「ダンテが知ったらきっと反対しますわ」
「わかってるよ。だからお兄さんにまかせなさい」

 リベリオはそう言うと片目を瞑ってみせた。
 いったいどうするつもりなのだろうかと思いつつもロゼッタがこくりと頷くと、リベリオはへらりと笑いながらダンテに話しかけた。

「ダンテ、少し話があるから応接室《ドローイングルーム》を借りれないかい? ロゼッタ嬢も一緒にね」
「まったく、好き勝手言いやがって」

 ぶつぶつと文句を溢しながらもダンテはリベリオを応接室《ドローイングルーム》に案内した。
 カストにお茶を入れるように言いつけて、ソファにどっかりと座る。

「で? どんな話なんだ?」
「ロゼッタ嬢の魔法のことだよ。二属性目があるか見てみようと思ってね」
「どうしてそれを調べようとする?」

 あからさまに顔を顰めた彼から苛立ちが伝わってくる。

「わ、わたくしがお願いしましたの」

 ロゼッタは慌ててリベリオを庇った。自分が言い出したことのせいで彼がダンテに怒られるのは見たくない。

「あちゃー。お兄さんに任せなさいと言ったでしょう?」

 リベリオは眉尻を下げてロゼッタを宥めた。

「ロゼッタ嬢は君を黒霧の魔女から守りたくて魔法を教えて欲しいと言いにきてくれたんだよ」
「年端もいかない子どもを戦わせようだって? ふざけるな!」

 ダンテが怒鳴ったのは初めてのことで、ロゼッタは思わず肩を跳ね上げてしまった。
 彼女のそんな様子を見て我に返ったダンテは、口にしようとしていた言葉をグッと押し留める。声に出す代わりに、両手で目を覆って投げやりに溜息をついた。

「ロゼッタ、どうしてそんなお願いをした?」
「ダンテに生きていて欲しいからですわ」
「……俺は頼りないのか?」
「そんなことを言っているんじゃないですわ! ダンテが心配ですの。わたくし、ダンテともっと一緒にいたいですもの! だけどダンテは、死ぬのが怖くなさそうですもの!」

 ずっとそう思っていた。
 ダンテはロゼッタが死ぬことを恐れていても、自分が死ぬことは全く恐れていなくて。むしろ進んで命を差し出そうとしているようにも見えた。
 今朝話してくれた言葉を信じたいけれど、もし自分に何かあった時、彼は間違いなく己を犠牲にして守ろうとしてくれるはずだ。

 ――『……じゃあ、俺を呪い殺してみろ。どんな最期を呼んでくれるのか見ものじゃねぇか』

 初めて会った日にそう言ったように。

「ダンテ、君はロゼッタ嬢を守りたいあまりに彼女の気持ちを見落としてないかい? 彼女はこの先も君と一緒にいたいんだよ? たとえ黒霧の魔女の脅威がなくなった世界で生きて行くことになったって、君を失ったまま生きて行くことが幸せではないだろう?」
「……」
「置いて行かれる者の気持ちは、知っているはずだ」

 ダンテは拳を握りしめた。
 両親を失った報せを受けた時のことを、最愛のローゼが変わり果てた姿で見つかった時のことを、1日たりとも忘れたことはない。

「ああ、嫌というほどわかっているよ」

 彼が見せる、悔しそうで、悲しそうで、痛々しい姿に、ロゼッタは胸が苦しくなった。

「それに、やってみないとロゼッタ嬢にその適性があるかはわかんないんだしさ」

 リベリオはロゼッタの両手を包み込み、手を組ませる。

「大切な人を想像して。その人との良い思い出を浮かべて、強く念じてみて。必ず守りたい、と」

 ロゼッタは手を胸の前に持って来て、ぎゅっと目を閉じた。
 ダンテとブルーノの顔を思い浮かべる。続いてナナやラヴィにカストといった使用人たち、そしてエルヴィーラやジラルドの顔も浮かんでくる。

 誰一人として、失いたくない人たち。
 彼らは温かく迎えてくれたというのに、自分のせいで巻き込まれてほしくない。

(ダンテは、初めはとっても怖かったけど……)

 ダンテが初めて謝ってきた日のことを、寝ている間に彼が寝室まで運んでくれた日のことを、思い出す。

(それでも、私を大切にしてくれているってわかったから、嫌いにはならなかった。ダンテはあの時も今も、ずっと私のことを守ってくれているんだもの)

 オークションハウス『黒霧の魔女の家』で助け出してくれた時のことは今でも覚えている。
 彼がステージまで来て助け出してくれた時、どれほどホッとしただろうか。
 彼はまさに命の恩人で、英雄で、大切な人だ。

(みんなを守りたい。ダンテに、死んでほしくない)

 きゅっと拳をさらに固く結ぶ。

「私に続いて言ってごらん。”光よ、闇を祓いたまえ”、と」
「”光よ、闇を祓いたまえ”……!」

 リベリオに倣って呪文を口にすると、ロゼッタの握った手の間から光が溢れ出した。
 温かな光が滲むように広がってゆき、ロゼッタたちを覆う。

「ロゼッ、タ」

 声がする方を振り向けば、目を見開いたダンテが、絶望したような表情で自分を見ている。

「まさか本当に二属性目の、それも聖属性の魔力が宿っているだなんて、そうそうないと思っていたんだけどね」

 リベリオは淡々と言うが、その表情は苦虫を噛み潰したようで。
 2人の表情を見ていると、なんだか悪いことをしてしまったような気分になった。
 光が収まると、ロゼッタは静かに俯く。

「……」
「ブルーノ、」

 ブルーノが彼女の背にそっと手を添えた。
 じんわりと伝わってくる彼の掌の温かさに助けられて、顔を上げる。

「私もお嬢様が黒霧の魔女と戦うことは望みませんが、相手は何をしてくるかわかりません。ですので、身を守る手段を得られたのは良いことだと思います」

 抑揚のない声だが、自分を気遣ってくれているのがわかる。
 自分を見つめてくれる空色の瞳は優しくて、気を取り直した彼女はぴんと背筋を伸ばした。

「そう、か。ロゼッタは二属性を持っているのか」

 ダンテはよろめきながら立ち上がると、ロゼッタの前に来てしゃがんだ。

「ダンテ……」
「それに、聖属性の魔力を持っていた」

 彼はそっと両手でロゼッタの手を掬う。

「そんな顔をするな。すごいことなんだぞ」

 浮かない顔をしたロゼッタを見て苦笑した。
 自分が彼女にそんな顔をさせたのはわかっているが、どうしても素直には喜べなくて、すぐに目を伏せてしまう。

「お前を守る力があるのは嬉しいよ。だけどな、嬉しいけど、お前が遠くに行ってしまいそうで怖いんだ」
「遠くに?」

 どうして魔法が使えるとダンテから離れてしまうのか分からず、ロゼッタはキョトンと首を傾げる。

「ロゼッタ嬢、覚えておいてね。この魔法を使う時、あなたの人生が変わるということを。もしかすると、ダンテの元にはいられなくなるかもしれないんだよ」

 そんな彼女の頭を撫でながら、リベリオが代わりに答えてくれた。

「どういうことですの?」
「この力を使えるということは、あなたは神殿や王国魔術師団に迎えられる可能性があるんだ。みんな、その力が欲しくてね」

 まさかそんなことになるとは思ってもみなかった。
 ダンテと一緒にいるために手にした力であるのに、その力を使えば結果として彼と離れ離れになってしまうだなんて、あんまりだ。

「わたくしは結局、ダンテたちの元を離れなければいけないんですのね」

 失意のあまり声が震えるロゼッタを、ダンテは黙って抱きしめた。

 彼らの様子を見ていたリベリオは、小さく溜息をついた。

(運命はなんて残酷なんだろう。ダンテから奪うばかりで、なにも希望を残そうとしない)

 しかし、そのきっかけを作ってしまったのは自分だ。
 黒霧の魔女による悲劇を断ち切りたい思いから魔が差してしまって、ロゼッタの中にある二属性目を開花させてしまったのだから。

 まさか彼女が二属性目を持ち、それも聖属性の魔力を持っているだなんて、偶然にしてはあまりにもうますぎる話で、未だに自分の目を信じられなかった。
 どちらもそうそう持っているものではないというのに。

(さて、どうしたものかな)

 そう思いつつも、彼の心は決まっていた。司祭としての仕事を優先させてしまったツケは払うつもりだ。

「ま、これは神殿内で行われたものではないし? 僕たち以外は知らないからいかようにもなる。神殿に協力してくれるなら僕は黙っていよう」

 幸いにも、この部屋に結界を張っておいたから他の司祭たちはロゼッタの魔法に気づかない。木を隠すなら森の中。彼らには自分の魔法に意識を向けさせていた。

 ふふん、と得意げな顔をしているリベリオを、ダンテは冷たい視線で射抜いた。

「やっぱりお前もあの宰相の息子だな。腹芸が得意なくせに人畜無害な顔をしやがって、タチが悪いのにもほどがあるぞ」

 リベリオの父はディルーナ王国の影の王とも名高い宰相だ。
 次男のリベリオが聖属性の魔力を持っているのをいいことに神殿に送って司祭にしたのは、神殿内部の反乱分子を洗い出して王室の脅威を削ぐためである。

「褒め言葉をありがとう。欲を言うなら、もっと捻りをきかせて欲しいけどね」

 そう言ってわざとらしく肩を竦めて見せると、美しい司祭は蜂蜜のような金色の髪を靡かせながら部屋を後にした。
 大きな秘密を、胸の内に隠して。