私たちは別荘の中に通してもらって、応接室に入った。
 
 トレントはどうするのかと思ったら、人間の姿になって一緒に入ってくる。
 席について使用人がティーセットを持ってくると、ロアエク先生が紅茶を淹れてくれた。

 久しぶりに味わう先生の紅茶は美味しくて懐かしくて、じんわりと心に沁み渡った。

「先生、改めて紹介します。彼女が婚約者のレティシアです」
「ふふ、ファビウスさんったら、とっても幸せそうな顔をしているわね」

 ノエルはいつもこうやって私のことを紹介してくれたのに、ロアエク先生の前だと不思議と緊張してしまう。ロアエク先生は自分のことのように喜んでくれているのに。

「あなたたちは在学時期は違っていたけど、仕事で学園に戻って巡り会えたのね。素敵な運命だわ」
「僕もそう思います。きっとロアエク先生のおかげで巡り会えたんです」
「まあ、私は二人のキューピッドなのね。新しい仕事にしようかしら」

 確かに、ノエルからすると婚約のきっかけはロアエク先生のことだ。
 私が解呪に必要な素材を集めると持ちかけたから、ノエルは婚約を受け入れてくれた。

 だいたいのことは、合っている。

 それなのにどうしてか、心の中がもやもやとしてしまう。

「二人の馴れ初めを聞きたいわ」
「僕がオーリク先生の代理で挨拶に行った時に初めて会いました」
「まあっ、先生はまたギックリ腰になったのね。腰痛に効く薬を送ろうかしら」

 顔を見合わせて笑うロアエク先生とノエルは本当の親子のようだ。
 ロアエク先生と話すノエルはとても楽しそうで、声を上げて笑ったり、優しい眼差しでロアエク先生を見つめて、話に耳を傾けている。

 ノエルにとってロアエク先生が、闇落ちするきっかけになるほど大切な存在であるのがよくわかる。

「ファビウスさんはベルクールさんのどこに惹かれたの?」
「生徒たちに真摯に向き合っている姿に惹かれたんです。自分のことは二の次で、どんな時でも生徒たちのことを想って全力疾走しているレティシアのことを見ていると、放っておけなかったんですよ。最近は、レティシアに大切にされている生徒たちを見ていると、妬いてしまいます」
「あらあら、大変ね」

 ノエルはスラスラと台本の台詞を述べる。
 アドリブもついていて、なんだか本当にノエルが惹かれてくれたように聞こえて、頬が熱くなった。

 おまけにそっと手を重ねてくるものだから、心臓が跳ねてしまう。

「ベルクールさんは?」
「あ、えっと。ノエルが薬草の本を貸してくれたのがきっかけなんです。それからお互いに本を交換するようになって、好きな本のことを話し合っている内に惹かれました。その、ノエルが本の中に手紙を入れてくれていたんですけど、いつの間にか本よりも手紙の方が気になっちゃって、彼のこと……す、好きだと気づいたんです」

 ノエルが用意してくれた物語。
 作ってくれたのは架空の私。
 彼と恋をして結婚する設定の、私の言葉。

 これまでに何度も言ってきた台詞なのに、今日はひどく、その一言ひとことに違和感を感じる。

「そう、どうやらファビウスさんの方が先に落ちたみたいね」
「はは、正解です。話すきっかけが欲しくてたくさん本を読みました」
「素敵ね。最近はこういう甘酸っぱいお話を聞く機会がなかったから嬉しいわ」

 ロアエク先生はにっこりと微笑むと、お茶を一口飲んだ。

「話は変わるけど、いまの学園の事も聞かせてもらおうかしら」
「もちろんです」

 話題が変わって内心ホッとした。
 
 私もノエルもロアエク先生にお茶を淹れ合ったりして、久しぶりにゆったりと話した。メイドたちが仕事を盗られてあたふたしてしまったのは申し訳なかったけど。

 いまのオリア魔法学園のこと、昔からいる先生たちが元気に過ごしていること、昨日の魂喰らいの魔術書のことを話した。

 話していると、部屋の外から子どもの声が聞こえてくる。たくさんいるようで、声はだんだん大きくなっていった。

「あら、子どもたちが遊びに来たわ」
「ラングラン家の子どもたちですか?」
「いいえ、領民の子たちよ。ここに授業を受けに来たり、遊びに来たりするの」

 どうやらロアエク先生はオリア魔法学園の外に出ても先生をしているらしい。
 そんな生き方もいいなと思う。

 ロアエク先生はノエルとトレントにチラッと視線を送った。

「久しぶりにベルクールさんとお話がしたいから、二人は子どもたちの相手をしてきてくれないかしら?」

「わかりました」
「……」

 にこにこと返事をするノエルとは対照的に、トレントはぶすっとしている。
 明らかに不機嫌な顔をしているのに、扉が開いて子どもたちが入ってくると、子どもたちはトレントにまとわりついて抱っこをせがんだ。

 すごく懐かれているんですけど。

 トレントもしかして、子どもには優しい?
 百パーセントデレなの?

 信じられない気持ちで見ていると、ノエルとトレントは瞬く間に子どもたちに連れ出されていった。

 応接室は急にしんと静かになる。

「ベルクールさん、さっきの馴れ初めのお話、ファビウスさんが考えてくれたんでしょう?」
「っどうしてそう思うんですか?」
「だってあなた、話している間ずっと不安そうだったもの」

 やっぱりロアエク先生はお見通しだったんだ。
 後ろめたい気持ちがどんどん溢れて、胸の中に渦巻いていく。

 私のこと、どう思っているんだろう。
 ロアエク先生の顔を見られなくて、逃げるように自分の手を見てしまう。

 するとロアエク先生が伸びてきて、私の両手を握ってくれた。

「浮かない顔をしているわ。私でよければ、聞かせてくれないかしら?」

 ふわりと微笑む先生の顔を見ると、思わず言葉が零れてしまった。

「私は、思惑があってノエルに婚約を持ちかけました」
「あら、あなたからだったのね」

 ロアエク先生はそう言って目を細める。
 優しい眼差しを受け止めると、さらに後ろめたい気持ちになった。

「はい。ノエルは承諾してくれて、それからずっと婚約者でいてくれています」
「それならどうしてそんなに不安そうな顔をしているの? 本当は結婚が嫌?」
「い、いえ。そんなことありません!」

 嫌では、ない。
 ただ、この婚約は愛のない結婚だから、それが後ろめたいだけで。

 私とノエルを大切に想ってくれているロアエク先生に話すのが、騙しているようで、申し訳なかったから。

「私は、この契約結婚を先生に話すのが、後ろめたかったんです。ロアエク先生は私たちのことを大切に想ってくれているのに、欺くようなことを言ってしまったので」
「負い目を感じる相手は本当に私かしら?」

 ロアエク先生の手が両頬を包み込んでくれて、顔を上げると、金色の瞳が私を見つめている。

「ベルクールさんは本当に、ファビウスさんのことが大切なのね。だって、二人でとり決めた契約結婚なのに、ファビウスさんに婚約を持ちかけた負い目を感じているんでしょう?」
「たしかに……そうですけど」
「そうじゃなきゃ、私に対しても負い目を感じたりしないもの」 

 考えたこともなかった。
 漠然とあった後ろめたさから逃げていたんだ。

「いまはファビウスさんのこと、どう思っているの?」
「幸せにしたいと思ってます」

 はじめはアロイスたちを守ろうと思ってノエルに近づいた。
 だけど、彼の人間らしい一面や、過去や苦悩を知って、守りたくなった。

「ふふ、それなら婚約者として堂々としましょう? じゃないとファビウスさんが不安がってしまうわ」
「そうですね、弱気になってたらいけませんよね」

 卒業までに起こるイベントのことを考えると不安になるけど、ロアエク先生がぎゅっと抱きしめてくれると少し安心した。

「さ、湖に行ってみなさい。綺麗な景色だから気持ちが落ち着くはずよ」
「はい、行ってきます」

 話すと幾分か心が軽くなった。
 ロアエク先生に見送られて、ノエルがいる湖へと向かった。