ロランディ家にお招きされた翌朝、ダンテはロゼッタが起きるまで待っていた。仕事場に行く前に彼女の顔を見たかったのだ。
理由はいろいろあるのだが、そのうちの1つが明日からの出張だ。王都の島を離れ、泊りがけで商品の仕入れに行かねばならない。
商談相手はひねくれもので有名な美術商で、ダンテ自らが来るなら優遇すると言われているため外せないのだ。
しばらく会えなくなるのに加えて先日の一件がこたえているため、少しでも多く顔を合わせようとしている。
眠気まなこを擦ったロゼッタがブルーノに連れられて現れると、ダンテが取り上げて抱っこする。
「おはようございます、ダンテ様」
「お、おはよう。よく眠れたか?」
聞き間違えかと思ってしまうほどよそよそしい挨拶をされた。昨日までだったら「おはよう、ダンテ」と言ってきたというのに。
ダンテはポカンとしてロゼッタを見つめた。
微かな胸騒ぎを覚える。
「ええ、おかげさまでしっかり休めましたわ」
やはり昨日までとは口調が違う。
動揺のあまり、彼女の額にコツンと額をぶつけて熱がないか診たものの、熱はなかった。
「ど……どうした? 急によそよそしい口調になったぞ……変な物でも食べたのか?」
「わたくし、ジラルド様に言われて気づきましたの。いつまでも子どもみたいな話し方をしていたらいつか笑われてしまいますわ」
ロゼッタはジラルドの言葉が悔しくて仕方がなく、以前の話し方を止めてしまったのだ。
大人のように話そうとして、昨晩は寝る前ずっと練習していた。
「あのませガキか……。あいつに言われたことなんて気にするな。ロゼッタはロゼッタらしくしてりゃいい」
「嫌ですわ! ダンテ様が良くても私が嫌でしてよ」
「様をつけるな。お願いだ……!」
いつもの余裕はどこに行ったのやら、ダンテは必死で説き伏せてくる。懇願されるとなかなか言い辛い。
「……ほら、ダンテって言ってみろ」
「ダンテ《《様》》」
「様はいらねぇ。ダンテって呼んでくれ」
「……ダンテ」
ロゼッタが悔しそうに口にすると、ダンテは目元を綻ばせて彼女の頬にキスした。
「ん、いい子だ」
(なんなのよ?! 前までは睨みつけてきたくせに急に甘やかしてくるんだから)
これまで誘惑してみたり、他の家門の令息を罵ったのに、なぜか前より優しくなっている。嫌われる悪女を目指して実行しているというのにイマイチ効果を感じられず、焦りを覚えた。
「ロゼッタ、家族には前のように話せばいいんだぞ?」
「家族……」
彼の口から出てきた言葉に、ドキンとする。ダンテが自分のことを家族だと思ってくれているのは嬉しい。しかし、そんな彼を守るためにはいずれ出ていかなければならない。
そうでなきゃ、いつ呪いが彼らを襲うかわからない。
もしものことを考えると、胸がギュッと締めつけられる。
(ダメだわ。もっと嫌われなきゃ出ていけないんだから)
決心した彼女は、キッと睨みつける。
ダンテがこの言葉遣いを嫌がっているなら、とことんこの言葉遣いで話してやろうと思いついたのだ。
「ダンテの言うことなんて聞きませんわ! ジラルド様だってエルヴィーラ様に敬語を使っていましたもの!」
「ジラルドはそういう奴なんだよ。お前は真似しなくていい」
「嫌ですわっ!」
「旦那様、女の子はすぐに成長するもんなんですよ」
終わりのなさそうな言い合いに見かねたラヴィが、ダンテを宥めた。
「でもまあ、そうですねぇ。旦那様がずっと素っ気ない態度ですからああなられたのかもしれませんわねぇ」
頬に手を当ててわざとらしく溜息をつき、チラッとダンテを盗み見る。
相手は言葉を詰まらせ、しょんぼりとしながら仕事へと出かけて行った。
◇
その日の夜、早く帰ってきたダンテと夕食をとることになった。ダンテは朝に続き、顔を合わせられるように仕事を調整したらしい。
「……今日は何を教えてもらったんだ?」
ぶっきらぼうな声で勉強について尋ねる。その手はワイングラスを持て余しており、ぎこちない。グラスの中では白ワインがユラユラと揺れている。
他愛もない話をしたいが、いざ自分から話しかけようとするとどうも上手くいかない。
「ディルーナ王国騎士団の歴史を教えていただきましたわ」
「エルヴィーラに話してやったら喜びそうだな」
ロゼッタは口元をナプキンで拭いながらチラッとダンテを窺う。
(さて、我儘を言ってみたらダンテはどうするかしら)
今朝に続き困らせれば嫌われるかもしれない。嫌そうな顔をするまで粘り強く我儘を言ってやるつもりなのだ。
「わたくし、騎士になりますわ!」
「ダメだ。うっかり怪我をするのが目に見えてる」
条件反射の如く反対してきた。
こうなることはわかっていた。
昨日、エルヴィーラが剣を教えようか提案してくれたところ、ダンテが猛反対していたのだ。
「いやっ! 騎士になりますの!」
「お前に剣は持てない」
「じゃあ、腕を鍛えますわ!」
「そんなすぐに鍛えられるもんじゃないぞ」
「やってみないとわかりませんわ。弱いままでいたくありませんもの、絶対に騎士になりますわ!」
拳でテーブルをダンッと叩いてみる。睨み上げれば、彼はぼんやりとした顔で見つめてくる。
自分を見ているような気もするし、見ていないようにも見える顔だった。どこか遠くを眺めているようなのだ。
予想外の反応に驚いたが、めげずに睨み続ける。
「ダンテがなんと言おうと、騎士になりますわ!」
「お前がなんと言おうと反対だ。護衛がいるのに剣は必要ない」
「嫌ですわっ! わたくしは国の剣になりますの!」
声を張り上げてみてもダンテは眉一つ動かさない。
もっと言ってやりたかったが、喉が乾いたのでグラスに口をつけて潤す。
「……俺の跡を継ぐのはどうだ?」
「へ?」
予想外の提案だった。思わず目をパチクリとさせてしまう。
今までどの家に引き取られても、後を継いでくれだなんて言われたことがない。そう言うのは、男の子が望まれるものだった。
「今から少しずつ勉強していけばいい。俺が教える」
「で、でも……ダンテは忙しいからそんな時間はありませんわ」
「お前のためなら時間を作る。明日からの出張が終わったら本格的に始めよう」
ダンテは着々と話を進めていくが、ロゼッタは返事をしない。
オークションハウスの仕事には興味があり、彼が任せようとしてくれていることは嬉しいのだが、自分はいつかこの家を出ていく身だ。
安易に返事をするのは躊躇われた。
俯くロゼッタに、ダンテは優しく声を掛ける。
「今度一緒に仕事場に行こうな?」
「……外に出てもいいですの?」
家の中にいるのが退屈だった彼女は目を輝かせた。
昨日はエルヴィーラが粘ってくれて外出許可が出たが、普段は全く外に出してもらえないのだ。
徹底的に我儘を言うつもりだったのに、魅力的な提案を前に、すっかり忘れてしまっていた。
「ああ、あそこならベルトランドたちもいるから安全だろう」
本音を言うと、ダンテはロゼッタを屋敷から出したくなかった。
黒霧の魔女やその手下
好奇な目で彼女を見る貴族
彼女の美しさに魅せられた令息たち
自分から奪い取ろうとしてくる連中を近づけさせることも、彼らの視界に入れることもしたくない。
「お前が望むなら、毎日一緒に行っても良い。将来の勉強になるからな」
それでも外に出す気になったのは、閉じ込めれば閉じ込めるほど、自由を求めて逃げられてしまう気がしたから。
かつて自分の前から姿を消した、ロゼッタと瓜二つの女性ローザが王宮から抜け出していたように。
(しまったわ。すっかり我儘を言い忘れちゃってたわ)
夕食後、廊下に出てやっと、ロゼッタは目的を果たせていないことに気づく。ダンテの話に乗せられて、後半は全く我儘を言えてなかった。
明日また挑戦しよう。出かける前に困らせれば、さすがのダンテも嫌がるに違いない。
小さな悪女は満月を眺めながらそう決意した。
理由はいろいろあるのだが、そのうちの1つが明日からの出張だ。王都の島を離れ、泊りがけで商品の仕入れに行かねばならない。
商談相手はひねくれもので有名な美術商で、ダンテ自らが来るなら優遇すると言われているため外せないのだ。
しばらく会えなくなるのに加えて先日の一件がこたえているため、少しでも多く顔を合わせようとしている。
眠気まなこを擦ったロゼッタがブルーノに連れられて現れると、ダンテが取り上げて抱っこする。
「おはようございます、ダンテ様」
「お、おはよう。よく眠れたか?」
聞き間違えかと思ってしまうほどよそよそしい挨拶をされた。昨日までだったら「おはよう、ダンテ」と言ってきたというのに。
ダンテはポカンとしてロゼッタを見つめた。
微かな胸騒ぎを覚える。
「ええ、おかげさまでしっかり休めましたわ」
やはり昨日までとは口調が違う。
動揺のあまり、彼女の額にコツンと額をぶつけて熱がないか診たものの、熱はなかった。
「ど……どうした? 急によそよそしい口調になったぞ……変な物でも食べたのか?」
「わたくし、ジラルド様に言われて気づきましたの。いつまでも子どもみたいな話し方をしていたらいつか笑われてしまいますわ」
ロゼッタはジラルドの言葉が悔しくて仕方がなく、以前の話し方を止めてしまったのだ。
大人のように話そうとして、昨晩は寝る前ずっと練習していた。
「あのませガキか……。あいつに言われたことなんて気にするな。ロゼッタはロゼッタらしくしてりゃいい」
「嫌ですわ! ダンテ様が良くても私が嫌でしてよ」
「様をつけるな。お願いだ……!」
いつもの余裕はどこに行ったのやら、ダンテは必死で説き伏せてくる。懇願されるとなかなか言い辛い。
「……ほら、ダンテって言ってみろ」
「ダンテ《《様》》」
「様はいらねぇ。ダンテって呼んでくれ」
「……ダンテ」
ロゼッタが悔しそうに口にすると、ダンテは目元を綻ばせて彼女の頬にキスした。
「ん、いい子だ」
(なんなのよ?! 前までは睨みつけてきたくせに急に甘やかしてくるんだから)
これまで誘惑してみたり、他の家門の令息を罵ったのに、なぜか前より優しくなっている。嫌われる悪女を目指して実行しているというのにイマイチ効果を感じられず、焦りを覚えた。
「ロゼッタ、家族には前のように話せばいいんだぞ?」
「家族……」
彼の口から出てきた言葉に、ドキンとする。ダンテが自分のことを家族だと思ってくれているのは嬉しい。しかし、そんな彼を守るためにはいずれ出ていかなければならない。
そうでなきゃ、いつ呪いが彼らを襲うかわからない。
もしものことを考えると、胸がギュッと締めつけられる。
(ダメだわ。もっと嫌われなきゃ出ていけないんだから)
決心した彼女は、キッと睨みつける。
ダンテがこの言葉遣いを嫌がっているなら、とことんこの言葉遣いで話してやろうと思いついたのだ。
「ダンテの言うことなんて聞きませんわ! ジラルド様だってエルヴィーラ様に敬語を使っていましたもの!」
「ジラルドはそういう奴なんだよ。お前は真似しなくていい」
「嫌ですわっ!」
「旦那様、女の子はすぐに成長するもんなんですよ」
終わりのなさそうな言い合いに見かねたラヴィが、ダンテを宥めた。
「でもまあ、そうですねぇ。旦那様がずっと素っ気ない態度ですからああなられたのかもしれませんわねぇ」
頬に手を当ててわざとらしく溜息をつき、チラッとダンテを盗み見る。
相手は言葉を詰まらせ、しょんぼりとしながら仕事へと出かけて行った。
◇
その日の夜、早く帰ってきたダンテと夕食をとることになった。ダンテは朝に続き、顔を合わせられるように仕事を調整したらしい。
「……今日は何を教えてもらったんだ?」
ぶっきらぼうな声で勉強について尋ねる。その手はワイングラスを持て余しており、ぎこちない。グラスの中では白ワインがユラユラと揺れている。
他愛もない話をしたいが、いざ自分から話しかけようとするとどうも上手くいかない。
「ディルーナ王国騎士団の歴史を教えていただきましたわ」
「エルヴィーラに話してやったら喜びそうだな」
ロゼッタは口元をナプキンで拭いながらチラッとダンテを窺う。
(さて、我儘を言ってみたらダンテはどうするかしら)
今朝に続き困らせれば嫌われるかもしれない。嫌そうな顔をするまで粘り強く我儘を言ってやるつもりなのだ。
「わたくし、騎士になりますわ!」
「ダメだ。うっかり怪我をするのが目に見えてる」
条件反射の如く反対してきた。
こうなることはわかっていた。
昨日、エルヴィーラが剣を教えようか提案してくれたところ、ダンテが猛反対していたのだ。
「いやっ! 騎士になりますの!」
「お前に剣は持てない」
「じゃあ、腕を鍛えますわ!」
「そんなすぐに鍛えられるもんじゃないぞ」
「やってみないとわかりませんわ。弱いままでいたくありませんもの、絶対に騎士になりますわ!」
拳でテーブルをダンッと叩いてみる。睨み上げれば、彼はぼんやりとした顔で見つめてくる。
自分を見ているような気もするし、見ていないようにも見える顔だった。どこか遠くを眺めているようなのだ。
予想外の反応に驚いたが、めげずに睨み続ける。
「ダンテがなんと言おうと、騎士になりますわ!」
「お前がなんと言おうと反対だ。護衛がいるのに剣は必要ない」
「嫌ですわっ! わたくしは国の剣になりますの!」
声を張り上げてみてもダンテは眉一つ動かさない。
もっと言ってやりたかったが、喉が乾いたのでグラスに口をつけて潤す。
「……俺の跡を継ぐのはどうだ?」
「へ?」
予想外の提案だった。思わず目をパチクリとさせてしまう。
今までどの家に引き取られても、後を継いでくれだなんて言われたことがない。そう言うのは、男の子が望まれるものだった。
「今から少しずつ勉強していけばいい。俺が教える」
「で、でも……ダンテは忙しいからそんな時間はありませんわ」
「お前のためなら時間を作る。明日からの出張が終わったら本格的に始めよう」
ダンテは着々と話を進めていくが、ロゼッタは返事をしない。
オークションハウスの仕事には興味があり、彼が任せようとしてくれていることは嬉しいのだが、自分はいつかこの家を出ていく身だ。
安易に返事をするのは躊躇われた。
俯くロゼッタに、ダンテは優しく声を掛ける。
「今度一緒に仕事場に行こうな?」
「……外に出てもいいですの?」
家の中にいるのが退屈だった彼女は目を輝かせた。
昨日はエルヴィーラが粘ってくれて外出許可が出たが、普段は全く外に出してもらえないのだ。
徹底的に我儘を言うつもりだったのに、魅力的な提案を前に、すっかり忘れてしまっていた。
「ああ、あそこならベルトランドたちもいるから安全だろう」
本音を言うと、ダンテはロゼッタを屋敷から出したくなかった。
黒霧の魔女やその手下
好奇な目で彼女を見る貴族
彼女の美しさに魅せられた令息たち
自分から奪い取ろうとしてくる連中を近づけさせることも、彼らの視界に入れることもしたくない。
「お前が望むなら、毎日一緒に行っても良い。将来の勉強になるからな」
それでも外に出す気になったのは、閉じ込めれば閉じ込めるほど、自由を求めて逃げられてしまう気がしたから。
かつて自分の前から姿を消した、ロゼッタと瓜二つの女性ローザが王宮から抜け出していたように。
(しまったわ。すっかり我儘を言い忘れちゃってたわ)
夕食後、廊下に出てやっと、ロゼッタは目的を果たせていないことに気づく。ダンテの話に乗せられて、後半は全く我儘を言えてなかった。
明日また挑戦しよう。出かける前に困らせれば、さすがのダンテも嫌がるに違いない。
小さな悪女は満月を眺めながらそう決意した。