ロゼッタがダンテを問い質していた時分のこと、紫紺の夜空を映す水路を数台のゴンドラが進み、神殿を目指していた。
 船体にはディルーナ王国騎士団の紋章が描かれており、剣に尾を絡みつけているドラゴンの金色の瞳が暗闇に睨みをきかせている。

 ゴンドラたちが船着き場に停泊すると、エルヴィーラとその部下の騎士たちが降りた。彼らは棺にも見えるような木箱を運び下ろす。

 彼らの前に、白練りの装束を身に纏う司祭たちが姿を現わした。船着き場から神殿まで伸びる長い階段を降りてきたのだ。

「お待ちしておりました。黒霧の魔女に身体を奪われていたのはこの者ですか?」

 司祭たちの先頭に立って騎士たちを迎えたのは、リベリオだ。
 手を胸の前に組んで粛々と挨拶をすると、その顔を上げた。ダンテたちに見せるような人懐っこい笑顔はそこにない。かしこまっており、いかにも司祭らしい顔つきだ。

「はい。連絡した通り、本日の昼に身柄を拘束しました」

 エルヴィーラが頷いて見せると、騎士のうちの1人が木箱の蓋を開ける。
 中に入っているのは、アンドレイニ公爵夫人だ。蒼ざめた顔をしており、苦しそうに呻いている。

「バルバート男爵家のロゼッタ嬢を誘い出して殺そうとしていたんですよ」
「ロゼッタ嬢を……」

 オークションハウスで出会った少女の顔が脳裏を過ったリベリオは、眉根を寄せた。
 友人が過保護に過保護を重ねて守っている少女だ。誘い出すだなんて、並大抵のことではできないようなその少女を誘い出したということは、彼女のすぐ近くまで潜り込んでいたことが窺える。

「その手にかけるまで身の回りの人間を1人ずつ殺していくとロゼッタ嬢に言っていたようです。負い目を感じたロゼッタ嬢は家はバルバート男爵の元を離れようとしています」
「身の回りの人間を殺していく……そうやって被害者たちを精神的に追い詰めてきたんですね」

 エルヴィーラの報告を聞いて、さらに苦々しい表情になる。
 リベリオは、騎士たちを神殿内に案内するよう部下に指示すると、1人で満月が影を落とす水平線を眺めて、溜息をついた。

「ロゼッタ嬢、私はあなたが生まれるずっと前から――あなたに会う日を待っていました。きっと守って見せると、この先視の力で救いたいと思ってあの日を迎えたのです」

 初めて彼女の存在を知ったのは、学生時代にダンテの瞳を見た時。
 映し出された彼の未来の中で、彼女は泣いていたのだ。

(あのお方と似ているだなんて、なんという偶然なんだろうか)

 未来の中で見た少女と王女のジルダの顔立ちが似ていてひどく驚かされたのを覚えている。
 公爵家の令息であるリベリオは王族とは幼い頃から交流があり、ジルダとも一緒に遊ぶことが多かった。その幼い頃のジルダと、友人の未来の中に現れた謎の少女ロゼッタの容姿は、とてもよく似ているのだ。まるで双子の姉妹だと言っても疑わない程に。

 このジルダに似た少女とダンテの身に何が起こるのだろうか。
 その何かは、良いことであって欲しかった。ダンテは大切な親友なのだから。

 しかし無情にも、先視で見た友人は、殺されていた。

(ロゼッタ嬢、君は一体、何者なんだ?)

 リベリオにとって、ロゼッタは友人に訪れる悲劇の鍵となる少女だ。それに、ジルダにも繋がりがあるような気がしてならない。
 友人を悲劇から救うために、そして、自身が抱いた疑念を解き明かすために、司祭の仕事の傍ら、珊瑚色の瞳の少女たちについて調べてきた。

 調べていくにつれて、分かったことがある。
 珊瑚色の瞳を持つ少女たちは家族や友人を失っている者が多かった。彼女たちは思い悩み、そして1人になっていたところ殺されていたのだと、証言や記録が残っていたのだ。

「ジルダ殿下、あなたもあの魔女に追いつめられて王宮を出て行ったんですね。あの日お止めできなかったことを、どれほど後悔したことか……」

 あの日、忘れもしない夜のこと。
 ジルダが王宮から姿を消した夜、リベリオは彼女に会っていた。


 ◇


 それは今日と同じ、水面に月明かりが浮かぶ穏やかな夜のことだった。

 礼拝堂で祈りを捧げていると、カタカタと風が窓を叩く音が聞こえてくる。振り返れば、波打つ白金色の髪を靡かせた女性が立っていた。

 彼女の正体にすぐに気づいたリベリオは、胸の前に手を組んで礼をとる。

「ジルダ殿下、夜中に出歩いてはいけませんよ」
「お願いがあるの。リベリオ様は先視の力があるんでしょう? 私の未来を見て欲しいの」

 そう頼んでくる彼女の表情はひっ迫していた。
 本来ならすぐに聖騎士を呼んで王宮に送り届けるべきだが、思い悩んでいる彼女を放っておくことができず話を聞くことにした彼は、その珊瑚色の瞳を見る。

「……どこかの教会の前で、赤い髪の赤子を抱いています」

 彼が視た未来では、ジルダは泣きながら子どもをそこに置いて立ち去っていた。
 王都でないのは確かだ。地方領にある教会のようで、周りには教会以外の建物はない。

「殿下、もしやお腹に御子がいらっしゃるのですか? 結婚前だというのに悪い子ですね」
「何を想像しているのよ変態! そんなことするわけないじゃない!」

 ジルダの頬がさっと赤く染まった。
 その初々しい反応を見る限りだと、どうやらそのような過ちは犯していないらしい。
 妹のように思っている彼女が一線を超えていなかったことに胸を撫でおろす。

「その先の未来はどうなっているか見てくれないかしら?」
「お伝えしたらちゃんと王宮に帰ってくださいね?」

 小さな子どもを宥めるように言いながら彼女の瞳を見る。すると、暗い夜の森が視えた。
 走って逃げるジルダがいて、その背後には栗色の髪の女が不気味に微笑みながら追いかけている。
 これが未来と信じたくなかった。ただ悪夢を見てしまったのだと、そう思いたくなるほどの不穏な状況で。

(どう、なっているんだ?)

 リベリオの顔からみるみるうちに血の気がひいていった。そのまま彼女の最期を見てしまい、口元に手を当てる。

「その様子だと、()()()私は死んでしまうのね」
「思い当たることがあるんですね? すぐに陛下に知らせて警備を強化しましょう」

 ジルダは力なく首を横に振った。

「……ダメよ。相手が特定できないし、王宮に深く潜り込んでるわ。私があそこにいればいつかお父様やお兄様が殺されてしまうのがわかるの。得体の知れない何かが私の大切なものを奪っていくのよ。素敵なお話を作って聞かせてくれていたカレンや、護衛してくれていたブルーノは、私のせいで殺されてしまって……」

 珊瑚色の瞳には涙が浮かぶ。
 リベリオはローゼの背中にそっと手を添えた。

 彼女の身の回りで起こった悲劇については彼女の兄で王太子のレオナルドから聞いていた。
 ジルダの専属メイドが3人と侍女が2人、そして、彼女の傍を片時も離れようとしなかった飼い犬のブルーノが、何者かに殺されてしまったのだ。

 1人、また1人と殺されていくのを、近衛騎士たちは防ぐことができず、ジルダは塞ぎこむ一方だった。

「私が珊瑚色の瞳を持っているせいで殺されたのよ。私が出ていけば誰も犠牲にならないわ」
「あなたは王国の宝です。どうか犠牲の道を選ばないでくださいませ」

 ジルダは力なく首を横に振った。

「王国の真の宝は民よ。王や王太子が殺されて混乱が起きれば彼らの安全が脅かされるわ」

 声こそ震えているがその決意は固く、凛とした表情でリベリオを見つめ返す。
 なによりも民のことを考えて生きていく。王女として生まれて育てられてきた彼女の意識に浸透しきっている考えだ。
 しかしだからと言って見過ごすわけにはいかない。この意固地な妹分をどう説得しようものかと、すっかり弱ってしまったリベリオは眉尻を下げる。

「これ以上の犠牲を出さないためにも、私は死ぬべきなのよ。……もう、大切な人が殺されていくのを見てられないの」
「あなた1人が苦しみを背負う必要はありません。聖騎士たちに送らせますので王宮に帰りましょう」

 ジルダは頭を振って、リベリオの肩を押して彼から離れる。

「ダメよ。まだやらなきゃいけないことがあるの。あの人に、お別れの挨拶をしに行かないといけないわ」
「ジルダ殿下、ご自分を犠牲にすることばかり考えないでください」
「耐えられないの。メイドも侍女もみんな怯えながら毎日私の世話をしてくれるのよ? 次は自分が死ぬかもしれないって、そう言って泣いているのを聞いてしまったわ。誰も殺されたくないの。終わりにしたいのよ」

 ジルダが詠唱すると、神殿の中を風が吹き荒れる。咄嗟に目を瞑ったリベリオが再び目を開けると彼女の姿はなく、見上げれば窓枠に足をかけてこちらを見ている。

「ジルダ殿下! 戻ってきてください!」
「リベリオ様、どうかこのことは夢の中の出来事だと思って忘れて下さい」

 そう言い残すと、彼女は軽やかに飛び降りて、夜の闇の中へと消えていった。

「殿下、なぜあなた1人で背負おうとするのですか……」

 聖騎士と王国騎士団を呼んで探させたが、その後、ジルダを見た者はいなかった。


 ◇


「シルヴェストリ大司祭、ご協力ありがとうございました」

 アンドレイニ公爵夫人に残る闇の魔術を祓い終えたリベリオに、エルヴィーラは礼を言う。

「次はバルバート邸の結界ですね。明日にでも向かいましょう」
「お願いいたします」

 エルヴィーラは騎士式の礼をとると、部下たちを引き連れてゴンドラに乗り込み、教会を後にした。
 見送ったリベリオは、ひとりで聖堂に向かう。
 女神が少女にガラディアソスを託す様子が描かれたステンドグラスを見上げて、金色に輝く瞳を揺らした。

「女神様、いったいどうして私にこの力をくださったのですか? 視るだけで救うことのできないもどかしさで、息が、詰まりそうです」

 胸の前に手を組んで女神に祈る。
 燭台で揺れる蝋燭の灯りが彼の蜂蜜色の髪を濡らした。

「ダンテやロゼッタ嬢は、先視の通りにはさせません。必ず、変えてみせます」

 カタカタと風が吹いて、蝋燭の火が揺れる。
 その音はジルダが使う風魔法を思い出させるようで、リベリオは頭を上げて、あの日、ジルダが出て行った窓の方を見た。