エルヴィーラは頬づえをついて、テーブルを挟んだ向かい側で話しているロゼッタを眺めていた。

 小さな少女は愛らしい唇を動かして一生懸命になって最近勉強した歴史について話してくれている。

 彼らはロランディ家の美しい庭園でお茶をしていた。

 黒霧の魔女を警戒しているダンテがロゼッタを外に出したがらないため、気分転換になるよう自宅に招いたのだ。

 初めてのお呼ばれを誰よりも喜んだのはナナだ。

 やっと気合のこもったおめかしができるとはしゃぎ、昨日から打ち合わせをしていた。
 ロゼッタは着せ替え人形にされてぐったりとしてしまってのだった。
 
 ナナが腕によりをかけて身支度したロゼッタは、波打つ赤い髪をポニーテールにしてもらっていて、大きなリボンで結えてある。

 エルヴィーラはその姿を見て、彼女のように波打つ長い髪の女性の姿を思い出していた。

 珊瑚色の瞳と輝く白金色の髪を持ち、人懐っこく笑っていた彼女のことを。

(やはり、ジルダ様に似ている)

 瞳の色も顔立ちも似ている。年齢的にも、彼女の子どもであってもおかしくない。

 ふとそんなことを考えてしまう。

(まさか、な……)

 しかし、可能性はなくもない。思い当たらないこともなかった。

 ディルーナ王国第一王女ジルダは、死体が見つかるまで1年もの間、失踪していたのだ。

 第一王子は彼女を探すために何度も島の外に出た。そんな王子を守るために近衛騎士隊と宮廷騎士団は度々、彼についていた。

(こいつと出会ったのもあの頃だな)

 ロゼッタの隣に座り、彼女の揚げ足を取って睨まれているダンテの顔を見る。

 初めて出会ったのはあの悲劇の夜だ。

 当時世間を騒がせていた怪盗ローゼを追ってあの小さな街に来ていたと聞いている。

 王女の死を嘆き、以降は違法取引、特に、女神の秘宝を狙う少女誘拐の摘発に協力してくれている。

「遅くなってすみません」
「来たか」

 勉強を終えたジラルドが姿を現した。
 黒髪に赤い瞳が美しいこの美少年はエルヴィーラの息子で、ロゼッタより1つ年上だ。

「ご無沙汰しております、バルバート男爵。そして初めまして、ロゼッタ嬢。ジラルド・ロランディと申します」

 父親譲りの上品で柔らかな微笑みを幼いながらもものにしている彼は、王都の幼い令嬢たちの憧れの的だ。
 子ども離れした落ち着きが惹きつけるのだ。

 そんな魅惑の貴公子はロゼッタを見て、一瞬だけ動揺した素振りを見せた。

 彼の目に映ったのは、息を呑むほど美しい赤い髪の少女。珊瑚色の瞳は輝く宝石のようだ。

 絵画の中から出てきたような少女を前にして、言葉を失ってしまった。

「……ますます父親に似てきたな」
「ああ、腕力しか取り柄がない私とは違って聡明でな」
「いや、なんというか食えない雰囲気があいつに似てるよ」

 エルヴィーラの旦那であるロランディ侯爵とは学生時代からの知り合いだった。

 腹を探るのが得意な者同士、水面下で戦っていた好敵手なのである。
 お互いに認めていないが。

「初めまして、ロゼッタです。よろしくお願いします」

 ロゼッタは立ち上がってカテーシーを披露した。赤い髪がさらりと揺れる。

「一緒に遊んでおいで。ジラルド、庭園を案内してあげなさい」
「……かしこまりました」

 ジラルドが躊躇いがちに手を差し出してエスコートすると、ダンテがムッとした表情になる。傍で控えているブルーノに至っては、絶対零度の視線をジラルドに向けている。

「お前ら、その調子だとロゼッタが結婚できないぞ」
「どこにもやるつもりはねぇ」
「やれやれ、厄介な男が父親になって可哀想に」
「俺は……父親じゃねぇ。養父だ」
「何のこだわりかわからんが、まだそんな事を言っているのか」

 エルヴィーラは呆れて溜息をついた。

 ダンテは頑なに父親ではないと言い続けているのだが、その言葉の意図を汲み取れられない。

「父親を名乗る資格なんてねぇんだよ」
「資格ねぇ……? 小難しい事を言ってないでもっとおおっぴらに愛してると言ってあげたらどうだ? 得意だろう?」

 今まで遊んでいた事をチクリと指摘すると、ダンテは言葉を詰まらせた。ゴホンと咳払いして話を逸らす。

「アンドレイニ侯爵夫人の件はどうだ?」
「まだ大した情報は掴めなくてな。先日の報告によると、夫人は最近、若いメイドを一斉解雇させたらしい。それも、急に言い出したそうだ」
「なんだ? 気まぐれ屋なのか?」
「いや、今までそんな性格の方ではなかったんだがな。人が変わったようになる時があるそうなんだ」

 同じく侯爵夫人の身分であるため、何度か話したことはある。上品で穏やかな性格。
 第一王女の侍女をしていたこともあったほど信頼されている貴婦人だ。

 しかし、調べてみると怪しい点はいくつか見受けられた。

「何も言わずに外出してしばらく帰ってこなくなることもあるらしい」
「ますます怪しいな」
「跡をつけられたら良いのだが、それこそ霧や煙のように消えてしまうようでな」

 ティーカップに視線を落とす。
 琥珀色の水面に映るのは、眉を潜めて苦々しい表情をした自分。

 彼女は思い出していた。
 ある日いきなり姿を消した王女のことを。

 明るくて天真爛漫で、王城で会えば気さくに声をかけてくれていた尊い人物。

 失踪したと聞いて、現国王と一緒に国中を駆け巡って探したが、見つかった時には変わり果てた姿になっていた。

 間に合わなかった。

 守れなかった悔しさや自責の念に苦しめられていたところ、ダンテから犯人の捜索の協力をしたいと打診があった。

 彼が引き取った死にかけの少年ブルーノの話によると、犯人は女神の秘宝を狙って王女を殺したのだという。

 闇オークションでは王女と同じ、珊瑚色の瞳を持つ少女たちが売り捌かれているらしく、オークションハウスの支配人として情報提供をすると名乗り出たのだ。

 そこから、協力関係は始まった。
 
(やれ、暗い顔をしてしまったな。子どもたちが見れば不安になってしまう。見られないようにしなくては)

 琥珀色の水面に映る顔を消すようにミルクを入れて、ティースプーンでかき混ぜた。

 白い液体はくるくると渦巻いていく。
 
(さて、やはりこの子も気づいているか)

 エルヴィーラはティーカップに口をつけつつ、視線を上げた。その先にいるブルーノは、胸に手を当てて礼を取る。

「ロランディ侯爵夫人、図々しいお願いで大変恐縮ですが、お嬢様をどうぞよろしくお願いします」
「ブルーノお前……」

 彼の言葉にダンテは何かを察して表情を強張らせた。

(やれやれ、仮にも王国の剣と呼ばれる我が邸宅に忍び込むとは見過ごせんな)

 エルヴィーラとブルーノは、先ほどから殺気を感じていた。
 わざと気づかせるために放たれている殺気だ。 

(さて、狙われているのはロゼッタではなさそうだが?)

 自分でも、隣にいるダンテでもない。
 銀色の髪の男の動きに合わせて相手の視線が移動しているのだ。

「我が家門の騎士たちも動かそう」

 エルヴィーラがスッと手を上げると、影で控えていた者たちが動き出す。
 ブルーノは深く一礼すると、殺気の方へと向かって行った。

「有難いが……良いのか?」
「大丈夫だ。ロランディ家の騎士は手練れが多い。その代わり、掃除代は払ってもらうからな」
「巻き込んで悪いな」
「気にするな。私の自己満足のためでもある。ブルーノに何かあれば悔やまれる」
「自己満足?」

 ダンテは訝しげに聞き返す。
 エルヴィーラは寂しげに笑った。

「思い出したんだよ。王女殿下が飼っていた犬の名前もブルーノだったと思ってな。あれが死ななかったら未来は違うかったんじゃないかと思ってしまうんだよ」

 王城に行けばジルダの傍にはいつも1匹の犬がいた。銀色の美しい毛並みが特徴的な大きな犬だった。
 片時も離れようとしないため、王城で働く人たちからは筆頭護衛騎士と呼ばれていた。

 しかしある日いきなり、その犬は死体で発見されたそうだ。それを見た王女は酷く動揺したらしい。

 それから、王女の様子がおかしかったと、とある侍女が証言していた。