リベリオに縋りつかれて頬をひくつかせているロゼッタを見て、ダンテは部屋の中で起こった事態を察した。
 ロゼッタがつんけんとした言葉をお見舞いしたところ、この変態司祭はご機嫌になってしまったんだろう。
 学園時代の経験からそう予想したダンテは、ロゼッタをリベリオから引き剥がして抱き上げる。

「わざわざ2人きりになるだなんてどういうつもりだ?」
「だって、こうでもしないとダンテが割り込んできてロゼッタ嬢とお話しさせてくれないだろう?」
「当たり前だ。変態に近づけさせてたまるものか」

 いつもならダンテに抱っこされると嫌そうな顔をするロゼッタだが、今日はホッとした表情を浮かべた。
 リベリオという未知なる生き物に絡まれたのがよほど怖かったようだ。

「で、何を話してたんだ?」
「君たちの未来についてさ」
「先視か……。女神から与えられた稀有な力を使ってまで何をしようとしている?」
「友の力になりたいだけだよ?」
「うさんくせぇな」

 相手はこの国で王族に次ぐ地位を得た大司祭だというのに、ダンテは躊躇うことなく胡乱な表情を向ける。対して、そんな対応を取られてもリベリオは褒めちぎられた大型犬のように嬉しそうに彼の周りをうろうろとする。

(やっぱりこの人、変ね)

 悪い人ではなさそうだが、いかんせん彼女の想定外の行動ばかりとってくる。
 助けを求めてダンテにしがみつき、ピッタリと身を寄せた。

「気が強いくせにすっかり大人しくなっちまったな。よほどこのおじさんが怖かったらしい」
()()()()ね」
「ロゼッタ、一体何をされたんだ?」
「……」
 
 ロゼッタは返事ができないくらい疲れ切っていた。
 生まれて初めて魔力を消費した身体に眠気を誘われており、ダンテの胸に頭をもたれさせてそのまま眠ってしまう。
 力が抜けた彼女を落としてしまわないように、ダンテはゆっくりとソファに座る。リベリオも差し向かいのソファに腰掛けた。

 目の前に座る友、ダンテが養女のロゼッタに向ける眼差しはこの上なく優しい。彼女の柔らかな髪を梳く手つきからも並々ならぬ愛情が伝わってくる。

 花の顔の男爵に夢中な王都の女性たちがこの姿を見たらどうなってしまうことだろうか。
 想像して、リベリオは首を横に振る。
 きっと、彼が養女を迎えた日以上に街中は殺気だった女性や打つひしがれて泣いてしまう女性で大混乱するだろう。

 大司祭は手を胸の前にして組むと、平穏を求めて女神様に祈った。

「君の可愛い娘もまた、黒霧の魔女に追いかけられているとロランディ侯爵夫人から聞いたよ」
「ああ、珊瑚色の瞳のせいで女神の秘宝を持っていると思われている」

 手にすれば何でも願いが叶うと言うことしか知らない、実在するかどうかもわからない宝。
 今となってはダンテと深い因縁がある存在だ。
 それさえなければ愛する者は殺されなかったが、それがなければこの少女とは出会えなかっただろう。

 ロゼッタを黒霧の魔女から守るためにも女神の秘宝の情報を掴みたいが、噂以上の情報を持っている者が見つからない。『ギャラリー・バルバート』お抱えの鑑定士の伝手を使ってみても、その宝具に明るい人物はまだ現れていないのだ。

「女神の秘宝について教えてくれ。司祭なら詳しいだろ?」
「手にしたら『ギャラリー・バルバート』で売り捌くつもりなのかい?」
「災いの火種なんて傍にも置きたくねぇよ。俺はただロゼッタを守りたい」
「なるほどねぇ~」

 リベリオは首をめぐらして聖騎士たちに視線を送る。彼らは小さく頷いてから応接室を出て行った。
 パタンと扉が閉まる音がすると、始終にこやかな微笑みを讃えていたリベリオは神妙な顔で居住まいをただす。これまでに見たことがない、大司祭としての表情が現れると彼が纏う空気は一変した。

 泰然と構えるその姿を前にして、ダンテは思わず唾を飲む。

「噂は事実でね、女神の秘宝の正体はガラティアソスという名の杖さ。神殿のステンドグラスで女神様が持っているのを見たことがあるだろう?」

 王都の北部の高台にある神殿の中には聖典の一場面を描いたステンドグラスが窓枠に嵌められている。
 女神は闇の力に街が覆われた時、ある少女にガラディアソスを託し、闇を消すように言った。
 ガラディアソスは大人の男性よりも背が高く金色に輝く杖で、その先端には珊瑚色の水晶がついている。その水晶の中に女神の力が込められており、少女が使った後は杖は光となって消えていったと聖典には記されている。
 消えた杖であるため、ガラディアソスは伝説上の宝とされている。

「稀にその杖を宿した者が生まれてね、神殿は大司祭たちの神聖力を頼りにその人物を探し出して聖女として保護している」
「その聖女は珊瑚色の瞳を持っているのか?」
「そうさ、例外なく”珊瑚色の瞳を持つ少女”が持っているんだよ」

 リベリオの視線はダンテの腕の中にいるロゼッタに注がれる。蜂蜜のような金色の瞳は彼女の小さな手のひらを見つめると、微かに揺れた。
 この幼い少女が闇オークション会場に連れていかれて経験したことを思うと胸が痛むのだ。

「神殿はこのことを内密にしていたのに、黒霧の魔女が噂にして流してしまった。最初の犠牲者が出た時から神殿はずっと彼女を追っている」
「黒霧の魔女は神殿も相手取っていたのか」
「ああ、魔女の正体はルドヴィカという名の女性でね、100年以上も前から禁術で魂を他人の身体に移して生きながらえているんだよ」

 そう言って傍に置いてあった鞄から取り出したのは、一冊の革張りの本。簡素な装飾が施されたその本にリベリオが指先を向けて呪文を唱えると、ガチャリと音を立てて本についていた留め具が外れ落ちた。

「彼女は若さと永遠の命に固執していて、ガラディアソスに目をつける前には若い女性を殺してその血で若返りの禁術を使っていたらしい」
「随分と闇が深い魔女だな」

 リベリオが本のページをめくると、ルドヴィカについての記録が綴られている。これまでに司祭たちや聖騎士団が彼女を追って掴んだ情報だった。

 ある時は商人、またある時は貴族令嬢、またある時は修道女。
 標的に近づくためには手段を選ばず、なりすましをしては珊瑚色の瞳を持つ少女たちを襲う機会を窺っていたのが見て取れる。

「女神の秘宝は本当に身体の中にあるのか? 随分と大きな杖だろ?」
「いや、本当は心の中にあるとされているんだ」
「……それなら犠牲者たちは殺される必要なんてなかったはずだ!」

 悔しそうに吐き捨てるダンテの脳裏にはローゼの顔が浮かぶ。
 狂おしいほど愛している人。
 捕まえられたと思ったのに自分の手の内からすり抜けて、追いかけてみれば無残な姿で彼を待っていた美しい怪盗。

 あれからもう数年も経っているというのに、彼女のことを考えると心の中はドス黒い気持ちで溢れそうになる。
 自分の心を奪って消えた彼女への恨みと、そんな彼女を殺した犯人への憎しみが止まない。
 ローゼが殺される夢のせいで眠れない日々が続いき、悪夢から逃げるように数々の女性たちの元を訪れたが、それでも解放されなかった。
 そんな憎しみや苦しさに耐えられたのは、皮肉にも黒霧の魔女への仇討ちが彼を突き動かしていたから。

 ダンテはロゼッタを抱きしめる腕の力を強めた。
 苦しむ彼を唯一救い出せたのはこの少女だけ。彼女と出会ってからは悪夢を見なくなった。

「ルドヴィカはその事実までは知らなかったんだろうね……いずれにせよ、我々のせいで犠牲者が出てしまった。だから私がこの問題を片付けるつもりだ」

 リベリオは苦々しくそう言うと、ダンテに右手を差し出す。

「女神の秘宝の悲劇を助長させている黒霧の魔女を倒すのであれば、神殿は君に協力するよ。それが私たちに残された罪滅ぼしさ」
「お前に礼を言うのは癪だが、感謝する。よろしく頼んだ」

 女神の秘宝や黒霧の魔女の情報はもちろん、神聖な力を持つ聖職者たちの協力があるのは心強い。
 ダンテは片腕でロゼッタを支えながらリベリオの手を握り返した。

「次期神殿長は大変だな」
「ふふ、困難な状況こそ燃えるではないか!」
「……お前はその打たれ好きな性格で得をしてると思うよ」

 家名を聞けば誰もが畏まるような公爵家の令息であるのに、つくづく変わった人間だと思う。

 ダンテは自分がリベリオに冷たい態度をとっているのは自覚している。
 初めは拒絶してそんな態度だったのだが、気づけば彼と話すときのお決まりのようになっていた。相手はその方が気兼ねなく話せるようだから。

 この変わった友人との出会いは最悪だった。

 同級生たちとの悪ふざけで、リベリオが女装すればダンテを騙せるのか賭けをしていたのだ。
 ダンテはみごと女性と勘違いして、告白してきたリベリオに甘い言葉を贈っていたところ同級生たちから種明かしをされてしまい、怒ってリベリオを罵ってしまった。するとなぜかそれ以来、罵られた相手は構ってもらいたがってダンテに纏わりつくようになったのだ。

「ロゼッタ嬢、いずれまた会いに来ますからね。どうか私を完膚なきまで打ちのめすような素敵な言葉をかけてくださいね」
「変態は二度とロゼッタの前に現れるな」

 眠っているロゼッタに優しく声を掛けるリベリオだが、その内容はとうてい少女に聞かせるべきものではない。
 なんてことを言ってくれているんだと言わんばかりにダンテが怜悧な目で睨むが、相手は上機嫌だ。
 先ほどまでの威厳はどこにいったのやら、にこにこと抜けた笑顔を浮かべている。

「花の妖精の君に加護があらんことを」

 リベリオがロゼッタの頬にキスすると、ダンテはポケットからハンカチを取り出して拭う。
 あまりにも露骨な態度だが、美貌の司祭は全く不快な思いはしていないらしい。クスクスと楽しそうに笑っている。

「そうそう、危ないから怪盗には近づかないようにね?」
「怪盗?」

 ダンテは怪訝そうな顔で聞き返す。
 その言葉を聞いて思い浮かぶのは、ローゼの顔。しかし彼女はもうこの世にはいない。どれだけ会いたいと切に願っても。
 今まで会った怪盗といえば彼女くらいだ。

「何かされる前にとっ捕まえてやるよ」
「君とロゼッタ嬢のためを想って言ってるんだよ。どうか近づかないでくれ」

 軽口をたたくダンテに、リベリオは真剣なまなざしを向けた。ダンテの未来を映している金色の瞳は悲しそうに細められる。

「君は、その怪盗に殺される」
「ロゼッタが殺されないならそれでいい。できれば独りにしたくはないけどな」

 リベリオがロゼッタを通してみた未来。それはダンテの死だった。友を想う司祭の気持ちは虚しくも、ダンテには届かず。

 ダンテは死の覚悟を決めた顔で彼を見つめ返した。