ロゼッタはブルーノに連れて行ってもらってダンテの部屋に入る。

 最近、ダンテは家で仕事をすることが増えてきた。ロゼッタには理由を言っていないが、彼女を傍で見守りたいからである。
 アンドレイニ侯爵夫人、王都に住まう上流貴族に黒霧の魔女の疑いがある以上、あまり離れたくないのだ。 

「ダンテ、話があるの」

 執務机で手紙を書いていたダンテは、羽ペンを置いて彼女の方に顔を向けた。

「ダメだ」
「もうっ! まだ何も言ってないわ!」
「ここを出ていきたいって事だろ? 諦めろ。お前はどこにもやらない」
「お願いだから聞いて。ダンテたちのためなの。私がこのままここに居たら、みんなが呪われちゃう」

 ダンテは鼻で笑った。
 大儀そうに頬杖を突き、まるで彼女のこの話に辟易しているかのような態度をとってくる。

「呪い殺してみろと言ったはずだ」
「真面目に聞きなさい!」

(なによ! 私は真剣に話しているのに!)

 よもやそれがダンテの本心であることを知らないロゼッタは、怒って睨みつけた。

 ロゼッタは不安だった。

 これまで引き取ってくれた家で起きたように、呪いがダンテやブルーノ、そしてバルバート家の使用人たちに悪さをする気がしてならないのだ。

 何かが起きてみんなに迷惑をかけてしまう前に、自分が消えなければならない。
 一日でも、いや、一刻も早くそうしなければならない、と。

 ダンテがずっと手紙を持ってくれているのを知った日に、そう誓ったのだ。
 ブルーノたちからダンテの想いを聞いて、誓いは確固たるものになった。

「ふざけてねぇよ。俺の気持ちは変わらない」 

 急に声のトーンが低くなった。
 ロゼッタは怯えてブルーノにしがみつく。

 ダンテは顔を顰めた。ブルーノに甘えたのが気に食わなかったのだ。
 椅子から立ち上がってロゼッタの前にしゃがむと、彼女の顎を持ち上げる。

 エメラルドのような瞳がスッと細められた。
 瞳の奥に揺れる影がロゼッタを捕まえる。

「絶対に手放さないし、()()()()()()()
「やだっ!」

(ダンテの顔、すっごく怖い!)

 ロゼッタはダンテの手を振り切って逃げ出した。廊下に飛び出し、たまたま目に入った扉の中に隠れる。

「……ここはどこ?」

 ロゼッタが開けたのは、使用人が使う階段に繋がる扉だった。
 足音を忍ばせて下りてみると、大きな部屋にたどり着く。そこは使用人ホールなのだが、彼女は知らなかった。

(秘密基地みたい!)

 先ほどまでの恐怖なんて忘れ、興味津々で足を踏み入れた。

「本っっっっ当に嫌な性格よね! そんな悪女がいるお屋敷で働きたくないわ!」

 ナナの声だ。メイド仲間たちとお話ししていた。
 ちょうど、知り合いが働いているお屋敷の令嬢について話していたのだ。 

 我儘で意地が悪く、使用人たちを困らせているらしい。気に入らないといじめて辞めさせることもあるのだとか。

「酷いわねぇ」
「それに、男の人を見つけたらすぐに色目を使って誘惑するんですって」
「最悪だわ」

 みんな眉をひそめている。
 よほど嫌いな人のことを話しているように見えた。

「ねえ、悪女って何?」

 ナナたちがビクリと飛び上がって振り返る。

 まさかロゼッタがこんな所に来るとは思っておらず、驚いたのだ。
 走り寄って、ロゼッタに目線を合わせてしゃがむ。

「お、お嬢様?! どうしてここに?」
「ねえ、ナナ、悪女って何なの?」

 大きな目をパッチリと開けて見つめられれば、ナナは断れない。

 本当はこの部屋から連れて出なきゃいけないが、好奇心を持って聞いてくるロゼッタに答えてあげた。

「みんなが嫌がるようなことをする悪い女の人の事ですよ」
「へ〜」

 ロゼッタはパーティーで意地悪なことを言ってきた令嬢たちも、悪女のことを口にしていたのを思い出した。

 悪女に捕まったダンテが可哀想。
 そう言っていたのを覚えている。

 どうやら悪女と呼ばれる人は、とても嫌われるらしい。

 確かに、嫌なことをしてくる人とは一緒にいたくないな、と思った。
 そう理解した時、あるひらめきが舞い降りて来た。

(そうよ。お願いしても出て行かせてくれないなら、追い出されるようにしたらいいのよ)

 みんなに嫌われるような子どもであれば、さすがのダンテも手元に置いておくわけにはいくまい。

(嫌われたらいいんだわ。ダンテが私をこの家から追い出したくなるくらい悪い子になれば良いのよね?)

 そう考えたロゼッタは、悪女についてもっと知りたがった。

「どんなことをしてくるの?」
「我儘で、みんなに意地悪をしたり、ひどいことを言うんですよ」
「じゃあ、色目を使って誘惑するってどういうこと?」
「えっ?! えーっと、ですね……」

 ナナの視線が宙を彷徨う。
 幼い子どもにどう説明したらいいかわからず、困っているのだ。

「う〜ん…、男の人にぎゅっと抱きついて、目をウルウルさせながらお願いするって感じですね」

 悩んだ結果、努めて全年齢向けな説明をした。

(そんなことで嫌われるのかしら?)

 幼い少女はまだ誘惑を理解できなかった。
 不思議に思ったが、みんなが嫌がるなら試してみよう。まずはブルーノにしてみようか、なんて考えた。

(ブルーノに嫌われるのは悲しいけど、呪いが悪さをしたらどうせ嫌われるんだから、仕方がないわよね)

 これまで引き取ってくれた家の人たちのことを思い出して、しゅんとして俯いた。

「お嬢様、ご安心ください。悪女がお嬢様に手を出そうとしたら、私たちがやっつけますからね!」

 ロゼッタが悪女を怖がっているものだと勘違いしたナナは、優しく抱きしめる。

「あ、ありがとう。……っ?!」

 ロゼッタはビクリと肩を上下させた。誰かが急に後ろから肩を掴んできたのだ。

 恐るおそる見上げると、空色の瞳が自分を見つめている。

「ブ、ブルーノ?!」
「……」
「ブルーノさん! お嬢様を探してたんですね」

 ロゼッタはそのままブルーノに引き渡されてしまう。
 ブルーノは抱き上げると、眉尻を下げてきた。

 そんな顔をされてしまうと、隠れていたのが後ろめたくなる。
 きっと、彼は心配して探し回ってくれていただろうから。

「どうしてここにいるのがわかったの?」
「……」

 ロゼッタは話をして逸らしてみようとしたが、責めるような視線から逃げられなかった。
 心配かけさせたことを、素直に謝った。

「置いていってごめんね」
「怒っているのではありません」

 ブルーノは上目遣いでロゼッタを見た。

 最近気づいたのだが、彼女はどうも自分のこの仕草に弱いらしい。
 何かを隠していると気づいたため、誘導して言わせようとしているのだ。

「お嬢様がまた悲しい顔をされてからいるから心配なのです」

(……うっ。やめて。そんなこと言わないで)
 
 嫌われようと企てているのが見透かされているようで、冷や汗をかいてしまう。

 それに、ブルーノに悲しそうな顔をされると良心が痛む。
 彼がなによりも大切にしてくれているのがわかっているから、申し訳なくなるのだ。

 悪女になって嫌われようと決意したロゼッタたが、ひたすら甘いこの護衛を前にして、早くも決意が揺らぎそうになった。

(ダメよ。呪いがブルーノに悪さをするかもしれないんだもの。ブルーノのためにも、こうするしかないのよ)

 咄嗟に笑って見せる。

「悲しくないわ。ナナたちと楽しくお喋りしてたのよ?」
「……」

 ひたすら見つめられて、冷や汗が止まらなかった。
 嫌われ令嬢計画は早くも暗雲が立ち込め始めているようだ。

(さて、いつブルーノに誘惑してみようかしら?)

 彼の腕の中で、小さな悪女は考えを巡らせた。