バルバート邸の執務室で、ダンテはソファに腰かけて明日の競りの目録を見ていた。すると、扉を数回叩く音が聞こえてくる。
「旦那様、お呼びでしょうか」
扉の向こうから聞こえてくるのはブルーノの声だ。
「ああ、入って来てくれ」
部屋に入ってきたブルーノに差し向かいの席に座るように促すと、相手は扉の傍から離れずに見つめてくる。
「……」
何を思って訴えかけてくるのかわかってしまい、ダンテは苦笑した。
恐らく彼は、ロゼッタの傍を離れるわけにはいかないと言いたいんだろう。
「リベリオの結界があるからロゼッタのことは心配しなくていい」
「……」
そんな言葉は気休めにもならないのはわかっている。なんせこの寡黙な護衛は、ロゼッタが黒霧の魔女に誘い出されてしまったのに強い負い目を感じているのだ。
(罰を与えてくれとか言いに来たな)
だからと言って、謹慎させるわけにはいかない。ロゼッタを黒霧の魔女から護るには必要不可欠な存在だ。
その他を考えてみたが、体罰をするつもりなんて毛頭なく、さんざん頭を悩ませた結果、減給で済ませることにしたが。
不服を覚えたブルーノから更に重い罰則を求められたが、それには応じていない。
(こいつはロゼッタの事となると人が変わるほど、大切にしてくれている)
あの日ほどブルーノが取り乱している姿を、ダンテは見たことがなかった。
ブルーノは、一生分くらい喋ったのではないかと思うくらいに何度もロゼッタを呼んで屋敷中をくまなく探し回っていたのだ。
「話はすぐに終わらせるからよ」
「……」
表情こそ変わらないが、戸惑っているのが伝わってくる。
彼の心の機微に気づけるようになったのはいつのことだっただろうか。
ふと、そんなことを考えてしまう。
(あの頃、ブルーノは俺の傍を離れようとしなかったな)
彼を仇討ちの仲間として連れて帰って間もない時のことだった。
ブルーノはピッタリとダンテにくっついて、離れようとしなかった。
兄弟のいないダンテはこの年下の少年にどう接したらいいのか分からなかったが、ローゼを失って悲しみに暮れる彼にとって、同じく彼女と縁のあるブルーノがただ黙って傍に居てくれるのはありがたかった。
その時は、離れようとしないのは、寂しさゆえだと思っていた。
彼はローゼと一緒にいた子どもで、母親のように慕っていた存在を急に奪われてしまったから拠り所が欲しいのかもしれないと考えていたが。
(あんなに小さかったくせに俺を守ろうとしていたんだから笑わせてくれるよな)
ブルーノが傍に居ようとするのは、ダンテを守るためだった。
これまで闇の世界に身を置いていた彼は、ただ面倒を見てもらうのは気が引けて、自らダンテの護衛をしていたのだ。
実際に、ダンテが騎士団に協力するのを良しとしない連中から差し向けられた刺客から守ってくれたのはブルーノだ。
(小さかったけど、段違いに強かった)
それを知ったエルヴィーラが手合わせをしたいと願い出てきて、ブルーノもそれを望んだから2人が戦っているのを見たことがある。
結果は引き分けだった。大人の、それも王国騎士団に所属する騎士と同等の強さだった。
ただの子どもではなかった。彼の生い立ちも聞いていて知っている。
どうやって、生き抜いてきたのかも。
ダンテはふうと息を吐いて、目の前の男を見る。
白銀の髪を頭の後ろで纏めたこの美しい男には、あの時のあどけなさなんて欠片も残っていない。
彼はもう、1人の立派な青年だ。
それに、何だって任せられる頼もしい存在である。
「……主と同じ席に座ることなど許されません」
「俺が許す。それとも、座るように命令した方がいいのか?」
片眉を上げて悪戯っぽく笑うダンテとは違い、ブルーノは苦虫を噛み潰した顔をしている。
それでもブルーノは頑なに座ろうとせず、結局はダンテが根負けして、「好きなように聞いてくれたらいい」と言った。
「ロゼッタのことを、話そうと思ってな。今に神殿や宮廷魔術師団が目の色を変えて追いかけてくるだろうからさ」
リベリオは内密にすると言ったが、それは確約されたものではない。あの狡猾な男は必要とわかればロゼッタを利用しようとするはずだ。
「誰がどう言おうと、ロゼッタは俺の後継者で、『ギャラリー・バルバート』の次期支配人だ。それを変えるつもりはない」
そう、たとえ何を言われようとも、後ろ指をさされようとも、彼女をバルバート家の主人にする。
彼女が当主になること。それが、この先も彼女と自分を結ぶものになるから。
たとえ、自分が死んだとしても。
それなのに、よもや彼女の力を目当てに近づいてくる連中なんかにくれてやるつもりは微塵もない。
「ブルーノ、ロゼッタを頼んだぞ」
「私の全てをかけてお護りします」
「それではダメだ。生きてあいつを守り抜け」
「……!」
思いがけない命令を言い渡されたブルーノは瞠目した。
命を賭すような任務で生き残れだなんて、そんな命令をされたことなど1度もなかった。
そのような任務――暗殺者として闇の世界にいた頃は、彼の命なんて使い捨ての道具くらいに思われていたのだから。
ダンテは自嘲気味に笑う。
「たとえ俺に何かあってもロゼッタが不自由なく過ごせるように、お前に支え続けていて欲しいんだ」
「なにを、仰っているんですか」
ダンテが命を落とすなど、あってはならない未来だ。
主人の身に危険が及ぶのであれば、護衛のするべきことは決まっている。
「私が、旦那様とお嬢様をお護りします」
「お前はロゼッタの護衛だから、あいつが生き残ることだけを考えろ。ブルーノ、何があっても俺を護ろうとするなよ」
いくら命令とはいえ、そう易々とは首肯できない話だ。
「旦那様、私はあなたに返しきれない恩があります。あなたは私を匿い、育ててくれたのみならず、王国随一の学校で教育も受けさせてくれました」
「そうだったな。なのにお前はさっさとあの学校を出てしまったな。もう少し青春を楽しんできても良かったのに、後悔しても知らねぇぞ」
ダンテの母校でもあるディルーナ王立魔法学園にブルーノを入学させると、彼は飛び級制度を使ってさっさと卒業してしまった。
勉強こそ嫌ではなかったが、やはり与えられるだけの環境には慣れておらず、居心地の悪さを覚えた彼は早く仕事に就きたかったのだ。
「で、わざわざうちの守衛になると言い出したから先生たちにめちゃくちゃ責められたんだぞ?」
「ちゃんと誤解は解きました」
ブルーノならもっと良い職につけると思っていた先生たちは、ダンテが彼に強要して守衛にさせようとしているのではないかと疑ってかかったのだ。
「あなたに恩を返しきれていないのに死なれるわけにはいきません。それに、お嬢様との約束を破るおつもりなんですか?」
「優先すべきことを優先するまでだ。俺にとってはそれがロゼッタの命なんだよ」
ダンテはソファに深々と身体を預け、天井を仰ぐ。
「それに今死ぬのも悪くないと思ってる。ロゼッタに見向きもされなくなる寂しさも知らないまま、いい思い出だけを冥土に持ってけるからな」
「……最低です」
「いくらでも言え」
何の取り繕いもない本心が口をついて出てくる。
目の前の主人は、ロゼッタが悲しむのをわかっているくせに、彼女の気持ちを独り占めしたまま消えようとしている。
彼が黒霧の魔女に殺されればロゼッタは一生、自責の念を抱いて生きることになるというのに。
いくら相手が恩人であろうと、それは許せるものではない。
「戯言は忘れてくれ。ロゼッタにはなんとかして生きていて欲しい。それが本心だ」
それにな、とダンテは付け加えた。
恐ろしい形相で自分を睨んでくるブルーノを見て、眉尻を下げる。
「お前が死ねばローゼに合わせる顔がないし、なにより、俺はお前にも生きててほしいんだよ。もしかしたらこれが、育ててきた親の気持ちって奴なのかもしれねぇな」
家族ではなく、友人でもない少年。
ただの、拾ってきた子どもだった。
仇討ちの仲間になって欲しいだなんて、本心ではなかった。
拾った理由は、彼がローゼを知っていたから。彼の中にあるローゼの記憶に触れたかったからに他ならない。
そんな彼と、ぎこちないやり取りを繰り返して、お互いを信用するようになっていった。
表面上は主人と雇われ人ではあるが、その他に名前のない関係が、彼らの間にはある。
とまあ、ダンテは1人で思い出に浸っていたのだが。
「私が旦那様の子どもという設定は無理があります。いったい、何歳で生まれた子どもなんですか?」
情緒なくバッサリと言い捨てられてしまい、ソファからずり落ちそうになった。
「お前もロゼッタと同じで、哲学より先にロマンを学ぶべきだったな」
もう用はないだろうと、自分の指示も仰がずに勝手に部屋を出ていこうとするブルーノの背中に向かって、憎まれ口を叩く。
すると、ブルーノは顔だけ振り向かせて。
「おこがましい話ですが、旦那様のことは兄のように思っております。きっと、私に兄がいたら旦那様のような人なのかもしれないと」
そう言い残して微笑んだ。
「旦那様、お呼びでしょうか」
扉の向こうから聞こえてくるのはブルーノの声だ。
「ああ、入って来てくれ」
部屋に入ってきたブルーノに差し向かいの席に座るように促すと、相手は扉の傍から離れずに見つめてくる。
「……」
何を思って訴えかけてくるのかわかってしまい、ダンテは苦笑した。
恐らく彼は、ロゼッタの傍を離れるわけにはいかないと言いたいんだろう。
「リベリオの結界があるからロゼッタのことは心配しなくていい」
「……」
そんな言葉は気休めにもならないのはわかっている。なんせこの寡黙な護衛は、ロゼッタが黒霧の魔女に誘い出されてしまったのに強い負い目を感じているのだ。
(罰を与えてくれとか言いに来たな)
だからと言って、謹慎させるわけにはいかない。ロゼッタを黒霧の魔女から護るには必要不可欠な存在だ。
その他を考えてみたが、体罰をするつもりなんて毛頭なく、さんざん頭を悩ませた結果、減給で済ませることにしたが。
不服を覚えたブルーノから更に重い罰則を求められたが、それには応じていない。
(こいつはロゼッタの事となると人が変わるほど、大切にしてくれている)
あの日ほどブルーノが取り乱している姿を、ダンテは見たことがなかった。
ブルーノは、一生分くらい喋ったのではないかと思うくらいに何度もロゼッタを呼んで屋敷中をくまなく探し回っていたのだ。
「話はすぐに終わらせるからよ」
「……」
表情こそ変わらないが、戸惑っているのが伝わってくる。
彼の心の機微に気づけるようになったのはいつのことだっただろうか。
ふと、そんなことを考えてしまう。
(あの頃、ブルーノは俺の傍を離れようとしなかったな)
彼を仇討ちの仲間として連れて帰って間もない時のことだった。
ブルーノはピッタリとダンテにくっついて、離れようとしなかった。
兄弟のいないダンテはこの年下の少年にどう接したらいいのか分からなかったが、ローゼを失って悲しみに暮れる彼にとって、同じく彼女と縁のあるブルーノがただ黙って傍に居てくれるのはありがたかった。
その時は、離れようとしないのは、寂しさゆえだと思っていた。
彼はローゼと一緒にいた子どもで、母親のように慕っていた存在を急に奪われてしまったから拠り所が欲しいのかもしれないと考えていたが。
(あんなに小さかったくせに俺を守ろうとしていたんだから笑わせてくれるよな)
ブルーノが傍に居ようとするのは、ダンテを守るためだった。
これまで闇の世界に身を置いていた彼は、ただ面倒を見てもらうのは気が引けて、自らダンテの護衛をしていたのだ。
実際に、ダンテが騎士団に協力するのを良しとしない連中から差し向けられた刺客から守ってくれたのはブルーノだ。
(小さかったけど、段違いに強かった)
それを知ったエルヴィーラが手合わせをしたいと願い出てきて、ブルーノもそれを望んだから2人が戦っているのを見たことがある。
結果は引き分けだった。大人の、それも王国騎士団に所属する騎士と同等の強さだった。
ただの子どもではなかった。彼の生い立ちも聞いていて知っている。
どうやって、生き抜いてきたのかも。
ダンテはふうと息を吐いて、目の前の男を見る。
白銀の髪を頭の後ろで纏めたこの美しい男には、あの時のあどけなさなんて欠片も残っていない。
彼はもう、1人の立派な青年だ。
それに、何だって任せられる頼もしい存在である。
「……主と同じ席に座ることなど許されません」
「俺が許す。それとも、座るように命令した方がいいのか?」
片眉を上げて悪戯っぽく笑うダンテとは違い、ブルーノは苦虫を噛み潰した顔をしている。
それでもブルーノは頑なに座ろうとせず、結局はダンテが根負けして、「好きなように聞いてくれたらいい」と言った。
「ロゼッタのことを、話そうと思ってな。今に神殿や宮廷魔術師団が目の色を変えて追いかけてくるだろうからさ」
リベリオは内密にすると言ったが、それは確約されたものではない。あの狡猾な男は必要とわかればロゼッタを利用しようとするはずだ。
「誰がどう言おうと、ロゼッタは俺の後継者で、『ギャラリー・バルバート』の次期支配人だ。それを変えるつもりはない」
そう、たとえ何を言われようとも、後ろ指をさされようとも、彼女をバルバート家の主人にする。
彼女が当主になること。それが、この先も彼女と自分を結ぶものになるから。
たとえ、自分が死んだとしても。
それなのに、よもや彼女の力を目当てに近づいてくる連中なんかにくれてやるつもりは微塵もない。
「ブルーノ、ロゼッタを頼んだぞ」
「私の全てをかけてお護りします」
「それではダメだ。生きてあいつを守り抜け」
「……!」
思いがけない命令を言い渡されたブルーノは瞠目した。
命を賭すような任務で生き残れだなんて、そんな命令をされたことなど1度もなかった。
そのような任務――暗殺者として闇の世界にいた頃は、彼の命なんて使い捨ての道具くらいに思われていたのだから。
ダンテは自嘲気味に笑う。
「たとえ俺に何かあってもロゼッタが不自由なく過ごせるように、お前に支え続けていて欲しいんだ」
「なにを、仰っているんですか」
ダンテが命を落とすなど、あってはならない未来だ。
主人の身に危険が及ぶのであれば、護衛のするべきことは決まっている。
「私が、旦那様とお嬢様をお護りします」
「お前はロゼッタの護衛だから、あいつが生き残ることだけを考えろ。ブルーノ、何があっても俺を護ろうとするなよ」
いくら命令とはいえ、そう易々とは首肯できない話だ。
「旦那様、私はあなたに返しきれない恩があります。あなたは私を匿い、育ててくれたのみならず、王国随一の学校で教育も受けさせてくれました」
「そうだったな。なのにお前はさっさとあの学校を出てしまったな。もう少し青春を楽しんできても良かったのに、後悔しても知らねぇぞ」
ダンテの母校でもあるディルーナ王立魔法学園にブルーノを入学させると、彼は飛び級制度を使ってさっさと卒業してしまった。
勉強こそ嫌ではなかったが、やはり与えられるだけの環境には慣れておらず、居心地の悪さを覚えた彼は早く仕事に就きたかったのだ。
「で、わざわざうちの守衛になると言い出したから先生たちにめちゃくちゃ責められたんだぞ?」
「ちゃんと誤解は解きました」
ブルーノならもっと良い職につけると思っていた先生たちは、ダンテが彼に強要して守衛にさせようとしているのではないかと疑ってかかったのだ。
「あなたに恩を返しきれていないのに死なれるわけにはいきません。それに、お嬢様との約束を破るおつもりなんですか?」
「優先すべきことを優先するまでだ。俺にとってはそれがロゼッタの命なんだよ」
ダンテはソファに深々と身体を預け、天井を仰ぐ。
「それに今死ぬのも悪くないと思ってる。ロゼッタに見向きもされなくなる寂しさも知らないまま、いい思い出だけを冥土に持ってけるからな」
「……最低です」
「いくらでも言え」
何の取り繕いもない本心が口をついて出てくる。
目の前の主人は、ロゼッタが悲しむのをわかっているくせに、彼女の気持ちを独り占めしたまま消えようとしている。
彼が黒霧の魔女に殺されればロゼッタは一生、自責の念を抱いて生きることになるというのに。
いくら相手が恩人であろうと、それは許せるものではない。
「戯言は忘れてくれ。ロゼッタにはなんとかして生きていて欲しい。それが本心だ」
それにな、とダンテは付け加えた。
恐ろしい形相で自分を睨んでくるブルーノを見て、眉尻を下げる。
「お前が死ねばローゼに合わせる顔がないし、なにより、俺はお前にも生きててほしいんだよ。もしかしたらこれが、育ててきた親の気持ちって奴なのかもしれねぇな」
家族ではなく、友人でもない少年。
ただの、拾ってきた子どもだった。
仇討ちの仲間になって欲しいだなんて、本心ではなかった。
拾った理由は、彼がローゼを知っていたから。彼の中にあるローゼの記憶に触れたかったからに他ならない。
そんな彼と、ぎこちないやり取りを繰り返して、お互いを信用するようになっていった。
表面上は主人と雇われ人ではあるが、その他に名前のない関係が、彼らの間にはある。
とまあ、ダンテは1人で思い出に浸っていたのだが。
「私が旦那様の子どもという設定は無理があります。いったい、何歳で生まれた子どもなんですか?」
情緒なくバッサリと言い捨てられてしまい、ソファからずり落ちそうになった。
「お前もロゼッタと同じで、哲学より先にロマンを学ぶべきだったな」
もう用はないだろうと、自分の指示も仰がずに勝手に部屋を出ていこうとするブルーノの背中に向かって、憎まれ口を叩く。
すると、ブルーノは顔だけ振り向かせて。
「おこがましい話ですが、旦那様のことは兄のように思っております。きっと、私に兄がいたら旦那様のような人なのかもしれないと」
そう言い残して微笑んだ。