきと受けこたえるロゼッタを、ダンテはそっと抱きしめた。押し返してもびくともしなくて、それどころか頭にキスしてくる。

「ダンテ! 今は大切なお話の途中でしょう?!」

 思わずキッと睨み上げたが、端正な顔を破顔して見つめられるとそれ以上は何も言えない。
 助けを求めるようにソレチト伯爵に視線を送った。

「どうでしょう、うちの末の子が歳が近いんですけど、ロゼッタ嬢の未来の夫にいかがですか?」
「え、あのっ、どういうことですの?」

 援軍を求めたのに縁談が持ち上がってしまい、さらに慌ててしまう。
 しかも、後ろに控えているブルーノからは絶対零度の冷気が漂ってきており、事態は混乱を極めた。

(ブルーノはどうしてソレチト伯爵に怒ってるのかしら?)

 静かな殺気の理由がわからず、だだただ冷や汗が背を伝う。

「生憎ですが、この子は私の跡継ぎです。嫁には出さないし婿もいりません」
「うん、重症だね。ロゼッタ嬢の将来が思いやられるな」

 ソレチト伯爵が陽気に笑う一方で、ロゼッタは遠い目をした。
 先ほどまでの頼もしい姿はどこへ行ったのやら。いつもの調子になって呆れてしまう。

「そうそう、バルバート男爵に例の物を持ってきたよ」

 目尻の涙を拭いながらソレチト伯爵が鞄から何かを取り出した。

「ありがとうございます。しばらくお借りします」

 テーブルの上に置かれたのは古びた箱だ。
 ダンテは受け取るなりその箱を開けて、中身を確認した。中に入っているのは金色に輝く短剣で、柄には赤い宝石がはめ込まれている。

 複雑な意匠が凝らされている剣は美しく、ロゼッタはその意匠の1つ1つを目で追った。

「大切に扱ってくれよ」
「もちろんです」
「お前さん自身も、だぞ?」
「わかっていますよ」

 そんな意味深な会話をする2人を見て、思わず首を傾けた。

「出品する物ではありませんの?」
「そうだよ、これはバルバート男爵の個人的な頼みごとなのさ」

 蒐集品を借りる理由は思いつかなかった。
 聞いてみてもダンテは「仕事で使うんだ」と答えるだけで、それ以上は教えてくれない。

「ロゼッタ嬢、ぜひ今度は我が領地に遊びに来てください。もちろん、パパと一緒にね」

 最後の言葉はダンテに向かって言った。

「ええ、ぜひとも伺いたいですわ」

 黙り込むダンテの代わりにロゼッタが答えると、ソレチト伯爵は眉尻を下げた。