「わぁ〜。広いですわね」

 ロゼッタは『ギャラリー・バルバート』の会場の中を見ていた。
 老舗のオークションハウスなだけあって、歴史と趣を感じさせる建物だ。天井を見上げて後ろ向きに倒れそうになるロゼッタをブルーノが支えた。

 彼女たちの前に、受付嬢のセレーネが現れる。

「支配人、神殿から司祭様がお見えになりました。先日の盗難品の件でお礼を言いたいとのことです」
「わかった、向かおう」

 ダンテはロゼッタも連れて応接室へと向かう。
 磨き上げられた明るい色の木の扉を侍従が開くと、中から声が聞こえてきた。

「ダンテ、会いたかったよ! 君の養女の噂を聞いてからずっとこの日を待ち焦がれていたのさ!」

 相手はダンテと親しい間柄の人らしい。彼と会えて喜んでいるのが声から伝わってくる。
 どんな人がいるのか気になったロゼッタは首を伸ばして見ようとしたが、ダンテが黙って応接室の扉を閉めてしまった。

「おかしいな、誰も居なかったぞ。次はステージ裏でも見に行くか」
「いいえ、中に人が居ましたわ。声が聞こえましたもの」
「幻聴だ」

 なぜか早く立ち去ろうとするダンテ。ロゼッタを抱き上げようとしたその時、扉が勢いよく開き、中から蜂蜜のような金色の髪と瞳を持つ若い司祭が現れた。

(うわっ! すごい綺麗な人!)

 後光でも差していそうなほど神々しい美貌の人物の登場に、ロゼッタはポカンと口を開けたまま見入ってしまう。

「司祭がわざわざ盗品捜査協力のお礼を言いに来たのにその態度って酷くない?」
「本音が建前より先に出てたぞ変態司祭。とっとと帰れ」

 ダンテは追い払うような仕草をして見せた。
 彼が人をぞんざいに扱っているなんて珍しい。

(とっても仲良しの友だちなのね)

 ロゼッタはもう一度、話し相手の男を見た。
 一見すると女性にも見える容姿をしており、声を聞かなかったら間違えていたことだろう。

 大司祭リベリオ・シルヴェストリは、ダンテの学園時代の友人でもある。
 当時の学園ではバルバート、ロランディ、シルヴェストリの3人は令嬢たちから華の貴公子ともてはやされていた。

 卒業してからは交流がなかったが、先日、信者から相談があった盗品の捜索にダンテが協力したのを知ったリベリオは、お礼を言う口実で会いに来たのだ。
 
「つれないなぁ。今日の外出のためにどれほど予定を放ってきたかわかる?」
「仕事しろよ。お守りの聖騎士様たちが気の毒だ」

 ダンテの視線はリベリオの後ろにいる騎士たちに注がれる。
 この国では司祭の地位が高く、彼らを守るために外出時は神殿の私設騎士団の騎士たちが控えて護衛についている。

 彼らのやりとりを見ていたロゼッタは、リベリオと視線がかち合って肩が跳ねた。美しい司祭は顔を輝かせてロゼッタの前にしゃがみ込むと、しげしげと彼女を見つめる。

「ほぉ、噂通り花の妖精のような少女だね」
「変態は離れろ。ロゼッタの教育に悪い」
「そういうダンテはどうなんだい? 君は――」

 ダンテは素早くロゼッタの耳を塞ぐ。ロゼッタは彼らが何を話しているのか分からなかった。ただ、リベリオをギロリと睨むダンテの横顔を見て、彼が触れて欲しくないことを言っているのはわかった。

(ダンテが悪戯していた事でも話そうとしたのかしら?)

 本当の事を言うとリベリオはダンテの遊び癖について指摘していたのだが、よもやそんな大人の事情を知らない少女は可愛らしい想像をしていた。

「ところでロゼッタ嬢の魔法属性はもう調べたかい?」
「まだですわ」
「それならお兄さんが見てあげよう。ダンテ、良いだろう?」

 乗り気のリベリオが問いかけても返事がない。ダンテは顎に手を当てて彼らの様子を見守っていた。その表情は暗い。

 そんなダンテの様子に気づいたリベリオは、コテンと首をかしげる。

「ダンテ?」
「ん? ……ああ、そういや調べなきゃいけねぇ歳だったな。そのおじさんに調べてもらえ」
()()()()ね」

 ダンテの返事はどこか歯切れが悪かった。不安そうにロゼッタを見つめる。

(なんなのよ。どうしてそんな顔するの?)

 魔法属性は親から子に遺伝される。

 実の親子であれば子どもに自分や伴侶の魔法が遺伝されていないと問題になるが、ロゼッタはそもそも引き取られたみなしごだ。どんな属性が出てくるかなんて誰もわからないはずなのである。

 本当であればロゼッタを引き取った時に神殿に連れて行って調べてもらうべきだったが、ダンテは躊躇していてまだ調べられていなかった。

「手を出してごらん」

 ロゼッタが右手を差し出すと、リベリオは掌を上に向けて人差し指を当てる。

「”女神様から賜りし力よ、今ここに発現せよ”」

 リベリオの詠唱に応えて光が彼らを包むと、ロゼッタの周りをつむじ風が巻き起こり、髪を結わえていたリボンが飛んでしまった。
 つむじ風が止むと、髪はさらりと下りてくる。

「この子は女神様から風属性の魔力を贈られているね」
「ああ、間違いない」

 ダンテは瞠目している。穴が開きそうなくらいじっと見つめられてしまい、ロゼッタは居心地が悪い。

 かつてローゼが風魔法を使っていた姿をロゼッタに重ねてしまったダンテは、胸の奥から込み上げてくる気持ちを抑えるために口を固く引き結んだ。
 そんな気持ちを知らないロゼッタは彼を見て不貞腐れたような顔になる。

「お揃いじゃなかったですわね」

 自分でも驚いてしまうほどぶっきらぼうな声が出てしまった。

「俺とお揃いが良かったのか?」
「ダンテはお揃いが良かったのかと思いましたの」

 そう言ってプイッと横を向くが、内心はダンテが自分の魔法属性にがっかりしているのではないかと気を揉んでいた。

 一方、ダンテはというと、ロゼッタの方が自分と同じ魔法属性ではなくてがっかりしているように見えていた。
 頬を膨らませている彼女の姿を愛おしく思う。

「俺は風魔法が好きだから、お前が持っていてくれて嬉しいよ。……ほら、魔力に集中して風を起こしてみろ。……そうだ、上手いじゃないか」

 ダンテはロゼッタの腰に手を回して引き寄せる。反対側の手で彼女の髪を整えた。くるくると風を起こす彼女を褒めちぎって、何度も頭にキスをする。
 いつもは意地悪なことを言ってくるダンテが優しい声で褒めてくれると、ロゼッタは胸がこそばゆくなった。次第に不貞腐れた顔が解れていく。

(花の顔の男爵が養女に夢中になっているというのは本当のようだ)

 すっかり父親らしい表情を浮かべて少女と話しているダンテを、リベリオはじっと眺める。唇の端を持ち上げ、上品な微笑みを浮かべた。

「いやはや、あのダンテも父親になったんだねぇ。微笑ましい限りだよ」
「うるせぇな。いちいち昔を掘り返そうとするな」

 どんなに不愛想に返されてもリベリオはにこにことして話しかける。まるでダンテにかまって欲しくてじゃれついている犬のように見えた。金色の髪ということもあって、ゴールデンレトリバーに見えなくもない。

(2人って本当に仲が良いのね)

 やりとりを見ていたロゼッタは、はたと気づく。
 この養父の親友に嫌われるような事をしたら今度こそ養父は手元に置いておきたがらなくなるのではないか、と。

 思い立ったが吉日。さっそく機会を伺っていると、リベリオがちょうど良い提案をしてくれた。

「ロゼッタ嬢と2人きりでお話しさせてくれないかな?」
「ダメだ。俺も同席させろ」
「まあまあ、そう言わず」

 リベリオが手を挙げると、聖騎士団がダンテとブルーノを取り囲む。そのまま部屋の外に連れ出してしまった。

(うそでしょう……? お話しはしたかったけど、まさかこんなことになるなんて)

 驚きのあまり棒立ちになったロゼッタは、気づくとリベリオに顔を覗き込まれていた。
 彼はしゃがんでロゼッタに目線を合わせている。

「やれやれ、星の数ほどの浮名を流してきた男が1人の少女に執着するとは何事かと思っていたが、君だったのか。納得したよ」

 金色の瞳に見つめられると妙な感覚がする。怖くなって、ロゼッタは思わず身をよじった。

「君のご両親はどんな人?」
「……」
「ごめんね。こんな質問は答えたくないよね」

 みなしごの彼女は親のことを聞かれて傷ついたに違いないと思って謝ったのだが、ロゼッタは別の理由で黙り込んでいた。

(嫌われるように話さなきゃいけないわね。どう答えようかしら)

 腕を組んで考え込む。話しかけてくるリベリオを、ひとまず無視することにした。

「ロゼッタ嬢、そんな顔をしないでくれ。私はダンテの友人だ。君たちの力になりたくてここに来たんだよ」

 考え込んでいる彼女の姿を見て、落ち込んでいると捉えたらしい。リベリオはロゼッタの頬を両手で包み込んで慈悲深い微笑みを向ける。

「君は自分が何者なのかも知らないんだね。私が力になるからどうか気に病まないでくれ」
「……あなたの手を借りなくても知っていましてよ。わたくしは"呪われた少女"ですわ」

 ペチッと手を叩いて払う。呆然とするリベリオを、珊瑚色の瞳で睨みつけた。

「ベタベタと気安く触らないでくださる?」

 ツンと澄ました顔でそっぽを向く。

「さっきからごちゃごちゃと本当にうるさいですわ。ダンテの友だちというだけで、どうしてあなたにわたくしのことを話さないといけないのかしら? こんなにうるさくて馴れ馴れしい犬に構ってあげるほど暇じゃなくってよ」

 さすがに大人相手に言いすぎてしまったような気がした。リベリオがどう出るのか気になってドキドキとする。
 彼は何も言い返してこない。不思議に思って様子を窺ってみると、顔を手で覆っている。

 言葉を失うほど怒らせてしまったかもしれないと、怒鳴られるのを覚悟したが、彼の口から絞り出された言葉は予想のはるか斜め上を行っていた。

「素晴らしい。可憐な容姿からは想像もつかないほど研ぎ澄まされた言葉で私の胸を穿ってくる。君は本当にダンテの子どもだ」
「……へ?」

 耳を疑った。目の前の大人は、馬鹿にされたというのに自分の言葉を称賛してきた。

(この人、なんだか様子が変よ)

 意地悪をされると逆に喜んでしまう人種がいる事を、純粋無垢な少女は知らない。
 リベリオ・シルヴェストリは雑に扱われるほど萌える残念なイケメンだったのだ。

「ダンテが私に贈ってくれた罵倒《極上の言葉》の数々を思い出すよ。君はその感性を受け継いでいる。素晴らしい!」

 どうやら養父は昔からこの友人には風当たりが強いらしい。
 養父のそんな過去なんて知りたくなかったし悪口の感性が似てきているだなんてあまりにも不名誉だ。ロゼッタは遠い目になる。

「そうやってゴミを見るような目を向けてくれるのもダンテそっくりだ! ますます気に入ったよ、ロゼッタ嬢!」
「は、早くわたくしと話す目的を言ったらどうですの?」

 これ以上は聞きたくなかったロゼッタは話を逸らした。

「今日は君たちのこれからのことを伝えにきたんだ。私には先視の力があってね、目を見た相手の未来がわかるんだ。この力で君たちを助けたいんだよ」
「あなたにそんなことができますの?」
「本当だよ。この力があるから私は次期神殿長として王族に次ぐ待遇を得られているんだからね?」

 リベリオは得意げに胸を張る。

(どうしよう。とんでもない人に意地悪をしちゃったわ)

 改めて自分のしでかしてしまったことに真っ青になるロゼッタ。
 王都の神殿には女神様に特別な力を授けられた大司祭様たちがいて国を守っているのだと孤児院のシスターから聞いたことを思い出したのだ。

 リベリオはロゼッタの頭を撫でながら彼女の珊瑚色の瞳を眺めた。
 彼の眉尻が下がっていくのを見たロゼッタは不安になる。

「《《怪盗》》に気をつけるようにパパに言いなさい。そうすれば災いから逃れられるでしょう」
「災い……。ねえ、わたくしの呪いからダンテを守ってくださらない? 司祭ならできるでしょう?」

 嫌われ作戦が上手くいっていないロゼッタは不安でならなかった。
 先日は偶然にもダンテが出張に行かなかったから無事だったものの、もし彼が出かけていたら命を落としていたのだ。

 あの事故だって自分の呪いのせいだ。そう口にするとダンテからは否定されたが、彼女はその確信を持ち続けている。

 いつか呪いの手がダンテに伸びるのではと怖くて仕方がなかった。

「う~ん、もう一回その愛らしい声で私をいじめてくれたら考えなくもないよ?」
「嫌ですわ。離れなさい!」
 
 邪険に振り払っても相手は嬉しそうだ。

 今まで出会ったことのない類の人種にゾッとしたロゼッタは、思わず魔法で風を吹き荒らす。勢いよく開いた扉から、ダンテたちが部屋の中に飛び込んできた。