ロゼッタはジラルドに手を繋がれて庭園を案内してもらっていた。

 彼女はドキドキとしている。
 大人たちが深刻な事態に対応しているなんて露知らず、今のこの時を利用して、嫌われ計画をもう一つ進めるつもりなのである。

(ジラルドにはなんて言おうかしら? 完璧すぎて何も思いつかないわ)

 つまり、悪女として"ひどいことを言う"機会を狙っていた。

 チラッと視線を走らせるが、ジラルドは目ざとく気づいて柔らかく微笑む。
 隙がなかった。

(難しいわ。何を言っても怒らなさそう。それに、孤児院のみんなと全然違うから不思議)

 孤児院にいた子たちとは一緒になってはしゃいで走り回っていたが、ジラルドがそんなことをしているところを想像できなかった。

 小さな大人のように見えて、自分よりもはるかに年上のような気がした。

「この薔薇は母上が結婚したときに植えられたんですよ」
「わぁ〜っ。綺麗ね」

 彼らが辿り着いたのは真っ赤な薔薇の花のアーチ。
 薔薇は甘い香りを漂わせている。

 エルヴィーラを溺愛しているロランディ侯爵が、彼女と一緒に住むのに合わせて作らせたアーチで、庭園の中で最も念入りに庭師に手入れさせている。

 大輪の花が咲き誇る眺めは圧巻だ。

 見惚れるあまり、ジラルドの手を思わずぎゅっと握りしめてしまった。

「……っ」

 ジラルドがさっと手を離す。

「ジラルド?」

 ロゼッタはキョトンとして振り返る。
 見ると、微かに頬が赤くなっていた。

「どうしたの? 顔が赤いわ。具合が悪いの?」
「……気安く触れないでください。あなたは礼儀がなってなさ過ぎるんです」

 気遣わしげに伸ばしてきた手を振り払う。

(あれっ?! 何もしてないのに嫌われたのかしら……?)

 さっきまでは微笑んでいた彼が、急に眉根を潜めている。
 ロゼッタは何が起こったのか分からず、頭の上にハテナマークが浮かべた。

「目上の人も馴れなれしく名前で呼んで、言葉遣いも変えていない。いつまで子どものつもりですか?」
「あら、ダンテやエルヴィーラがそう呼ぶように言ったのよ?」
「へぇ~? そうやってずっと甘えるつもりなんですね?」

 ジラルドは冷ややかな微笑を浮かべる。

 内心は困惑していた。
 後からあとから、酷い言葉ばかりが口から溢れてくる。止めようとしても上手くいかない。

 照れ隠しなのだ。
 魅惑の貴公子は初恋に戸惑い、彼女にどう接したらいいのか分からなかった。

 彼は、ロゼッタに一目惚れしてしまっていたのだ。

「みんな、あなたがみなしごだから甘やかしているだけです」

 ロゼッタはキッと睨んだ。
 侮蔑の言葉に反応して、怒りが沸き起こる。

「あら嫌だ。子どもに子どもと言われるなんてやんなっちゃう。ブルーノくらい背が高くないと言ってて惨めじゃなくて?」

 先ほどまでの躊躇いはどこに行ったのやら、口からスラスラと罵る言葉が出てくる。

 ジラルドはさらに顔を赤くさせた。

「なっ……?! 彼は大人じゃないか!」

 ロゼッタはチロンと冷ややかな視線を投げつけた。

「都合が良い時だけ子どもになるのね。みっともないわ」
「そう言うあなたは彼に甘えて子どものままでいるつもりなんですね。そのうえ、言葉遣いも礼儀も知らない恥ずかしい大人になりたいのかい?」

 彼女が護衛といつも一緒にいることはエルヴィーラから聞いていた。
 どこに行くにもブルーノが抱っこしていることもまた知っており、それを指摘した。

「いいのっ! ブルーノは私の護衛よ!」

 そう言いながら、ふと気づいた。
 先ほどから彼の姿が見えない。

 急に不安になったが、ジラルドにはその気持ちを知られたくない。

「優しくて強くてカッコよくて、人を見下してるあなたとは違って大人でしてよっ! このませガキっ! ジラルドだって子どものくせに!」

 思いついたままの言葉で罵る。
 ロゼッタの声が庭園中に響いた。

「おいおい、どうした?」

 異変に気づいたダンテたちが駆け寄ってきた。

「ジラルド、何があったんだ?」
「えっと……その……」

 照れ隠しとはいえ、彼女の手を振り払って意地悪なことを言ってしまったため、後ろめたくなって目が泳いでしまう。

 ロゼッタはというと、ぷっくりと頬を膨らませ、目には涙が浮かんでいるが、ジラルドの前で泣くのが悔しくて堪えていた。

「……ブルーノは?」
「アイツには今、別の仕事をしてもらってるんだ」
「なんで?! ブルーノは私の護衛なのに!」
「大人には色んな事情があるんだよ。ほら、こっちに来い」
「やだっ! ブルーノがいいっ!」

 抱き上げようとするダンテを拒む。
 いつものように、ブルーノに抱きしめて欲しかったのだ。

 1日の大半を一緒に過ごし、悲しい時や怒っている時はいつも抱きしめてくれた彼の存在が大きかった。
 彼がいないと落ち着かない。

「ほら見てみろ。お前の態度が悪いからブルーノに盗られてしまっているじゃないか」

 ショックを受けて固まっているダンテを見て、エルヴィーラがニヤリと笑う。

「お嬢様……!」

 ブルーノがロランディ邸の建物の影から現れた。走り寄り、しゃがんで目線を合わせる。
 
 ロゼッタは彼に抱きつく。

「ブルーノ、どうして居てくれなかったの?! なんで服が違うの?!」
「……」

 彼は来た時と違う服を着ていた。

 いつもは白いシャツに黒いズボンとベストを合わせているが、今はロランディ侯爵から借りた仕立ての良いシャツに紺色のズボンと上着を合わせている。

 紺地に銀色の刺繍が施されている上着を着た彼は、どこかの貴族と見紛うほど品があって似合っていた。

「すまないね。うちの犬と遊んでくれてて汚れたんだ」

 言いにくそうにしているブルーノのために、エルヴィーラが助け舟を出す。

 本当はロランディ邸に潜んでいた暗殺者を始末して服が汚れていたため、着替えさせてもらっていたのだ。

「……申し訳ございません」

 彼はロゼッタを抱きしめた。
 安心して泣き始めた彼女の背中を優しく撫でる。

「もう片時も離れませんから」
「いや、今すぐ離れろ。最近ベタベタとくっつき過ぎだぞ」

 妬いたダンテが割って入ろうとしたが、ロゼッタがギュッとくっついて離れなかった。

「花の顔の男もフラれるんだな」
「追い討ちをかけないでくれ」

 敗北した花の顔の男爵は足元がふらつきそうになっている。

 この時、彼の他にもブルーノにロゼッタを盗られてショックを受けた人物がもう1人。

 ジラルドだ。

 花の妖精のようなロゼッタを見ても動揺することなく落ち着いた微笑みを向け、スラリと背が高く、自分の父親の服を着こなすブルーノが、自分では敵わない相手に見えたのだ。

(卑怯だ。彼はもう大人じゃないか)

 拳を固く握りしめる。

 早く大人になりたいと思った。
 あいつに負けるものかと、魅惑の貴公子は自分の心の中に渦巻き始めた劣等感に苦しくなる。

 ツキンと、小さな胸に敗北の痛みを覚えた。